あらすじ
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1983年5月26日正午過ぎ、秋田県能代市西方沖で発生した日本海中部地震はマグニチュード7.7を記録し、直後に10mを超える大津波を引き起こした。この津波により、秋田県では83名の死者を出したが、そのうちの12名が海釣りを楽しんでいた方々だった。
被害者の調査資料をもとに、釣りをテーマにする漫画家、矢口高雄が襲い来る自然の驚異と釣り人たちの生死の岐路をドキュメンタリータッチで描く!
地震大国日本から津波への恐怖が消えることはない。津波を正しく怖がり、どう備え、そのときが来たらどう動くべきか。
この漫画はその的確な一例を教えてくれる。
■内容
File.1 杉村 真[26歳]
File.2 真昼の恐怖
File.3 吉田啓三[60歳]
File.4 梶浦貞夫[43歳]
File.5 追跡調査特別委員会
File.6 滝本 喬[28歳]
File.7 手紙
File.8 岩田哲男[26歳]
File.9 再会
File.10 竜ヶ島
File.11 落日
File.12 春季高校野球大会
File.13 磯焼き
File.14 おしん
File.15 イワムシ
File.16 引導
File.17 地震雲
あとがき
解説 池川佳宏
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Posted by ブクログ
矢口高雄『激濤 ゲキトウ Magnitude7.7』ヤマケイ文庫。
1983年5月26日に秋田県能代市西方沖で発生した日本海中部地震による大津波被害の状況を被害者の調査に基づき、ドキュメンタリータッチで描く。
余りにも衝撃的な自然災害だったので、この地震についてはよく覚えている。当時はまさか日本海で、しかも秋田県沿岸で10mを超える大津波が発生するとは思っていなかったのだ。
その後、津波を伴った地震では、1993年には北海道南西沖地震、1995年には阪神・淡路大震災、2011年3月11日には東日本大震災、2024年には能登半島地震が発生しており、地震大国日本というだけに、いつ何処で地震や津波が発生してもおかしくないことを認識した。
自分は還暦まで趣味で波乗りを楽しんでいたのだが、太平洋沿岸の三陸海岸付近をホームグラウンドにしてた。東日本大震災で太平洋沿岸が壊滅的な被害を受けたため、日本海沿岸まで波乗りに行っていた時期があり、太平洋に比べると日本海は冬季を除けば穏やかな海という印象が強い。
一度だけ太平洋沿岸で波乗り中に地震に遭遇し、津波警報が発令され、慌てて海から上がった経験がある。その時は津波警報を告げるサイレンの音は微かにしか聞こえず、沿岸に駆け付けた警察官の合図でようやくヤバそうな状況だということに気付いた。幸いその時の津波は10センチ程度だったのだが、本作に描かれているような大津波だったらどうなっていたか解らない。
本作は『ビッグコミック』に連載され、途中までリアルタイムで読んでいたのだが、地震による大津波の瞬間を描いて、果たして連載が保つのかななどと心配していた。今回、初めて作品の全てを読むことが出来た。
1983年5月26日正午過ぎ、秋田県能代市西方沖で発生した日本海中部地震はマグニチュード7.7を記録し、直後に10mを超える大津波を引き起こした。この津波により、秋田県では83名の死者を出したが、そのうちの12名が海釣りを楽しんでいた人たちだった。
当日、釣りを楽しんでいて、この津波に飲み込まれながらも九死に一生を得た主人公の杉村真は釣り人の被害調査を行い、調査から得た教訓を後世に残そうと釣りクラブの沓沢会長に相談する。
調査を進めると、新婚3ヶ月で磯釣りに行き、津波に攫われた夫を義父と共に探す嫁や、津波にのまれたがクーラーボックスに捕まり助かった釣り人、家業の釣りエサ捕りに行き、津波に攫われて数日後に北海道沖で見付かった青年など、僅かなことが生死を分けることになる。
様々なエピソードの1つ1つが面白く、主人公の杉村と、杉村の調査に協力する新婚3ヶ月で夫を失った女性との距離が縮まり、いよいよロマンスが始まるのかと期待する中、物語は唐突に終わる。まるで連載を打ち切られたかのような余りにも歯切れの悪い結末である。
小学館クラスの出版社ともなれば、矢口高雄レベルの漫画家の連載を簡単にコントロール出来るのかと少し怖くなる。
地震や津波など自然災害では僅かなことが生死を分けるというのは本当のことで、東日本大震災の大津波の際に妻の両親の取った行動がまさにそうだった。
関東から移住して、気仙沼市の外れに住んでいた妻の両親は隣りの陸前高田市に買物に行っていて地震に遭遇した。ホームセンターの駐車場で買物を車のトランクに積め、出発しようとした時に地震に襲われ、駐車場には亀裂や隆起が起こり、父親の車は斜めになった。近くに居た店員が車を立て直すのに協力してくれたので、車は何とか発車することが出来た。
家の方向に向かい、国道45号を南下しようとすると陸前高田の道の駅付近から高田大橋まで大渋滞が起きていたので、父親は旧道の古い橋に向かう。そのまま陸前高田市の避難所となっていた公共施設に向かうという選択肢もあったのだが、もしもそちらに避難していたら命は無かった。東日本大震災の津波は避難所を含めて陸前高田市の全てをのみ込んだのだ。
旧道の橋は既に落橋していて走行不能だったことからバイパスに戻り、高田大橋に差し掛かると渋滞は解消され、橋の上から海の水がみるみる引いていくのを目にしたようだ。
少しでも高台へ、少しでも家の近くへと車を走らせ、いよいよ家のある半島へと入る下り坂に差し掛かった瞬間、前方から電信柱を薙ぎ倒しながら津波が押し寄せて来た。慌てて車をバックさせ、国道45号まで戻ると津波が建物などを薙ぎ倒し、渦を巻きながらうねる姿が目に入った。
近くに居た人に避難所の場所を聞くと、直ぐ近くに中学校があり、そこが避難所となっていると教えられ、父親と母親はそこに身を寄せた。
翌日、両親は歩いて自宅に向かうと、道すがら会う付近の方々が飲み物やおにぎりをくれたと言う。
考えてみれば、ホームセンターからすんなりと出発して旧道の橋に到達していたら、落橋に巻き込まれていたかも知れない。ほんの数秒早く、家に向かって半島に向かう下り坂を走っていたら津波にのみ込まれていただろう。
本当に僅かなことが明暗を分けたのだ。
幸い海の見える高台にある自宅は無事だったのだが、ライフラインが復旧するまで3ヶ月を要した。
定価1,870円
★★★★