あらすじ
SNSで駆り立てられた「正義」.「真の弱者」から向けられた「偽りの弱者」への怒り.多くの人々が「この社会で損をしている」という思いに突き動かされている今,社会の至るところで噴出する「敵意」や「憎悪」から,私たちは何を聞き取るのか.そして,どう向き合うべきなのか.もっともクリティカルな日本社会論!
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Posted by ブクログ
自分に向けられる敵意の質を見事に描きだしてくれた。家族福祉>高齢者と障碍者向けだけが公的な制度に置き換えられてほかのあいまいな弱者が取り残された>ベーシックインカムじゃダメかな。あいまいな弱者の大量発生。直感的なまず減税のわかりやすさ>意図するところを汲めない現システム側のおばか。参政党の農本主義>これはほんとに同意。強い外国人への反感が弱い外国人に向けられる>生活保護バッシングと同じ。意識高くないリベラルってどんなだろう。現体制から疎外され、もらえるお金が増えることが想像できない永遠の若者である中年層マジョリティ、弱者のためのネオリベからも漏れる層のデモ。富裕層優遇策は同意。
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「曖昧な弱者」をキーワードにして、右派と左派の対立から「オールドな彼ら」と「ニューなわれわれ」という対立軸に持ち込んで勝利していく自民党と新興政党伸長の説明は、極めて明晰で分かりやすく、伊藤氏の慧眼に感銘を受けた。なるほど、昨今の政治情勢にかかわる謎の多くが説明されている。リベラル派の主張は理想主義的かつ高邁な「文化政治」に傾きすぎていて、もはや多数派となった日々の暮らしに汲々とするロウアーミドルの人々には響かない。手取りを増やす、社会保障の負担を減らす、というような即物的「経済政治」を訴える党が伸長するのもむべなるかな。本来は結託すべき「明白な弱者」と「曖昧な弱者」に分断をもたらし、政治的に利用している「強者」がいることを、目を凝らして見るべきなのだろう。著者の言う通り、解決可能な分断の方が、ともすれば弱者いじめに陥る「オールド」と「ニュー」というイメージ優先の対立よりもずっとましだし健全だと思う。
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今まで手厚く保護されてきた生活保護受給層等を「明白な弱者」、いわゆる弱者男性のような近年の格差の拡大で生まれた社会保障の網にかからないが社会的困窮者を「曖昧な弱者」、と定義して現状の日本社会を描いた本
今まで意識していなかった対立軸等に目を向けられて、世の中の見方が変わる本だと思った。
名著すぎる
Posted by ブクログ
岩波新書にしては大変読みやすく、またなるほど!と手を叩きたくなる内容だった。
今の日本社会の見取り図を示してくれている。でてくる、曖昧な弱者、明白な弱者、真ん中等、直感で理解できる秀逸な言葉だと思った!
Posted by ブクログ
なぜ日本において、近年ポピュリズムが隆盛するのか、について一つの示唆を与えてくれる本。
とはいえ、ポピュリズム、という言葉自体濫用が過ぎて、単に国民(しかも多くの場合、反ポピュリズムの側から知性に欠けるという言外の意味を込めた)の人気取りに走った政策、という感じに意味が固定化されてしまっており、そろそろ別の言葉を考えた方が良いのではないかと思える。
そういう意味では著者のいうポピュリズムも、文中での扱い(例えば、財務省解体による小さな政府化は、いつかそれを叫んだ人自身の首を絞めるかもしれない、など)からすれば近視眼的な思慮の足りない人、という言外の意味をどこかしら含んでいるように思える。
今の社会は、「明らかな弱者」と「曖昧な弱者」が存在し、後者が前者を敵視していて、かつ、政治の側にそれを利用することで主張を達成しようとする者がいる、という指摘が面白い。
明らかな弱者は、これまで経済/文化的に弱いとされていた老人や外国人、女性等であるのに対し、後者は、一見会社に勤めて生活を営めているようでありながら、失われた30年を経て、日本社会の私的なセーフティネットが解体されていく中、国としてそれらに代わる仕組みを用意することを怠ったがために、絶えず金銭的/精神的な閉塞感とひっ迫感に苦しめられている世代が中心となっている。
なので、年齢や性別、国籍といったほぼ先天的な属性ではなく、主として金銭面や社会的地位といった一見、後天的な要素で結び付けられているのが特徴だろう。一見、というのは、ひとたび弱い立場に置かれると回復することが極めて難しいような社会システム(日本に限らず、グローバリズムが席巻した全世界の)の産物としての弱者なので、ある意味で状況決定的というか先天的な要素も持つからだが。
そして曖昧な弱者は、明らかな弱者のように明確なラベルを持ちにくい故か、明確に助けられるべき存在として認知されてこなかった。だから、明らかな弱者へ手が差し伸べられる一方で放置され、それが「なぜ自分たちだけが割を食わないとならないのか」という怒りにつながってくる。明らかな弱者に手を差し伸べるにもお金がかかり、そのお金があいまいな弱者から接取されたものであればなおさらだろう。
この辺りは非常によく理解できるのだが、これら曖昧な弱者に対して「だからと言って、弱い立場の人たち(=明らかな弱者)を排除するような社会と作ると、いずれ自分にも跳ね返りますよ」というお説教を言ったところで甲斐はないのではないか。
むしろ、言われた方からしたら上から目線の、綺麗事でしかないロジックはただ反発しか生まないのではないか。この綺麗事しか言わない、相手を唯々未開明な人たちととらえる姿勢が、リベラルが支持を失ってきた理由なのだろう。
「俺たちだって辛いんだ」という声に耳を傾けなかった、もしくは、今までいい思いをしてきたのだから少しぐらい辛い目にあってもよい、という考えからかはわからないが、とにかく目を向けてこずに、お題目だけに成り下がってしまったのがリベラルの退潮につながっているように思う。
文中、ポピュリズム的な思考への批判として、複雑な社会システムを組み立てるには即物的な思考だけでは危うい、という言説がある。社会システムは相互関係で成り立つので、抽象的なデータ(ちょっとおかしな言葉だが)の把握に基づく考察が不可欠である、と。
しかし、リベラルな立場の人が本当にデータを見て社会問題を考察しているのなら、なぜ、日本の所得中央値と購買力が落ち続けているのを見て、手当てすべき弱者は他にもいることを考察できなかったのか。結局、リベラルとされる人たちも、見たいデータだけ見ていることは変わらなかったのではないか、という疑念がぬぐえない。それとも、曖昧な弱者のほうはまだましだから、優先順位が低いと考えていたのか。
著者の論旨は非常にバランスがとれていて、リベラル寄りの識者として私見では最も信頼できる人の一人と思う。それゆえに、なぜリベラルがこのような問題を(偶然か故意かはともかく)見落とし続けてきたのか、についての内側からの考察がもっと欲しかった。
本書の最終的な議論として、現状の対立軸では出口を見出すことが難しいので、保守/リベラルの強者たちと、明確な弱者/曖昧な弱者の弱者たちとの分類に分けて問題をとらえなおすことが必要ではないか、との論だが、それでは1900年代の対立に逆戻りするだけではないか(これについては著者も認めているが)。
むしろ、経済的/社会的格差は絶対的に解消すべきとの強い立場に立ち、どのようにすればその格差は解消しうるのか、そのために犠牲にすべきは何なのか、という立場の表明が欲しかったと思う。
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このところの国政選挙で躍進した参政党。選挙のやり方が上手いのは気がついていたけれど、そもそも参政党とはなんぞや?なぜこんなに支持を集める?そこがわからずこの本を手に取ってみた。なるほど納得。現政権の支持率の高いことといい、それもこれも「曖昧な弱者」を生み出してきた日本だからか。再読して理解を深めてみたい。
Posted by ブクログ
女性、高齢者、子ども、障害者、外国人、LGBTQなどの「明白な弱者」に対し、そこには当てはまらないものの経済的に大きな負担を強いられて困窮する「曖昧な弱者」が大量発生している。本来は文化的弱者と経済的弱者という異なるカテゴリの存在であって、与えられる庇護の間にトレードオフの関係はない。それなのに「曖昧な弱者」は「明白な弱者」に敵意を抱く……。現代の分断の構図がわかりやすく説明され、納得。中間層の二分化で生まれた「曖昧な格差」のなか、むしろ両者は、それぞれが大事にされるためにどうすればよいかを考える存在として、連帯すべきという今後の指針にもうなずける。
Posted by ブクログ
タイトルから惹かれ、手に取った本だったが、曖昧な弱者が数十年間社会で見過ごされてきた存在だということに改めて気付いた。
また、マイノリティである明白な弱者と、経済的に大きな恩恵を被ることがなかった層である曖昧な弱者を、どう両立して支援していくか、出口のある分断にどう持っていくか、これは日本で暮らしをする上で自分事として真剣に考えたいと思った。
最近の選挙についての方向性や各党の支持層の考えも分かったので、とても勉強になった。
Posted by ブクログ
著者はリベラルによって救われなかった弱者を「曖昧な弱者」と名づけ、ひろゆき、山上徹也、石丸、参政党、国民民主党、高市早苗などの比較的タイムリーなニュースとの関連を述べている。非常にわかりやすく解説してくれているので、内容についての詳細は控える。
やや消化不足だった点について。第1章から第4章までを読んでも、いまいち曖昧な弱者に対する著者のスタンスがわからず、第5章でそれがはじめて明らかになる。著者は曖昧な弱者の主張(デモ)に対して、どんなに荒唐無稽な主張だとしても、彼らを包摂していくこと、ともに解決を図っていくことが重要だと述べている。これには納得。しかし、第7章で突然、今まで述べられてこなかった解決策の提示がある。それは簡潔に述べればそれまでの「明白な弱者」と「曖昧な弱者」を組み替えることで出口の見える議論をしよう、というものだが、これが第6章まで全く述べられてこなかったのに突如現れたことへの違和感が拭えない。各章は別々に投稿されたもので、本書はその寄せ集めという性質から仕方ないのかもしれないが、メッセージの一貫性という意味では消化不良感が否めない。
とはいえ、最近のニュースについて、特に参政党への賛成派と反対派の議論の噛み合わなさは、非常に納得できる。リベラルが救うのを怠ってきた曖昧な弱者からの反撃のメッセージとして一読すべき良書であることに疑いない。
Posted by ブクログ
第7章の図7-1と7-2は、現在における対立軸を図式化できてると思う。ただし、文化闘争から経済闘争に置き換える議論は特段新しいわけではないと思うが。けど、少なくとも、現状の説明として図は一定程度参考になると思う。
内容を、以下で簡単に整理してみる。
「曖昧な弱者」として想定されてるのは、非正規雇用者、中小企業社員、自営業者などの経済的にロウアーミドル層に分類される人々だという。彼らは、「明白な弱者」としての女性や外国人といったマイノリティと、その権利を守るリベラル派を敵対視し、それらと敵対する勢力と結託しているという。その勢力として挙げられてるのが、ひろゆきや高市総理などだという。彼らが「明白な弱者」とリベラル派に敵意を抱く根幹には、アイデンティティ・ポリティクスによる文化闘争があるという。
その文化闘争を経済闘争に変えようと述べるのが第7章の肝だ。そうすれば、弱者同士で連帯が生まれ、自らの権利を守るための社会制度設計を目指すことが可能になると、著者は述べる。
個人的に良いと思ったのは、現実として連帯できていない弱者たちが、それぞれの置かれた困難な状況を超え、連帯できる道を探っている点にあると思う。
ただ、ここで問われるのは、どのようにお互いの立場を超え連帯するのか、というところだ。そもそも「明白な弱者」が抱える困難と、「曖昧な弱者」が抱える困難は、彼らの置かれた立場を考えれば違うことがわかる。前者は社会における承認が得られないこと、後者は経済的に不利なこと、が主な困難だろう。では、それぞれ異なる困難を抱える人々がどうすれば連帯できるのか。これが失敗すると、両者は結局対立するだけで終わってしまわないか。
もう一つ。「曖昧な弱者」は、非正規雇用者、中小企業社員、自営業者などの経済的にロウアーミドル層に分類される人々としているが、この中にも大きな分断があるのではないか。たとえば、非正規/正規の雇用の違いは大きな分断ではないか。
このように考えると、「曖昧な弱者」内部にどれだけ意識としてのまとまりがあるのか、そしてそれをどれだけ前提として良いのかが微妙になってくる。実は、「曖昧な弱者」という分類自体が机上の空論で、実社会では存在していない可能性もある。
そうはいっても、社会全体で弱者概念をもう一度考えてみよう、という議論の初発としては、十分な提案だったようにも思う。
Posted by ブクログ
貧困者や被差別者など"明白な弱者"には含まれないが、決して恵まれた立場ではない"曖昧な弱者"という定義はとても腑に落ちた。ロスジェネ世代としては我々にもっと手を差し伸べてくれとは思いますが、自分より弱いものを見つけて叩くという社会は不毛でしかない…。
Posted by ブクログ
目まぐるしく変わる政治
一瞬でヒーローになった人がもう消えたり
様々な政党が
躍進したかと思うと
たちまちリーダーが叩かれたり
憎悪 敵意 ばかりじゃ
良き方向には進んでいかない
Posted by ブクログ
令和の若者はなぜ熱狂し、信奉するのか。
ひろゆき、石丸伸二、参政党、そして高市早苗...
なぜ彼らは社会を動かしたのか。
本書ではそこに「曖昧な弱者」という要素を見出すことでこれらの"旋風"に共通点を見出していく。
時代の潮流が掴みにくくなったとされる令和の時代、
大衆から個人へと消費や関心が変化した時世において、もはや全体を可視化しながら巻き込むことができる手段は非常に少ないだろう。
しかし、我々が細分化されていると考えられてきた思考は、意外にもその背景の陰で強大な世論を築きあげている。
本書の表題でもある「曖昧な弱者」。
本書においてはこう定義されている。
「中間層の二分化、すなわちアッパーミドル層とロウアーミドル層との間の「曖昧な格差」のもとで、極端な困窮ではないものの困難な生活を強いられるという「曖昧な貧困」に苦しめられる新たな弱者」。
そうした彼らがなぜ"熱狂"を選択したのか。
以下では本書に綴られていた中でもとりわけ重要な指摘がなされていた点について抜粋する。
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①ひろゆきと"優しい"?ネオリベ
本来、強者をより強者へ向かわせ、弱者をより弱者へと向かわせる要素を持ち合わせている「ネオリベラリズム」を信奉する若者が数多く存在している。そんな逆転現象を牽引した人物こそ、ひろゆきなのである。
いまや日本において、平均でいること、あるいは本書にもあるように中間でいることの難易度はかなり高いものと言えよう。その要因はふたつと考える。
ひとつは格差の拡大と実質賃金の減少、もうひとつは中間の理想化である。
要は、自らの居場所が地盤沈下し続けているにもかかわらず、ハードルは皆の力によって押し上げ続けられているという状態である。
さて、終身雇用や年功序列など主に企業を中心に事実上の高福祉社会を成立させてきた日本においては、平均であれば困窮することはないというある種の共通認識が存在してきたと言えよう。これは現代においても同義である。そうした思考が我々に宿り続けているものの、社会は変容し、いつしか高福祉の恩恵を受けることが難しくなった。
彼は「ネオリベラリズム」によって一発逆転のチャンスがある、ライフハックを中心にその抜け道を照らし出す。
その特有のスタンスは、時に意欲のある若者を叱咤しつつ激励し、時に病める若者を励ます。「弱者」を自負しながらも「弱者」として認知されず、あるいは競争に疲れ果て、意欲があってもその力を発揮できないと絶望したことで「弱者」を自認せざるを得ないような、そんな「曖昧な弱者」たちにとってひろゆきがヒーローとなるのは自然なことかもしれない。
②自己啓発系政治家? "石丸伸二"
広島県北部に位置する人口約23,000人の市、安芸高田市。同市の市長を務めていた人物、石丸伸二は突如その職を辞職し、首都東京の都知事選に立候補した。
当選には至らなかったものの、その順位は2位、獲得票数は約165万票であった。
なぜ石丸旋風が起きたのか。
なぜ彼は若者を動かし、そして若者は政治を動かしたのか。
本書では彼が人気を博した理由を、
前政治的な政治活動をしたこととしている。
何より彼の知名度を上げたのは、安芸高田市議会における彼の"対決姿勢"であった。
居眠りをする議員を名指しで注意し、嫌がらせに対して明確に異議を唱える。
その構図を、とりわけ曖昧な弱者とされる人々は自らを圧迫する強者に対する対決姿勢そのものと捉える。その上石丸は"勉強"や"テクニック""コツ"など、彼らが成り上がる為のアドバイスを多数投稿し続けていたのである。
「経済成長の時代を知らず、そもそも「世の中がよくなる」という実感を持つことができない彼らからすれば、「世の中をいかにしてよくするか」を語られても、空疎なフィクションのようにしか聞こえないのではないだろうか。」 P67 L9
「低成長の時代しか知らず、社会全体が成長していくというイメージを持ちにくい彼らには、その一員であるだけでは成長できないという感覚があるのではないだろうか。つまり社会の成長戦略は当てにならず、それに乗っていてもジリ貧になるばかりなので、自己の成長戦略が別途必要となる、というわけだ。その結果、「社会のよき一員」になるよりも「よき自分」になることが重視され、自己啓発的な意識が高まる一方で、社会的なものへの関心が薄らいでいく。」 P73 L9
「今日の社会では、とりわけ雇用の問題から、不安定で流動的な状態からいつまでも抜け出すことのできない人たちが多くなっている。彼らは「周縁的人間」のまま、成長と自己実現のための機会を十分に与えられることもなく、それゆえにそのための欲求をいつまでも持ち続ける。いわば「永遠の若者」だと言えるだろう。今回、石丸氏を支持した中年世代の中には、そうした人たちも多かったのではないだろうか。」
P82 L11
上記の三箇所には極めて重要な指摘がいくつもなされている。
曖昧な弱者を守り、そして明確な強者へと立ち向かい、その知識や特有の着眼点によって淘汰を図ろうとするその姿勢はひろゆきとの共通点も見られるだろう。
③"オールド"アレルギーな社会
"オールドメディア"、テレビや新聞などのいわゆるマスメディアに対して用いられるこの蔑称は2020年代を象徴するような言葉だと言っても良い。
④積極財政信仰 〜リベラルから保守へ 参政党と高市旋風〜
Posted by ブクログ
「明白か?曖昧か?」、その補助線を引くだけで、世界がこんなに観察できるようになるとは!多くの方に「必読」と言わせたのも納得の一冊。
リベラルと自認する潮流がなぜ人気ガタ落ちなのか。高市政権や参政党の跳躍とそこにくすぐるドグマを、キーワードひとつで浮かび上がれせる技が凄い。一方で、まさに「曖昧」がゆえに、実際どうする?の議論にはとっつきにくさもあり、伊藤先生が打ち出した補助線を、僕らがどう活かしていくかには、またひとつ発明が必要な気もしている。取り急ぎ、いち商売人として、補助線を意識しながら、この社会に参加しながら、答え合わせしていきたい。
Posted by ブクログ
日本の現状を政治的な出来事、インフルエンサー、事件から読み解く本書。まず自分が政治についてあまりに、無知であることを知った。その上で左右、上下、新旧対立。リベラル、ネオリベラルなどいろんな立場の考えを知ることができた。
曖昧な弱者という言葉を定義することで、明白、曖昧、弱者、強者という切り取り方で今の日本の現状を、紐解いていく。ごちゃごちゃしていたものが読み進める中で、少しずつ整理されていくのが快感であった。
思ったことは、人はやはり、自分が可愛くて、無いものねだりする生き物であるということ。近年、メディアの発達もあり、人の立場みたいなものが多様化して、今まではっきりしてなかったものがどんどん出てきている。そんななか自分はどういう立場かを選び、設定し、他と比べ劣っているところを見つけては批判する。優っているところについては何も言わない。それは人の在り方としては当たり前のことなのかもしれない。ただ、今はそれを言いやすくなったということなのかな。
山上容疑者の分析は面白かった。エリートの家に生まれ、将来約束されていたが、母親と宗教によって壊れてしまった。世の中の全てを憎むような人生。それを自己責任と言われてしまう人生。それってあんまりだ。山上容疑者を生み出したのは社会なのかもしれない。そう考えた時、人は皆平等みたいに言うけどそんなことはなくて、生まれ、親でかなり決まってしまう。そうなったとき社会はどうあるべきか。自分としては何ができるか。様々な立場、属性がある中で、山上容疑者の人生のどこかで何か光が、優しさがあったらよかったなと思った。
また、弱さとは何かについても考えた。弱いってなんだ?赤ちゃんの弱さは強さでもある。でも守ることで弱くなるということもある。弱いのは悪いことなのか。誰が弱いを決めるのか。結局は自分の心次第なのか。弱い強いは絶対的なものでは無い。
意図的に弱いを設定して、それを助けることで恩を売るような、それって実は自分のため。マウントを取ることで自分の強さを誇示する。利他のようで利己。
最終的に思ったのは、わかったつもりにならないこと。対話を続けること。強い弱いにとらわれずに自分なりのペースで。そのためには、相手を尊重すること、相手の背後にあるものを読み取ること。そのための想像力を、高めること。それが大切。