あらすじ
◆こんな「モヤモヤ」ありませんか? ・断りたかったけどNOと言えなかった。 ・嫌だと言ったけど「あなたのため」と言われた。 ・意見が他人と違った時に自分が間違えていると感じる。 ・スマホを勝手に見られるのが嫌だけどやめてくれない。 ・好きなものを否定されると自分まで拒否されたように感じる。 これらは「境界線(バウンダリー)」で起きている問題です。日常の「モヤモヤ」や「しんどさ」から心と体を守るために、傷ついた自他の境界線を引き直そう。 【目次】はじめに──私の「生きづらさ」とバウンダリー/第1章 「バウンダリー」は「私は私」の境界線/第2章 もやもや、イライラの正体はバウンダリーの侵害かも?/第3章 こころの境界線を育む言葉と行動を知ろう/第4章 バウンダリーの侵害がひきおこす「生きづらさ」/第5章 傷ついたバウンダリーを引き直す/第6章 バウンダリーという視点で世の中を見てみよう/おわりに
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Posted by ブクログ
2026/04/07
メモ
境界線が薄くなる、つまり自分より力を持った人、自分に強い影響を与える人から、自分の意見や気持ちを否定されたり軽んじられることが多くなると、
自分より周囲の意見を優先する
例えば やめてと言えなくなる 意見が異なると自分が間違っていると感じてしまうなど
あるいは、自分の気持ちがわからなくなってしまう 辛いことに対して これは普通だと蓋をしてしまうなど抑圧される
大人たちは みんな仲良く を目指していない
仕事において協力ができれば良い
違いを間違いにしない
誰かに伝わるのは言葉と行動だけ
なので、自分の気持ちは否定する必要はない
行動を変えれば良い 距離を取る、挨拶だけはするなどを
ひとつひとつのことに あってよかった と意味づけはせず、踏みとどまって欲しい
苦しいことは苦しいこと 理不尽なことは理不尽なこととして
それは自分を守るだけでなく、相手のバウンダリーを侵害する前に踏みとどまることにつながる
自分のせい を手放す
仲良くなるより、上手に距離を取る
5章以降が特にためになったし心の支えになった
Posted by ブクログ
ありがたいことに好かれているけど自分は会いたくないと思ってしまう相手との付き合い方について長年考えてきた。
そのなかで、私がいつも陥ってしまう、友人と会った後三日間はずっとその人のことを四六時中考えてしまう現象、これはおかしいのではないかと思い始めた。
二人でいた時間と会話すべてを詳細にリプレイしてダメ出しを行い続ける約三日間。ずっとうっすら憂鬱で、自分がやりたいと思っていた創作的な活動は気がのらず全然できなくなってしまう。
だんだん人と会うこと、特に好かれている友人と会うことは億劫になってくる。そしてちょっともう無理だと思ったら、一切の連絡を断つ。
昔は連絡を断つことすらできなかったのだが、それができるようになって進歩したと思っていた。
でも、何か違う。原因は友人ではなく自分にある。
そう思い始めてから他者と自分との関係の築き方を再構築したいと考えてきた。
自己啓発本は溢れているけど、こういったことを教えてくれるのようなものはまだ少ないと思う。
そんな中、信頼を寄せている編集者の方がインスタで読んだと載せていたこちらの本が気になって読んでみた。
結果、立派なアダルトチルドレンである私にとって納得しかない内容だった。
幼稚園の頃から高校を卒業するまで、数多の習い事をさせられてきた。私の意志は一つもなかった。
洋服髪型持ち物全て母が選び、私がほしいキャラクターものや前髪を作ることなどは全て許されなかった。(そのせいでたくさんからかわれた)
私の行動基準は母が喜んでくれるか否か。
母は必ず、やってほしい時はやらなくていいと言う。
そしてとにかく機嫌が悪い。ずっと悪い。
母が本当に望んでいることは何か?それをずっと考え先回りして行うことで機嫌が良くなってくれることが私の喜びであり特技であり、家族が喜ぶ使命だと思っていた。(長女)
それによって、愛されていると、私は母にとって唯一無二の娘であり親友だと自負してきた。
私と母は仲良しだった。
私は母のことが大好きだったし、母もそうだと思っていたので、関係は良好だと思ってきた。
こういうケースは三十代以降に予後が悪くなってくると聞くが、私も全くそうで、ワーカホリックからパニック障害を発症し三十代後半になって、私が私を捉え直す中で、だんだんと母の不機嫌さに納得がいかなくなり、いろんなことが新しい角度から見えるようになった。
もう七十代になった母が自らを捉え直すことは考えづらいので、彼女が生きづらくないよう、そして私の境界線は守りながら、仲良くやっていけたらと今は思っている。
母と私の関係から、私がいつも対人関係で陥ってしまう罠に至るまでとてもわかりやすく紐解かれた気持ち。
そしてとても勉強になったのが自分が子どもと接する時の対応だった。
気をつけていてもついうっかり境界線を越えてしまいがちなのが子どもだ。
私の息子はこだわりがとても強いので、3歳頃から服装などは自分で決めており、一切こちらの言うことはきかない。
あまりに頓珍漢な格好や、何日間も同じ格好をされるとこちらもどうかこれを着てくれとうっかり懇願してしまっていることがよくある。
本当にごめんなんだけど、今日は無理なんだ。
と優しくきっぱり断ってくれる息子がとても頼もしい。
目の前で夫婦喧嘩をしてしまうこともあるし、
私が落ち込んで慰めてもらうこともある。
おりに触れて読み返して、しっかりと境界線を引き直していきたい。
そして先日、息子の件で校長先生から電話がかかってきた。
なんてことない内容だが担任が不在だったため、校長がかけてきたのだった。
その時とっさに「校長先生直々にありがとうございます、申し訳ありません」と言わないといけないと私は反射的に思った。そして同時に、あ、もうそんなこと言わなくていいんだった。と思った。
そして普通に「ありがとうございます」とだけ言った。
なんだかものすご〜く気持ちが楽だった。
ずっとずっと電話というものが苦手だったけど、こういうことが苦手だったんだと思った。
こんな小さなことだけど、相手を気持ちよくしなくてはいけないという気遣いが無駄に空回りしていつも疲れている、そのせいで変に人を恨んでいる、相手は何も悪くないのに勝手に私が、というような歪な人間から脱せれたら嬉しい。
私は私
線は何度でも引き直せるという言葉にも救われた。
Posted by ブクログ
子供だけでなく、親や大人にもオススメできる本でした。
自分の皿と相手の皿を意識することを心がけようと思った。バウンダリーを「心の皮膚」として表現するのも凄くわかりやすい。分厚すぎると鈍感になるし、薄すぎると敏感になってしまうため、丁度良い厚さが必要。
自他の境界線をしっかり引けているつもりでも、簡単に揺らいでしまうためこれからも気をつけていきたい。
Posted by ブクログ
自他境界という言葉を最近知って、自分はこれが曖昧なのかもと思っていたところに、このタイトルの新書をみつけた。
「もし相手が自分にとって大切で、良い関係を続けていきたい相手なら、お互いに少しずつ不安と不本意を引き受け合う必要がある」「相手に伝わるのは行動と言葉のみ」「期待を相手に押し付け、自分の期待で相手を縛ろうとしてしまうのは、自分と相手との間にある境界線を踏み越える行為」
当たり前のことだってわかっているけど、視野が狭くなって人の境界線に踏み込んでしまいがちなので、気をつけなきゃと思った。
対人関係において両者がこのバウンダリーを大切に出来るならいいけど、そんなことないから、難しいなって思う。
幼少期、親にバウンダリーを越えられた経験はなかった気がするけど、今私がそれに悩んでいるのは、なんでなんだろう。