あらすじ
「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて……」明治初頭、十七歳で結婚。小樽湾の岸壁に立つ小さなパン屋を営み、病弱の夫を支え、六人の子を育てた母セキ。貧しくとも明るかった小林家に暗い影がさしたのは、次男多喜二の反戦小説「蟹工船」が大きな評判になってからだ。大らかな心で、多喜二の「理想」を見守り、人を信じ、愛し、懸命に生きたセキの、波乱に富んだ一生を描く感動の長編。
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Posted by ブクログ
小説「蟹工船」で有名な小林多喜二の母・セキが語る、小林多喜二および小林家の歴史。
この小説のすごいところは、セキの語り口調が自然な東北(秋田?)の方言で、まるで実際にセキからインタビューしたみたいに書かれていること。
あとがきによると、三浦綾子さんは夫の光世さんから「小林多喜二の母を題材に書いてほしい」と言われて、取材をしたり資料を集めて書いたのだそう。「きっとこんなふうに話すだろう」と、母としての立場とその心情を想像しながら、それを小説に落とし込んでいったってことだよね。すごすぎ。
三浦綾子はやっぱすごい。
近藤牧師が「神の恵みです」と言いながら泣いたとき、私も一緒に泣きました。そうなんだよ、キリストと一緒にいたいと思えるって、神の恵みなんだよね・・・。
Posted by ブクログ
秋田弁で人好きのする語り手は小林多喜二の母、セキがモデル。終始話し言葉なのに飽きないで読んでいられる。自分が話を聞いているようで心が和んだ。言葉からぬくもりを感じ、このおかあさんになら何でも話してしまいそうだ。
百姓の貧乏な暮らしから抜け出せない負の連鎖が辛かった。世の中を良くしようと立ち上がる人がいなければ変わらない。
神も子を失っているという視点を初めて得た。殺された多喜二をイエスに、セキをマリアに重ね合わせるのは確かにそうなのかもしれないと思わされた。
なによりも、セキが遺した文章に心が動かされた。幼少期勉強をしている余裕がなかったから、あとから文字を学んだという拙さがあるからこそ、心情を吐露したこの文章に率直さが表れていると感じる。言葉ってなんて貴重なものだろうかと思う。
文字を読めないセキに話して聞かせる多喜二や、絵を見せて語る近藤牧師のような、分け隔てなく学びの場を設け共に進もうとする姿勢に感銘を受けた。一生を通して考え続けることは決して無駄じゃないと思う。
母心の切なさ
「蟹工船」で知られる小林多喜二の母小林せきの全生涯が印象的。秋田の貧しい小作農の家に生まれ(明治6年)、3,4歳で庄屋の赤ん坊を負ぶって子守をし、小学校にも行けず、その代わりに副業の自宅そば屋を切り盛りし、恐らく口減らしの為に僅か13歳で嫁にやられたと云うのですから。でも周りも皆貧しく、自分は女郎に売られなかっただけ、まだましだったと言うのです。海外での反響が大きかった「おしん」の映画版DVDを先日見たのですが、東北の農家の貧しさが切ない。長女を出産後直ぐに亡くし、中学入りたての長男も亡くし、多喜二が高商を卒業し、働き始めた矢先には連れ合いを亡くしと苦難の人生にも拘わらず、せきの明るさ、強さが凄い。でも多喜二の悲惨な死に様は相当応えた様子で「多喜二が死んで5年がほどは、多喜二の夢ば見ない日は一日もなかった」には、こちらも胸を塞がれます。最後に出てきたせきの書いた殆ど平仮名のどたどしい詩が、その稚拙さ故に圧倒的な力強さで私の魂をゆさぶりました。
「あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
ーーー
なきたいどこいいてもなかれ
ーーー
あーなみたかてる
めかねかくもる」
小林多喜二は昭和8年2月20日に29歳で亡くなっています(特高による虐殺)。
Posted by ブクログ
朗読会の作品として取り上げられていたため、読んでみたかった。
三浦綾子作品はほぼ読んだつもりだったが、知らなかった。
蟹工船の作者である小林多喜二の母セキの物語。
セキが自分語りをする中で浮かび上がる、貧しさと明るさ、清らかさ。
7人産み3人が亡くなる。そのうちの一人が次男である多喜二。多喜二が身請けしたタミちゃんのこと。
日本一の小説家でなくていいから、朝晩のごはん、冗談を言い蓄音機を聞きぐっすり眠る、そんな夢も叶わなかった
…
もちろん時代も違うけど幸せの基本はここにあると痛感する。多喜二が警察で拷問を受け亡くなったとき、
私は多喜二だけの母親ではない、と生き続けたこと。
産んだ子を失う、それだけで十分に辛い。それが3人、そして一人は拷問を受ける。それを忘れはしないが、キリスト教の教えと、子ども、周りの人に支えられ生きていく様子が目に浮かぶ。
作中、いくつか疑問に思うこともあったが、それ以上の
『母』。
Posted by ブクログ
仕事関係の方に勧められた本
小林多喜二の書いた本を一冊も読んだことがないけれど
警察の拷問で亡くなった方というのは知っていた
その方のお母様の言葉として書かれた小説
やはり、切なく悲しく愛に溢れて、しかし淡々と書かれていた
Posted by ブクログ
「蟹工船」の作者、小林多喜二の母、セキの話です。
この本を知ったきっかけは、「平台がおまちかね」という本。
私は蟹工船を読んだことがなく、「ああ、学校の授業で習ったなぁ」くらいにしか覚えてなかったのですが、「母」を書いたのが三浦綾子さん、ということで興味を持ちました。
昭和初期、というのはどうも、どの本を読んでも思うことだけど、嫌な、暗い時代だったんだなと思う。
言いたいことを自由に言えない時代。
正しいことを言うと捕まる時代ってなんなのだ。
もしタイムマシンでこの時代に行けたなら、日本をこんな国にした奴(誰だか知らんけど)のところへ行って、「バカ」と頭を叩いてやりたい。
小林多喜二がどういう人で、どういう亡くなり方をしたのか全く知らなかったので、これを読んでショックを受けました。
常に貧しい人のことを考えていて、日本を良くしようと思っていた多喜二が、まさかあんな死に方をしなければならなかったなんて、セキさんの辛さは計り知れない。
俄然、蟹工船を読みたくなった。
Posted by ブクログ
小林セキという小林多喜二の母の話。義理の兄の借金などで、ひどい貧乏に暮らしてきたが、そんな義兄もパン屋で当たって、小樽で夫婦で手伝うことになった。パン屋には、人夫たちも多くやってきて、苦労話や身の上話を手拭いで涙を拭き拭き語っていく。そんな人の話を聞いてあげることはとても良いことなんだと感じたものだという。
多喜二は拷問の末に命を落とすが、本書が一定の明るさというか、ほのぼのしさが漂っているのは、小林一家が非常に明るい、貧乏だけど底なしに明るい一家だったからだろう。
貧乏で暮らしが苦しい描写がおおいものの、親と子と兄弟と親戚と、その夫婦と、お互いに気持ちの通いあった者同士がいたのが救いだった。