【感想・ネタバレ】全思考のレビュー

あらすじ

地球温暖化も、携帯電話による人類総奴隷化も、すべての危機は、気づいたときには手遅れだ。道具の発明で便利になれば、その分だけ人間の能力は退化する。人類は叡智を結集して、破滅しようとしているのか!? 生死、教育、人間関係、作法、映画――五つの角度から、稀代の天才・北野武が現代社会の腐蝕を斬る。世界の真理に迫る傑作エッセイ!

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Posted by ブクログ

笑いの「間」とは、客の笑いが収まる瞬間を見極めて即座に次の笑いを打ち込む技術。少しでも速いと、聞き逃した客が不快になり「冷めて」しまう。逆に遅いとしらけてしまう。

「友情」とは無償のもので、保険の掛け合いとは違う。「お前が困ったら、いつでも助ける。俺が困ったら、お前の前には絶対現れない」

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2014年11月01日

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・友情というのは、こちらから向こうに一方的に与えるもので、向こうから得られる何かではない。友情とは、自分の相手に対する気持ちだ。

・後輩が先輩を立てるだけじゃなくて、先輩は後輩に上手いこと立てさせてやらなきゃいけない。それではじめて、お互いに気分よく付き合える。
先輩が煙草を吸うのを察して火をつけてあげるのも作法なら、後輩に何気なく火をつけさせてやる気遣いもまた作法なのだ。

・たとえ知っていたとしても、一応はそうやってちゃんと聞くのだ。そうすれば、専門家というものは、きっとこっちの知らないことまで話してくれる。
井戸を掘っても、誘い水をしないと水がわいてこないように、人との会話にも誘い水が必要だ。

・どんなにワインに詳しくても、ソムリエにワインのことを語ってはいけない。そんな事をしたら、ソムリエは何も大切なことを教えてくれなくなる。

・自分で経験した「みたいな」を表現するのがアート

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2025年06月22日

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友人に勧められて呼んだ本。
正直北野武さんの大ファン、という訳ではなかったが、とても面白く、すぐに読んでしまった。

流石の北野武さん…思考の深さや幅など、良い意味で飛び抜けていて学びになる。
何度でも読みたい。これからの人生に光をくれる本。

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2021年03月15日

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数年振りの再読。
この前の紅白でたけしさんが歌っている姿を見て、本棚から引っ張り出して来ました。
すごい人って、完璧ではなくても中身が濃いことが分かります。
色んなことを考えて、経験して、グチャグチャになったものが詰め込まれて醸成されている感じ。
それが口から吐き出されると、なんとも言えない風味が伝わってきます。

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2020年01月25日

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ネタバレ

 一つの考え方としてとても面白い。たけしさんが言うからこそ説得力がある。こんなに凄い人がこんなに庶民的なことを考えていたんだと思わせるだけで、価値がある。

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2018年01月24日

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ネタバレ

TVで見るあのおちゃらけてるひとと
あのかっこいい映画を撮影するひとと
この哲学的な文章を書くひとが同一人物だなんて。

義務教育からコツコツと積み上げてきた思考と、
芸能界で叩き上げた努力がこれを書かせたのであろう。

おもしろかった。

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・料理人に会ったら料理のこと、運転手に会ったらクルマのこと、坊さんに会ったらあの世のことでも何でも、知ったかぶりをせずに、素直な気持ちで聞いて見たらいい。自慢話なんかしているより、ずっと世界が広がるし、何より場が楽しくなる。P138


・カラダ貼って生きてきた職人の生き方が酒を飲む姿に集約されているんだろう。ああいう姿を見ていたら、酒はこうやって飲むものだなんて作法を教わる必要なんかない。P149


・イチローがヒットを打って客席は大騒ぎしているのの、本人のイチローが首を傾げていることがある。「あのヒットは駄目です」って。周囲の声に関係なく、自分のバッティングを冷静に客観的に見ているのだ。世界一の記録を作って人気者になって、イチローの野球人生は幸せいっぱいに見えるけれど、きっと周囲が想像するほど楽しんではいない。P191

・自分が好きな映画を作ることと、自分の作った映画が好きなことことは違うのだ。P192

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2017年05月27日

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北野武が作法などについて語った一冊。文章を読むうちに、本人が訥々と語っているような気がしてくるくらい、深く入り込んでいた。特に最後の「神様はどうしていろんなことを、俺ひとりに被せるんだろう」の下りは不思議な味わいがある。最初と最後を見て面白いと思ったら買いかも。

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2012年08月05日

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たけしの視点は面白い。
大人が憧れる、少年の感性を持ったまま大きくなった大人のよう。
現実逃避してから読みたい。

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2010年06月13日

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やっぱり好きだー!
彼の本を読むと、自分が少しだけまともになったような気がしてくる不思議。
そして、彼の真摯さに脱帽します。
日本人は全員読むべし。

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2010年01月14日

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「山鳩の雛を育てた親子と山の反対側で同じく鷹の雛を育てた親子が雛の成長を喜び空に話してやった。そしたら、鷹が山鳩を食べ山の反対側では食べられたと泣いた。向こう側では鷹が初めて餌を取ったと喜ぶり人生の喜びも悲しみも根本的にはそういうものだ。この世で起きることには本来何の色もない。喜びや悲しみの色をつけるのは人間なのだ」

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2022年08月09日

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北野武が日々思っていることを一冊にまとめたエッセイ。
正直、北野武のことはごくごく表層的なことしか知らない。
でも、北野武という人が「どう感じているのか」ということがよく伝わって来ました。
この本を読んでいて何度も出てきたキーワードは「下品」と「恥ずかしい」という言葉。
「上品」という言葉は聞きます。「××の品格」なんてもんがちょっと前に流行りました。
でも「下品」であることを非難する風潮ってすごーく弱い気がします。
そもそも「品」に関する共通認識がないからなのかな。妙に「品格」とか小難しい言葉に祀り上げちゃうからいけないのか。ともかくとても「新鮮」に響いたのでした。そして強く共感しました。
お高くとまりたくはないし、自分を落とすのもよいけど、「下品」にだけはなりなくない、というたけし氏の感覚。

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2018年04月06日

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ネタバレ

料理人に会ったら料理のこと、運転手に会ったら車のこと、坊さんにあったらあの世のことでも何でも、知ったかぶりせずに、素直な気持ちで聞いてみたらいい。
自慢話なんかしているより、ずっと世界が広がるし、何より場が楽しくなる。

「ごちそうさま。今日は勉強になりました」と言って席を立つことの方が、鮨屋でのいちばん大切な作法だと俺は思う。

じゃんじゃん引き出せばいくらでも引き出せるのに、世代が違うと話が合わないなんて言うのは間違い。話が合わないんじゃなくて、話を引き出せない自分がバカなのだ。

メールが世の中に広まってから、若者の思考回路も、メールのレベルに引きずり降ろされてしまった。今の若い連中は、考えてメールを書くんじゃなくて、メールで書けるくらいのことしか考えなくなってしまったいるんじゃないか。

単なる言葉の流行りではなくて、「みたいな」という言葉の流行には、思考能力の退化という問題が絡んでいるんだと思う。

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2018年03月18日

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ネタバレ

子供が世の中に出た時に、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心を育ててやるしかない。

人間なんてものはどんなに格好つけていても、一皮剝いたらいろんな欲望の塊みたいなものだ。でも、だからこそ、その一皮のプライドを大事にしなきゃいけない。それが文化というものだろう。

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2016年04月17日

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北野さんの本は
言葉と文章に味がある。
独特の人懐っこさというか甘えん坊のところとかシャイなところ含めて可愛い。
こういう表現をする人が
いなくなってしまうようなら残念

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2016年04月13日

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随分前のことだけど、私の兄が街で北野武を見かけて握手をしてもらい、それが嬉しかったらしく「今日ビートたけしに会って、握手してもらったよ、普通のおじいさんだったよ」とメールをくれたことがある。

うちの父がちょうど北野武と同年代で、背格好や雰囲気がどことなく似ていると私は思っているので、兄のメールの件もあいまって、親近感のようなものを勝手に抱いている。

大御所と言われるようになった今でもテレビでくだらないことをやって(そして大抵、すべって)いるけど、本当はとても知的で奥ゆかしい人なのがこの本を通してよくわかる。そしてくだらないことをやり続ける理由も分かった。ただ、すべっているのが計算なのかは分からない(笑)。

有名な騒動で前科者になったり、命を落としても不思議ではないような事故を起こしたり、ハチャメチャな人生を送っているけど、今の時代には失われつつある本当の「粋」を感じさせるかっこいい大人の男だと思う。この人の人生哲学をもっとたくさん聞かせてほしいと思う。

特に第四章の「作法の問題」の下記の一節は、いつでも見返せるようにそのまま引用したい。

『作法の究極は気遣いだけど、その気遣いは、作法の型を繰り返してカラダに叩き込むことで、自然と身につくというわけだ。作法にはそういう意味もある。
頭で考えさせることも大切だけれど、作法を実践させることはまた違うのだ。
野球だって、練習だけで試合をしたことのないチームが強いわけがない。芸人も、客の前に何回出たかが勝負だ。2人で漫才の練習をどれだけしようと、1人でも2人でもいいから客がいる前で演る1回にはかなわない。
作法だって、1回でも多く実践したヤツの勝ちだ』(P127)

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2016年04月06日

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昔からビートたけしの面白さがわからなかった。
今もそうかもしれない。
自身の中で関東の笑いと関西の笑いを区別してしまうことは正直なところある。
関西にはお笑い番組が溢れてて、その中で育った僕もやはり小中学生時代は女の子にもてたいやつよりは面白いやつをひたすら目指したクチだ。
そんな僕が今になってビートたけし、北野武を知ろうと思ったのはほんの些細なきっかけに過ぎない。
この1冊で理解できたか分からないが、少なくともそこには日本の粋な1人の人間が映し出されていた。
芸人だからとかではなくて、日本の文化や思想がしっかりと形になってる。
そうすると具体的な説得感や納得解が腑に落ちてしまう。
なんか悔しいけどカッコいいとさえ思ったさ。
北野映画をまた観たくなっちまったぜ。

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2015年05月23日

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「単なる保険の掛け合い」は友情ではない。だから「お前が困ったら、俺はいつでも助ける。だけど、俺が困ったときは、俺は絶対にお前の前には現れない」が正しいと北野武は言う。単なる保険の掛け合いに堕していないか、ともすると八方美人な態度を取りがちな自分自身に改めて問いかけてみたい。
北野武の鋭いこうした洞察にはいつも感心してしまう。

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2014年09月14日

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北野武さんの本を初めて読んだ。
共感というか、やっぱりそうなんだよなと勉強させられました。
続編の超思考も読みます。

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2014年08月04日

Posted by ブクログ

「超思考」の前掲。武さんの社会問題にたいする考え方。

最近こういう話題で目上のひとの意見を聞くことがめっきり減った。新鮮。
教育問題は共感部分もあるがそういう風潮でもなく難しいんだろうなと、自分なりの解決案が見いだせない。

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2013年11月13日

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はじめはただ、どんなことを書いてあるのだろうと探る気持ちで。
やはり有名な人が書いた本を読むとき、はじめは疑いながら読む。
「ほんとうに面白いのか」
なんて考えて。

最後のほうは、
「ああ、やっぱりこの人は面白い人なんだな」
と感じました。
さまざまなことを考えさせてくれる本というよりは、
私が考えていたいくつかのことを、北野さんという視点に変えて確認したという印象が強いです。

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2012年06月23日

Posted by ブクログ

彼なりの考え方で、正論ではあるがいかに租借しているのかがわかる。賛同できる部分も多々あるし、新しい発見もあった。時々解せない部分もあるにはあるのだけど、これは当然なのでしょう。
ボリュームも文句なし、500円ぐらいなら買ってよいとおもう。

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2012年04月23日

Posted by ブクログ

全部が全部賛同できるわけではない。
「教育の問題」など、突っ込みどころはあるが、概ね「共感」できる。この人は底辺から這い上がってある意味での頂点にいるからこそ、そこから見られる景色があるし、底辺と頂点の両方について述べることが出来る、鋭敏な感性をもっている。底辺やその渦中にいる者が、客観的に己が観られるなんて、稀だ。そこから抜きんでることが出来たまれびとなのだ、北野武は。

本屋によく立ち寄る北野がそこで出会った万引き監視員のおばさんと、3回しか会っていないのに、3回目の最後にはきちんと出会いがドラマになっている、これは映画にできないかと考え込んだというエピソード。
これ自体はどうということのない話だが、このドラマを感じる感覚は、インターネットの本屋では体験できない。コンピュータの前に座っていたら、そういう体験は絶対にできない。そういう話になっている。
これには身につまされる。リアルだからこそ感じ取れることだし、感性も働かせられる、きちんとひとつの「出会い」になっている。ネットでも出会いはあると言われようが、リアルのなかで脳を回転させながら、コミュニケーションを取りながら感慨を味わうという感覚は、格段に違う感覚なのではないか。「ネット社会でしか人間になれない人々」がもう発生しているのではないか。ネットでは生きられるけど、現実社会では全く使いものにならない。大地震か何かが起きて、外に引きずり出されるような事態が起こった時、ネット社会でしか生きられない人々はどうなるのだろう‥‥などと、眩暈が起こりそうなことを思ったりした。

もうひとつ。これはそのまま引用する。
「CG画像を拡大したらドットの集まりが見えてくるように、メールのやりとりをすればするほど隙間は大きくなる。その隙間の感情が見えないから、じゃんじゃん不安になる。自分だけ仲間外れにされている気がして、またメールに齧りついてしまう。そういう底なし沼に落ち込んでいるんじゃないか。俺たちの世代なら、そんなもの解決するのは簡単だ。会って話しゃいいじゃねぇか。腹が立っているなら、殴り合いの喧嘩をすればいい。好きなら、どうして手を握らない。」
ネットでそんな議論に出くわしている。ボードを隔てている。だからこそ文字を尽くして言葉を尽くして紳士的にやろうじゃないかというところなんだろうけど、やはり私は思うんだな。会って話しなよって。その方が早いって。会ったってわからんもんはわからないかもしれない。でもそれはそれでいいじゃん、て。FACEBOOKに参加している自分が言うことではないか。

一番感動したのは以下のエピソードだ。はるばるフランスからやってきたふたりの北野のファンと行きつけの呑み屋さんで呑んで、そこの夫婦と仲間も交えてカラオケに行った。日本語、英語、フランス語が飛び交う中で馬鹿騒ぎして、ふっと正気に戻った北野がカラオケを止めさせて言うのだ。「今日はいつもの店で飯を喰って、いつものように酒を飲んで、いつものように遊びました。これが嘘も偽りもない、本当の北野武です。君たちは俺に思い入れがあるみたいだから、ひょっとしたら今日の北野武を見てがっかりしたかもしれない。でも、俺は今日、君らに会えてとっても嬉しかった。ありがとう。またいい映画作るよ」
北野、心からの言葉だったのだろうと確信する。「本気」で「思って」「やってきた」からこそ言える言葉だ。じんと来た。

そんなことが言えるようになってみたい。

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2012年03月04日

Posted by ブクログ

こんな人だから映画が撮れるんだろうな。本質をパッと掴む頭の良さがあって、好きなことにはすごい努力家で勉強家で。そんな人が有名になって経験値を積んで。それだけじゃなく、生まれ育った肌感覚や美意識を大事にしてる。大したもんだよ。

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2024年04月14日

Posted by ブクログ

古本で買って風呂に浸かりながら読んだ これでちょうどいい本 平成生まれの若者なんかが読んだら古い考えだとおもうかもしれない 昭和の人間は読んでふと我に返ることもあるだろう

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2021年10月20日

Posted by ブクログ

この人の書くことが好きだから(好きなことが多いから)、
好意的な感想になってしまう。
どんなキツイ言葉を使っていても、心根のやさしい、圧倒的なマザコンの、少年おじさんだってことがよくわかる。
映画や絵に向ける気持ちも、同業者に向ける気持ちも、自分に対しても、冷静さと強烈さのきわどいところで均衡を保とうとし続ける大変さが滲む。大変な人生、唯一無二の凄さ。

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2017年12月05日

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彼の主張、人間は決して平等ではないということと、努力はいつも報われるわけではないことについて。その通りだと思う。「建前」がはびこっていることが、余計に人を苦しくしている。陰湿ないじめや社会の閉塞感等々、現代日本の代表的病理の源泉はこれらの幻想にあるのではないか。

悪平等主義の弊害は大きい。小さい頃から皆同じなのだと叩き込まれることが、どれほどの苦しみを産んでいることか。努力しても追いつけないから、安易な方法で人を引きずり降ろそうとしたり、あるいは殻に閉じこもってしまったりする。最初から彼我は違うものだという前提に立てば、そういうことにはならない。

ではどうすればいいか。好きなことを見つけること、他者との相対比較から脱却して他者貢献を考えること。他者を出し抜くための努力から、自分の好きなことを役立てるための努力にシフトすることが、一つの解法ではないか。

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2017年10月15日

Posted by ブクログ

なかなか面白かった。特に「教育の問題」と「作法の問題」がよかった。たけしさんはいろんな顔を持ってるが、私はエッセイが一番好きかな。

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2017年01月24日

Posted by ブクログ

 彼の言っていることは全て正しい。それは彼がその時代に生きて、その時代を生き抜いたからだ。彼はそういう思考回路で以ってその時代を生きた。これは誰にだって認められている事実だ。
 問題は別にある(僕はそれで途中で読むのを止めてしまった)。彼の言っていることは、時代としての正しさだ。証明なんて必要ない。彼がそこにいることそれだけで、この書に書かれてあることは全部正当となる。批判の仕様がないのだ。我々若い世代としては、これをまるごと受け取らなくてはならない。その意味では、彼がこのような時代の書を著したことは有益である。我々はこの書から学ばなければならないし、読んでいれば自然と学ぶことができる(それを学ぶというのかどうかは置いておき)。
 しかしそれは、時代としての集団的な考え方だ。彼個人の考えではない。時代に要請された生き方を、彼はそのまま書いているに過ぎない。「思考」と銘打ってあるが、それは彼と、彼と同じ時代を生きた人間に染みついた泥みたいなもので、それを今の時代に向けて投げつけているだけなのだ。思考というと、僕はもっと柔軟なものを想像する。それが正しいかどうかは時代が決めるのではなく、時代を越えた我々全ての人間が決める。そこでは批判が通用しなければならないし、その批判をさらに批判する批判もなければならない。そうしてそれらを全て受け止めるのは主張した個人だ。個人は思考した責任を負わなくてはならず、批判が起きたならそれにきちんと答えなければならない。思考とはそういうものだと思う。そしてそれがいわゆる「哲学」だ。
 だが、彼の主張は全て「正しい」。それは「思考」ではない。それは「時代」であり、「身体」であり、「泥」だ。投げつけられたそれは、我々に否応なしにこびりつく。我々は自分の身体にこびりついた泥を払おうとする。だが我々はまた、彼が投げたのと異なる成分の泥を自分たちの身体にもっており、彼の投げつけた泥によってそのことにはっと気づく。我々が自分たちの泥を投げれば、それはそれで「全思考」となる。きりがないのだ。泥の投げ合いっこをするのは子どもたちのやることで、ある程度ものを考えられるようになれば、泥をお互い投げることのないような方策を考えることもできるし、またどうして泥があり、どうしてそれを投げつけたくなるのか、というようなことも考えられるようになる。それを彼はやるべきだった。……あるいはその仕事は我々に任されているのだろうか。とすると、やっぱりこの本に出会えて良かったと思えるのである。

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2016年03月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

争いにに決着がつかないから、戦争が終わらない。
きちんと枠を与えてあげる
競争のない世界に一番はない
話を引き出せない
圧倒的なわがまま、むだ

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2012年06月13日

Posted by ブクログ

北野武はテレビでは結構ムチャやる人だけど、本当は弟子やら若い人に優しい、それはその”人柄”から成るものと思っていた。この著書を読んで、裏付けられた感じ。

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2011年10月23日

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