あらすじ
93歳の人間論ーー。
人は何かのために生きるのではない。
誰かのために生きるのだ。
衝撃のベストセラー『大河の一滴』から30年。圧巻の集大成。
常に、再生の希望はある。
少年時代の引揚体験、自死への欲求、思いがけない病の宣告……
あえて、大河の流れに逆らうことを決意した、告白的人間論。
「かつて人生を大河の流れにたとえて書いたときは、その流れに身をまかせて、生命の海へと流れていく、そんなふうに考えていた。
しかし、と、私は思ったのだ。ときには大河の流れに身をまかせるだけでなく、それに逆らって生きることもあっていいのではあるまいか。大河の流れの中にも、逆流する場所もあれば、迂回する流れもある。
長く生きられなかった彼らのかわりに、自分は一日でも長く生きようと考えてきたのではなかったか。運命に身をまかせるだけでなく、それに逆らうこともあっていい。
人には、何人かのために生きる責任がある、と思う。人々のはたさざりし思いを背負って生きる義務があるのではないか。何かのためではなく、誰かのために生きるのだ」
――「大河の流れに逆らって」本文より
静寂から立ち上がる、鮮やかな再生の物語。
感情タグBEST3
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この著者のエッセイは良く読むのであるが、この「大河の一滴 最終章」は30年前の「大河の一滴」よりも良かったよ、なにしろ書いた年齢が93歳の時なのだから、人間が練れてる。若い時書いた文章よりも老いて書いた文章の方が含蓄に富んでいるのは当たり前なのだが、置いても衰えない執筆活動がすごい。
この本の最後に,秋田でやった講演の内容が書いてあるのだが、時間がなくて1時間の講演の時の話だった。彼の普段の講演は3時間から4時間ないと十分話せないと追うのだからすごい。この講演でも喑秀なんて言葉が平安時代からどんな使われ方をして明治時代に夏目漱石や森鴎外がしばしば使っていた。そしてそのような言葉は世界の各地にあるというのだ。人間というものは明るく元気な状態からエネルギーを引き出しているだけじゃなく、辛くて哀しい状態の中からでもエネルギーを出してきたのだ。
オーディブルで聴いたのだが、内容にとても引き込まれた。紙の本を買って座右に置こうと思った。
Posted by ブクログ
Audibleにて拝聴
本当に、無駄に謙虚であろうともしなければ、自分をよく見せようという欲もない方なんですね。戦争で亡くなったお母様のために生きようという気持ちは、きっと覚悟といったものではなく、自然と湧き出てくる感情なのかなと。
達観している、世を捨てている、世界に期待をしていない、諦めているとかそういったことでもないですよね。死ぬのが怖いということはないけれど、明らかにおかしくなっている現代の15年後をこの目で見たいという純粋な興味でもうちょっと生きたい、という所が印象的でした。
60代になったら『大河の一滴』を、90代になったら本書をまた読み返したいと思います。
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大好きな作家の五木さん。大河の一滴の最終章に相応しい作品でした。白秋の年代に突入した自分にとっても、残された人生をどう生きるかとりあえず気張っている時が多くありますが、後退しても良い、生き抜く事が大事と言われて少し肩の荷が降りた感じがした。五木さんの人生の目的をシンガポールのスターバックスで読んでいて、突然現地の方に“その本は英語になっていますか?”と話しかけられたことがあります。今度は人生の目的の最終章を期待したいです!
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今は亡き父が読んできた本のなかにあった前作の「大河の一滴」。父とはもう会話できないけど、同じ本を読み対話した良き思い出がある。
まさか続編がでているとは露とも知らず急いで購入。
頁をめくると一緒に父と読んでいる錯覚を感じる。
抗ったっていいんだよね、自分の命だもの。生にかじりついてもいいではないかせっかく生きてきたんだからね。運命の荒波に石を投げてもいいではないか…
自分の命の音を聞き生きよう!
勇気が湧きます!
ぜひ〜
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五木さんの生き様を感じた。
恐々と淡々と堂々と、内面の悲しみを堪え生きることの意味を見出す。奇しくも命ながらえて、この感覚に全て言い尽くされた。
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ページターナーズで対談をみて、上品でユーモアがあり、すごい情報収集量、知識量、行動量。とても惹きつけられた。
自分も50代に入って急に人生の終わりが迫ってくる感覚があって、みんなどんな気持ちで、考えで、歳を重ねているのかが気になっていた。本を読んでいて、わたしはいま50半ばだが、体力気力を失っている場合ではないと猛省。
生きる意味とか、どう生きていけばいいか、この歳になってから考えるようになった。シンプルにだいじな人たちのために長く生きる、誰かのために生きる。という目標こそが、本当の生きる力になる。と考えるのがしっくりくるし、誰かのため、も大小あるのだろうけど、目の前にいる人のためを思っていきているだけでも意味があると思えば救われる気もした。
孤独とは認識のねじれ、という考えも面白かった。孤独感につけるクスリ、それは想像力。
人生は運と努力。それもまた、そうだなと。運に見放された時に努力はできる。でもその努力がうまくいかない人がいる。それも運。努力は報われるなんてことない、と言うけどホントにそうだなと。世の中は矛盾したものだ。というのは、細谷功さんの無理の構造にも通ずる気がした。
ふと、これまでの人生、うまくいかなかったことの答え。いま、いろんな本を読んで確かめているのかもなって思ったりもした
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あまりにも人生明るく前向きに元気にきすぎて、暗愁に目を背けてきたことを反省した。
いつも出る新刊がなかなか出ないなあと思っていたら、大病をしていたとは驚きだし、その時の心情が知れる本書は貴重だと思った。
「運と努力」「カネとカミ」など、これからの行く末来し方がよく分かるありがたい一冊となった。
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年齢を重ねる喜びと学び
五木寛之さんが教えてくれる生き方の道標
90代を迎えてもなお
知的好奇心を持って世界を見つめ
視野や価値観を広げ続けようとされる姿勢が
本当に素敵で 深い感銘を受けました
名著『大河の一滴』から
30年の時を経て書かれた本作
『大河の一滴』を読んだとき
私は救われたんですよね…
人生の苦難や深淵を見つめてきた
五木さんだからこそ届く言葉は
どこまでも温かく…歳を重ねることも悪くないと
感じさせてもらえました!
大河の一滴として 人生の流れに抗うことなく
進み続ける人生も素敵だけど…
本当に大切にしたい時間や
死ぬまでにやり遂げたい想いがあるときは
時には大河に抗ってみることも
大切だと説かれていました
すごく、すごく深い言葉でした…!
自分自身はどのような死を迎えたいのか…
どんな生き方をしていきたいのか…
歳を重ねた先に 見える景色は
どんな景色が待っているのかワクワクしました
私もこんな風に しなやかに知性を磨きながら
歳を重ねていきたいと思わされる…
一生モノの人生の指針になるような
読書時間でした!!
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正しいからやるのではなく、興味があるからやる。自分もそう。好奇心の赴くままに。だから、興味は移ろうし、続くし、終えるし、新しく始まる。
何の為に生きるのか、ではなく誰かの為に生きる。よい言葉だ。何の為とか、考えた事がない。ただ、私は、自分の為というのが入り、と家族、友人の為もかな。
Posted by ブクログ
最終章のタイトル
今まで読んだ中でちょっと柔らかい印象だった
著者が90歳を越えガンを患い
でも静かな心で受け止める
年齢がなせる技だろうか
ここまで生きると身体と心に起こる
変化があるのだろう
確かに若い頃は苦しい事が多かった
年齢を重ねると何だか気持ちが静かに
なってきたようだ
人は誰かのために生きる
著者は亡くなった母のために
私は誰のために生きようか
考えなくては
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最近、なんとなく感じていたことが言語化されていて、今読むべくして読んだ本なのかも。
「心を支えるのは体である」
対話について 「自分の固定した考えが揺らぐ」ということが大事
「人は誰かのために生きる」
PageTurnersにゲストでお話されていた時に、周りの流れ(大河)が早いから自分のペースで流れているだけでも逆らっていることになる
というような趣旨のコメントがあって、
流れについていこうと必死になって息切れしているかもしれないとふと感じた。
法然、今様の話がおもしろく、今も昔も変わらない と感じた。大人になって歴史をひも解くとおもしろい。
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終戦を満州で迎え棄民となり命懸けで日本へ辿り着いた93歳の著者が、生きること、老いていくことなど綴られた作品。高名であるのに偉ぶらない著者の一言一言が染み入る。著者をはじめ満州に取り残された市民は筆舌に尽くし難い体験を余儀なくさせられた。後世に伝えましょうと企画しても言葉が出てこないほどであり、私たちはその様子からも学ばないといけない。
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とても沁みました。肩肘の力が抜け切った氏のスタンスにとても寄り添われた感じがしました。自分にもいつ、なが起きるかなんで分からない時代であり年代であることを踏まえて日々ゆったり生きていきたいと考えた64歳のジイでした。
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大学受験に失敗して、色々自分の人生に悩み、考えていた18歳くらいの時に何度も読んだ本。懐かしい感じの表紙と最終章という見出しを見て、懐かしくなって購入しました。やはり五木さんの読みやすくてわかりやすく、仏教の話などが節々に出てきて一気に読めました。
五木さんももう90代とのことですが、まだ五木さんの新刊を読めて嬉しく思いました。私も歳を重ねて、考え方は大きく変わってはいないけれど自分も病気をしたり若い頃より自分や親の死が近くなっているわけで、自分が死に面したときのヒントというか考え方の参考に大いになりました。
Posted by ブクログ
病院に世話になることなく90まで生きてきて「中咽頭がんステージⅡ」を診断されて書かれた1冊。あとがきにあった「生者は死者のために1日でも長き生きる義務があると思う」が印象的だった。
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著者ご自身も書いておられるが「人は誰かのために生きる」ということだなぁと思う
以前読んだ柳美里さんの『JR上野駅公園口』で感じたことも同じだった、柳美里さんはクリスチャンだが、奇しくも浄土真宗の家系の主人公だったからか
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昨年の夏にインド旅行に行った際にお供として持って行った「大河の一滴」。刺激的なインド旅行に花を添える一冊だった。
発刊から約30年後のこのタイミングでまさか「最終章」が発売されるとは思ってもなく、書店で偶々見つけた時は思わず「マジか!」と声が漏れ出てしまいそのまま流れるようにセルフレジに向かい購入してしまった本書。
これも偶々ではあるが、友人がインド旅行に10数年振りに行く数日前にこの本に出逢ってしまったのもなにかしらの「運」めいたものを感じる。
「孤独」に対する筆者の考え方に恐ろしい程に共感を覚えた。道に迷うようなことがあれば、時折この本に立ち返りたいと思った。
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私はまだ死を意識したことがない。そのような境遇になった際、人はなぜ生きるのかを自ずと考えるようになるのだろうか。筆者は結論として自分のためでなく誰かのために生きると述べている。自分はまだその境地に達していない。達するかどうかは分からないが…最後の章「人生の四季」で日常なんとも言えない一種の虚無感のような深い愁いを感じるとき、それは人間が生きていることの真実に触れている瞬間だとある。元気に前向きにという感覚が善とされる一方で前述の愁いを排除されている時代。が、愁いを世界の全ての人々が共有し、長い歴史の中でそういうものを大切にしながら生きてきている。強く生きる必要はない、弱く生きたっていい。生きていることが大事。この箇所に大変感銘を受けた。
Posted by ブクログ
母のおすすめで読んでみた。
五木寛之さんの著書を読むのは初めてなのに、最終章って、、エッセイって、、と思いながら読み進めた。
93歳の著者の現在地を知ることができる。迷いのない言葉に圧倒される。この先の世界の行く末を見たいと語る著者の好奇心に驚いた。私もこうありたいと思う。
誰かのためにという思いがエネルギーとなり自分の命を支えるという。私はなぜ生きるのか?誰のために生きるのか?考えるきっかけを人生の先輩にいただくことができた。貴重な読書体験となった。ありがとうございました。
著者が私と同じ年頃にはどのような作品を書いていたのか、興味がある。他の著書も読んでみようと思う。
20260919
Posted by ブクログ
若いころ読んだ「大河の一滴」
著者は「かつて人生を大河の流れにたとえて書いたときは、その流れに身をまかせて、生命の海へと流れていく、そんなふうに考えていた。」
そして、最終章
「流れに逆らって、人には、何人かのために生きる責任がある。人々のはたさざりし思いを背負って生きる義務があるのではないか。何かのためではなく、誰かのために生きるのだ」
とある
『暗愁』という言葉が印象的だった
いろんな著作を読んできた五木寛之さん
93歳の人生論
今も執筆し、ラジオの対談など精力的だ
淡々とした語り口が好き
≪ 玄冬を 流れに逆らい 生きていく≫
Posted by ブクログ
30年前の前著で予習してから読みましたが、60代の五木さんと90代の五木さんではちょっと違っていて、本著では全体的にやや達観している印象で、期待したほどではなかったです。
ガンサバイバーとなった五木さんですが、いまでも毎日、日刊ゲンダイのコラムを書いている、というのが凄い。とんでもないエネルギーだと思いました。
Posted by ブクログ
オーディブルで。93歳になるのに、現代の風潮に敏感で、好奇心は青年と変わらないように思う。先生がそう生きているのは、敗戦後、北朝鮮から引き上げる時にお母様を亡くしていたかららしい。お母様は教師をしていて、文学を好み、東京に住むことを夢見ていた。そのお母様のぶんも、自分が生きようと思ったという。
現代ではあまり聞かない「暗愁」という言葉。アメリカの「ブルース」にあたるものは、これではないかと言う。生きることに対する憂いというか、やりきれなさ、運命の抗えなさに対する諦め、かなしみ。どうしようもなさを受け入れること。漱石や鴎外は、好んで使っていたその言葉は、おそらく戦後の復興に際し、前を向き、発展することこそが尊ばれた過程において、すたれたのではないか。私の子供時代も根暗は嫌われていた。頑張ることが善という学校教育において、暗く沈んだ気持ちでいることは、悪いことだった。でも本当は、その気持ちは大事なことだったんじゃないか。そんな話を聞いて、腑に落ちた。あと、人間は誰かのために生きるものだということも。実感として、ようやくわかるようになった。
Posted by ブクログ
「語り合うときは、同好の士や同業者ではなく、違った世界の人たちと話し合うことがとても大事だ」
この箇所を読んで、野矢茂樹氏の著作『はじめて考えるときのように』に書かれていた「変なひとと出会う。……共感よりも違和感や反感の方がだいじだ」という言葉を思い出しました。
なぜ大事かというと、異質な交流こそ自分の殻を打ち破ってより深い人間になる原動力になるからだと理解しました。
同質な人と出会って、共感したりされたりすると心地よく、自分は間違っていなかったと安心するので、そのような人と会うことに重きを置きがちですが、それだけではダメなのだと本書を読んで改めて思いました。
今の自分には、自分と違う世界の人と会う機会はなかなかないのですが、せめて他の人が薦める自分では選ばないような本を読むことで自分の世界を拡げることができればと思いました。
Posted by ブクログ
読みやすい一冊。90年以上も生きている著者の深い人生論かな。内容としては文学的な言葉遊びの要素も重なり現役層にはイマイチ響かないというか、リアルに受け止められないかなと思う。本に別タイトルをつけるとすると、「老い方」、「後期老人論」といった感じでしょうか。内容が悪いわけではないです。まだ読まなくてもいっかな、といったところです。