【感想・ネタバレ】奇跡を起こした村のはなしのレビュー

あらすじ

新潟県山間部の豪雪地帯にある黒川村。冬場は出稼ぎに出ないと立ちゆかない村を、なんとかして自立させたい、と立ち上がった村長と村民がいた。多くの苦境を乗り越え、次々と取り組んだ村営事業。資金源は、国や県が支出する地域振興補助金で、その申請と活用は、サバイバルゲームとなった。バブル崩壊後、畜産に力を入れた村に欧州研修を終えた若手職員たちが次々と戻り、村は新しい特産品でにぎわいはじめた――日本人を励ます、小さいけれど大切な記録。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

『奇跡を起こした村の話』
 この本では、黒川村という新潟県の北東部、山形県と接する山間に位置する村の、復旧から復興、発展、そしてゆるやかな衰退を示唆する物語について描かれている。この本から受け取った強いメッセージは「希望を捨てずに頑張ろう」だった。
 黒川村は毎年豪雪に見舞われ、土地に雇用が無く、町のところどころのインフラも壊れ、税金滞納者が続出し、農業ができなくなる冬には都市部に男が出稼ぎに行かなくては家族が食っていけなくなるような、経済的にも環境的にも厳しい状況が続く村であった。1955年、朝鮮特需によって国の貿易高が潤う中、黒川村の村長が病死し、伊藤孝二郎という農業専門高等学在学中に中国出兵を経験した男性が、31歳という若さで村長になることが決まった。ここからこの村の奇跡は始まる。
 まず村長は"共同、協同、協働"を理念に規模の大きな田園を村内に開発し、村の若者の雇用を生み出そうとする。そのころ畑は各農家が所有し、そこを継ぐのは長男が主であった。そのため長男以外の男児の雇用確保が大きな問題となっていたからだ。またその頃、農家が共同で一つの村で農業を行う、というスタイルも新しかった。さらに村長は1950年代に設立された農林省の外郭団体の研修制度を積極的に使用し、村の農業者を積極的に海外に派遣し、そこで学ばせ、村に戻ってきてから村の職員に起用し働かせるという手法を積極的に使用した。農業者を海外に派遣する目的は「知識の取得」よりもどちらかというと「精神的な成長」であった。そのほかにも農耕だけではなく牧畜を始めたり、山の木を切り倒し、簡易なリフトを役場の職員が作り小さなスキー場を開始したりと、村の中に様々なものが生まれ、村が少しずつ活気付いていく。
 そんな中、悲劇が村を襲う。四一水害と四二水害である。この2つの水害によって村は壊滅的なダメージを被る。村の数十人の人が亡くなったこの被害から、村は「前の村より良い状態」を目指し、復旧・復興に取り組む。この水害から物語りは加速する。その後も村長を中心に村の中に様々なものが創られていく。ニジマスの池や宿泊施設、レストラン、チーズやハムの製造所、手打ちそば処、ヨーグルト工場、ドイツの本格ビール園など。減反政策や海外からの輸入品、工業化による集団就職という名の若者の都市部への強奪が村を襲うが、村はそれらに対抗し様々な政策を実現していく。これらの政策は全て国の補助金や制度、全国規模のイベント誘致を村の職員が巧みに利用して資金を調達する。調達した資金は政策の実現に当てられるのだが、その担い手は村長によって海外に派遣され精神的に鍛えられた職員に無茶振りされる。職員は暗中模索で進めていく。政策は一つ一つが村にとって初めてなものばかりで、それぞれの政策で多くのトラブルが発生するが、任された職員は一つ一つ解決しながら、笑いながら前に進んでいく。
 海外に派遣された職員の一人に伊藤和彦という男性がいる。彼はこう述べる。「27歳なんて、ほかの自治他や企業では、また一人前に扱われていないじゃないですか。悪く言えば、ヒヨッコ扱いでしょ。だけど、この村では六億円、七億円を、ポンッとその27歳の2人に全部あずけて、『さぁ、あとはちゃんとやれよ』と任せちゃう。任されたほうも、何とか頑張って、やっちゃうんですよ。このへんが黒川村の強みなのかな、という気がする。」こういうところに小さな自治体の魅力はあると思う。このように村長が絵を描き、若い職員が大きな政策を任されていく。政策が形になるたびに雇用が生まれていく。そうやって伊藤村政は48年間続く。戦後最長の地方自治体政権である。
 この頃、他の自治体はどうなっていたか。『自治体クライシス』によれば、1980-1990は国がリゾート法を制定し、リゾート開発の補助金を自治体にばら撒き始めた。日本の経済成長を支えるための国の政策であった。各自治体は民間企業との合弁組織である第3セクターを用いてリゾート開発を進めたが、結局国の経済状況の悪化やリゾートの乱立、それに加え自治体という"破産"することができない組織という性質や損失補償契約という借金の一括返済が求められる金融機関との契約等により、各自治体の借金はどんどん大きくなっていっていた。北海道の夕張市や青森県の大鰐町などがその例だ。そのような中、黒川村は2002年になっても十分な観光客を確保していた。2003年ごろになると、日本全体の経済が冷え込み、観光客が1990年代の他の自治体と同じように、急激に減り始めたが、観光客が減少しても地産地消による町内の循環により他の自治体のように急激な衰退はしなかったようだ。この点も黒川村のすごいところだと感じた。
 しかし伊藤村長が亡くなった後、日本の経済状況の悪化はさらに激しくなり、若者の雇用形態も変化した。農業が衰退していく中で、ついに2005年、黒川村は他の村と合併し、胎内市になる。
 この本には自然災害や高度経済成長、経済状況の悪化、国内の雇用形態の変化の中を村役場の職員が二人三脚で必死に乗り切ろうとした生き様が記されていた。いくら頑張ってもできないことはあるが、諦めなければなんとか苦しい状況は乗り越えられる。そのようなことをこの本から教えてもらった。最後に伊藤村長の印象に残ったフレーズを載せる。


"上に立つ者は、それにふさわしい義務を果たさなければならない。人よりも先に憂え、人よりも後で楽しむ者であるべきだ。"-伊藤孝二郎

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2012年07月01日

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