あらすじ
「「やればできる」の幻想を超え、教育の本質を科学で問い直す一冊。」中室牧子氏(教育経済学者)
「脳は、教育してしまう臓器である。そして学びは、“才能”の外にあふれ出す。」毛内拡氏(脳神経科学者)
「流行りの教育論をことごとく転覆させる問題作。ほとんどの子育てハウツーが不要となる。」おおたとしまさ氏(教育ジャーナリスト)
教育は何のためにあるのか。なぜヒトは教育をするのか――。
学習はどのように遺伝的か。親が原因なのか、子どもが原因なのか――。
学校の勉強に価値はあるか。素質がないことをやるのは無意味か――。
能力をどのように考えるか。遺伝的な素質が花開くには――。
本書は、教育に関わるすべての人に向けて、ふたご研究の第一人者で行動遺伝学や教育学の専門家が、教育と学習の成り立ちを生物学的基盤から見直すための頑健なエビデンス・科学的知見をユーモアたっぷりに伝える。
知能に遺伝の影響があると聞くと、もっと頭を良くしたいという欲求への制約ととらえ、遺伝を呪います。(中略)そもそもなぜ頭が良くなりたいと思うのでしょう。(中略)環境がそんな頭の良さなどをあなたに求めてこないとしたら? あるいはあなたが思い描くことのできる賢い行動をさせてくれる環境が、あなたの目の前にないだけだとしたら? いまのままのあなたの頭の働き(能力や好みや価値観)がそのまま存分に発揮できる環境に向かっての自由を求められるとしたら? ――本文より
やや挑発的なことを申し上げるのには、2つの意図があります。
一つは、読者が私のこの意見に同意してくださり、教育の形式的側面や、それによって生じている優生的状況を共に批判的にとらえ、学歴にとらわれず、一人ひとりの実質的な姿を、おそらくいかなる人にも内在し外に出てきているであろう一人ひとりの価値を積極的に認めあうことのできるよう、それぞれが心を砕いてくださることを期待しています。
もう一つはそれと正反対に、私のこの説に反発を覚える方が、これを覆す、真に優れた教育法や教育制度を創り出してくださることをひそかに期待しているからです。――本文より
遺伝の影響を無視して教育を論ずることの不誠実さ。「生まれつき」と「努力」と「教育」の関係の真実。能力主義や学歴主義の再考を徹底的に論じる決定版。
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Posted by ブクログ
本作は、行動遺伝学を通して教育の意味を問いかける一冊です。
人間を生物(ヒト)として考えた時、種の中で上位の階層を目指すために、現代社会において最も分かりやすい指標は、お金と学歴ということになるのでしょう。
では、お金や学歴を生み出すものはなにかと考えた時、能力が非常に重要になるわけですが、能力を養うためには教育が必要であり、その成果指標として分かりやすいものが学歴なのだ、という話になってくるのではないでしょうか。
ところで、能力は遺伝で全てが決まるわけではありませんが、「能力に遺伝の影響がある」ことは行動遺伝学の知見で明らかになっています。
しかしながら、能力が遺伝で決まると言明してしまうと、ならば生まれつき能力がない者は努力しても仕方がない、という遺伝決定論にもつながる危険性があります。
なので、その考えはタブー視され、その行く末は「なんでも努力すればできるようになる」という努力万能論にも行きつくことになりますが、一方で、これは非常に残酷な一面を持ちます。
つまり、誰でも東大に行けるなんてことはなく、仮に東大を目指したけれども行けなければ、それは本人の努力が足りなかったせいだ、ということにもなり、その結論はある意味で遺伝決定論より残酷なものとなってしまうことに。
著者は、巷にあふれる教育論に関し、「世には…理想の教育とはなにかを謳った本があまたあります。教育に関する研究や書物のほとんどは、こうすれば教育はうまくいくという内容ばかりといっても過言ではないでしょう。しかしいまだにそれが実現できていないのも明らかです。…いつまでたっても実現されないのなら、考え方を変えてみるべきではないでしょうか」と本書で疑問を投げかけます。
また、能力や性格の多くは遺伝に影響され、教育はそれを一時的に変化させることはできても、根本から作り替えることは難しい、とも指摘します。
学術的には、「教育」は人間特有の学習の仕方で、生命史においてまだ獲得されて間もない生存戦略だそうです。
(なお、人間以外の一部の生物にも教育が確認される例はあるようです。)
では「教育」によってできることは何か、ということを、著者は行動遺伝学の知見から分かりやすく示そうとしています。
オビには、「流行りの教育論をことごとく転覆させる問題作」なんて言葉もありますが、教育論として考えた時、本書はかなり異端な内容だと思います。
しかしながら、科学的なデータに裏打ちされた説明は非常に興味深いものでした。
生きていくうちに、興味をそそられ成長しようと思わされる出来事があったならば、それは自分自身の内側にその出来事に反応する何らかの遺伝的素質があることを示唆しています。
行動遺伝学を学ぶことは、「自分はいったい何者なのか」を追求することなのかもしれません。
Posted by ブクログ
行動遺伝学者が教育を生物学的に説明した本。
遺伝か環境かといったありきたりな議論ではなく、教育に遺伝的要素がどのように関わり位置づいているのか、生物学的な教育とは何かといったことを大局的に説明したところが新しく目から鱗だった。
まず、教育の実質的側面と形式的側面について、それぞれを内発的動機づけを司るデフォルトモード・ネットワーク(DMN)と、外発的動機づけに関係する中央実行ネットワーク(CEN)を対応づけた解説はとても説得力があった。
DMNの内発的動機によって向けられた課題への集中が、CENによる課題没頭のフロー状態を生みだすということも初めて知った。
また、生物学的な教育の定義も参考になる。簡単に言うと、
①知識を持たない個体がいるときに限り行う特別な行動であり、
②その行動にコストがかかるか、何の利益もない利他的行動であること
③そして、行動によって学習が成立、もしくは促進されること
の3条件を満たすのが教育であり、特に②の「わざわざ行う」ことが特異な行動なのだ。
この特異な行動を行うと確認されているの種がまた面白い。
まずはヒト。そしてそれ以外は、ミーアキャット、ムネボソアリ、シロクロヤブチメドリの4種である。
狩りの方法を見せるなど、さまざまな生き物の教育として見られる模倣は教育的行為ではなく、観察学習(社会学習)である。
双生児法という研究法によって明らかにされた、知能や性格、精神・発達障害などへの遺伝率のデータや、「遺伝とは形状記憶合金である」という例え、そして環境の影響は「いま、ここ、これ」の一時的なものだという知見、テストは百害あって一利もなしなど、教育者にとっては認めたくないようなことも多く書かれてある。
しかし、その上で筆者は教育が制度的、文化的営みである以前に生物学的な現象であるとする。
学校制度の形式的側面が強調される場においても、遺伝的素質がある実質的、創造的な教育の側面を経験できるといいと感じた。
Posted by ブクログ
「教育脳」というそのタイトルから、教育学と脳科学の境界にある内容だな、と想定して読み始め、その当ては良い意味で外された。
そこに留まらない。実存にも関わる意味で、哲学と言っても過言ではないと感じた。
結論を消化するのが難しい。
というのも、主張が「学力も知能も習慣もほぼ遺伝で決まる」という残酷な現実と、
「遺伝で決まっているからといって人生が決まるわけでもない」という、ある意味で相反する主張の間に帰着するからだ。
分かりやすい、単一の答えに帰着しない。
勉強してもムダ、と勉強してもムダなわけではないという、矛盾律に違反するような、微妙な論なのだ。
自ら、今興味と、必要性が揃って、主体的に学んだものでないと、自分に定着しない。
しかし本当の意味で身になるのは、今すぐ使うものだけ。
それ以外は、無意識のレベルでしか身に付かない。
確かにあらゆる知識も経験も、恐ろしいほど消えてしまう。
小学校の時にあれだけ接していた人の名前も顔も忘れてしまう。
散々繰り返して覚えた知識も技術も、使わないうちに忘れる。
しかしなぜか、そうした過去の経験も、無意識に血肉になっている。思い出せずとも。
公的な教育は尊いものだ。
そのおかげで確かに治安は守られ、知識や技術が継承され、自由な職業を選らべる素地が生まれ、道徳を持てる。
教育が充実している社会とそうでない社会には、はっきりとした差がある。
長い長い歴史の中で、少しずつ知識と技術が継承され、今これだけの複雑で難解な文明が維持できている。これは紛れもない事実だ。
然しその背後には、万能なわけでも、確実なわけでもない科学的な事実が隠れていて、確率から逃れられていない。
シュレディンガーの世界だ。
同時に無為自然の世界でもある。
少なくとも、柔軟に受け止められそうだ。矛盾のある世界を。
Posted by ブクログ
後半に行くほどよくなった!
前半ちょっと微妙かも?とおもったけど後半に行くにつれ前半の論旨展開がきいてきて最後に繋がった!
遺伝、共有環境、非共有環境のまとめもよかったし、日本教育の俯瞰もよかった。