あらすじ
トランプ大統領就任以降、常にニュースの話題になっている国家間の関税問題。この「関税」は4000年前の古代エジプト文明の時代から存在していたとされる税金です。
これまでに、関税トラブルで国家間の戦争や反乱が起こりました。アヘン戦争、アメリカ独立、明治維新、第一次・第二次大戦など世界史の大きな出来事に、実は関税問題が絡んでいます。経済の重要なプレーヤーである関税を軸に、世界史の様々な出来事を読み解く一冊。
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Posted by ブクログ
トランプ氏が米国大統領に復帰してから3ヶ月後の、2025年4月に突如、全ての国に大して関税を引き上げると一方的に宣言しました、貿易赤字額の多い国に対して、高い関税を課すというものでした。日本企業の輸出が減って困るとか、最終的には米国民が負担することになるなど、様々なコメントを見てきました。
しかし、この本で書かれていたコメント「今まで自由貿易をすることで米国を発展させてきたのに、それと全く反対のことを実施した」という内容には驚きました、さらに関税を上げることは、昔なら宣戦布告に近い手段であることも記されていました。
なぜ、ドイツや日本が戦争を引き起こす手段をとったのかも、説明されていました、関税が大きく関わっている様です。アメリカが各国に対して高関税を要求していることで、米国および日本国債市場、ゴールド価格に影響しているのでしょう。やはり時代の変わり目に差し掛かっているのだと感じました。
以下は気になったポイントです。
・モンゴル帝国は 現在の 関税の原型のような「先駆的な関税」の導入にすでに成功していた 、関税が1回しか課せられなければ交易は ダイナミックに発展する、ものの値段を安くすることができるので 商人にとっても民衆にとっても喜ばしいことであった、 そして世界的な流通革命が起きた(p32)
・ スペイン や ポルトガルは、どうにかして オスマン・トルコを経ずにアジアと交易する方法を模索した、 そして 行き着いたのが、オスマン・トルコを回避して、アジアと直接貿易をする「大航海」であった(p37)
・スペインとポルトガルのルート開拓を目にしたオスマントルコ も新たな手を打ってきた、1535年に フランスと提携関係を結び 通商特権を与えた。 これはフランス人 商人がオスマントルコで商売をする場合には、 治外法権・領事裁判権・個人税 免除・財産 住居 通行の自由を認めるというものであった。キリスト教国のフランスがオスマン・トルコと提携した理由は 、フランスは当時 スペインと敵対していたから。 同様の条約をイギリス オランダとも結んだ、この結果 フランス・イギリス・オランダはスペイン や ポルトガルよりもはるかに 安価に香料を入手できるようになった(p39)
・ 商人に対する裁判権は オスマン側にはない、オスマン側は関税を勝手に変えない、という オスマン側の配慮は、欧米列強の「治外法権を認め」「関税自主権を認めない」ことにつながっていった(p40)
・世界中に植民地を持ち アメリカ大陸から膨大な 金銀を持ち込んでいた スペインが、なぜそこまで 財政悪化したのか、 大きな理由として、戦争と宗教がある。 スペインはイスラム世界と接する地域にあり、 キリスト教の砦を自認していた、 そのため イスラム圏とは常に 小競り合いを繰り返していた。 無敵艦隊を維持するだけでも相当の費用がかかっていた(p51)
・ スペインは常習的な財政難を解決するために「 アルカ バラ」 という 税金に依存する。 これがスペインを衰退させた最大の要因だとみられる、アルカバラは、関税と消費税を組み合わせたような 税金で、中世の頃 イスラム圏 から 持ち込まれた。 ある物品が国外から持ち込まれると 課税され、その持ち込まれた物品が国内で取引されるたびに、さらに課税される仕組みになっていた、 つまり 1つの 物品に対して何度も税金が課せられた(p52) その結果 物価が上がり景気は低迷した、 この物価上昇は 定率的にはアメリカ大陸から大量の銀が 流入したためとされるが、実は 銀流入の前から始まっている、 物価上昇すると商品が他の国に比べて 割高になり 輸出しにくくなりその一方で 安い 輸入品が国内で出回ることになり 国際収支が悪化した(p57)
・ 17世紀に流行った「 重商主義」 は、金銀 ばかり貯めろ、というものである。 この思想は エスカレートして金銀で消費財を購入することはばかばかしいという主張さえ出てきた、 金銀 は将来にわたって価値があるけれど 消費財は価値が減ってしまうという理由からである 、フランスでは この思想をもとに関税を大幅に引き上げた。 関税が引き上げられると相手国は怒る その分 輸出ができなくなるからである、オランダとの関係悪化を招き 1672年の仏蘭戦争に繋がった(p64)
・アメリカがイギリスの植民地だった時代 税金はほとんど 課せられなかった、 それは当時の北アメリカが植民地としてそれほど重要ではなかったからである。 金銀の大鉱山があった 南米、 貴重な 香料が採れた 東アジアに比べて 重要度は低かった(p70)
・アメリカ連邦政府は 独立戦争に勝利した後 関税を主な財源としていた、 関税を高い水準にし アメリカの工業を守るとともに 税収を確保したいと考えていた、アメリカは 建国から100年間は 財源の9割以上を 関税が担っていた、ただし 南部 諸州 の多くの農家では 綿花のイギリスへの輸出を主要な収入源としていた、アメリカが関税を引き上げると イギリスも 報復的な関税 値上げを行い 農家は打撃を受けることになるので 南部は関税の引き上げに猛反対した、ついには1861年 南部11州がアメリカ合衆国からの離脱を宣言した(p84)
・清は、 アヘン戦争以降 欧米から多額の借金をするようになり その借金の担保として上海の税関を欧米に明け渡すことになった(p91) 税関を英仏 米に明け渡してしまってからは、帰って真の政府関税収入が増えた、 英仏米の役人は、借款の返済や治療 経費を差し引いた残額をきっちり 清朝の中央政府に払った、中央政府にとってはありがたい面が多かった(p93)
・ 19世紀までのタイの領土は、カンボジア・ ラオス・ マレーシアにも及んでいたが、 イギリスやフランスからかなり侵食される。 タイは1909年までに支配地域を 46万 km2も割譲しており 、以前は倍の国土があった。 当時のアジア諸国は植民地になるか 領土を侵食されるかという状況であった(p94)
・関税自主権がない国には欧米は輸出のし放題となっていた、 その代金が払えなくなると列強は様々な利権を要求した。上海の関税を欧米に差し押さえられたように、 アジア諸国では関税の他にも 鉱山・ 港湾の 権利、領土の割譲 などを要求されることがあった(p104)
・日本は関税自主権がなかったので 関税によって輸入を抑えることはできなかったが、 輸入に見合うくらいの輸出ができた、 つまり 日本は 開国 当初から強い 輸出力を持っていた、それは 生糸であった(p195)
・タイが 関税自主権を持てたのは第一次世界大戦後であり、 中国の場合は1928年 である。 その他のアジア諸国が本当の意味で 関税自主権を持てたのは第二次世界大戦後である。アジア諸国のほとんどは 第二次世界大戦までは 欧米の植民地だったり、 事実上、 欧米列強の勢力圏に組み込まれていて、まともな 交易 はされていなかった(p112)
・戦前はアメリカ製の自動車が 日本の市場を席巻したので、 日本は輸入自動車に高い関税を設定していた。アメリカの自動車メーカーは日本に 組み立て工場を作るなどして日本の自動車市場はずっとアメリカ車が独占していた。業を 煮やした日本政府は、関税をさらに引き上げ 日本での組み立て工場を事実上 禁止するなどして強引にアメリカ 車を締め出した、それが 日米関係が悪化する要因の一つになった(p119)
・ 日本は国内メーカーを育成するために 昭和11年に自動車製造事業法という法律を作った、 この法律は事実上「 国内の自動車会社しか日本で製造販売できない」というものであった、 現在のアメリカの関税政策などよりもはるかに強力な締め出し 政策であった、 さらに関税を引き上げることで フォード や GM は 現地生産の旨味が大きく損なわれて 相次いで撤退した (p126)
・ 日本では 幕末の開国 以来 絹の原料である 生糸が輸出の主力であった、そのうち 日本の産業界は 生糸を売るよりも 絹・麺を製造して売った方が儲けが大きいことに気づき、次第に紡績業が発展していく(p133)
・イギリスはインドにおいて 綿製品の市場を日本に奪われた、 これに 慌てたイギリスは強硬手段として輸入規制=ブロック経済化を行った、インドはイギリス政府の要望に応える形で 昭和5年(1930) 4月に、免許を保護法を 施行、 綿製品に対してイギリス製品は15%、 その他の国の製品には20%の関税を課した(p138)インド市場から締め出された日本は、そのはけ口を満州に求めることになった(p140)
・ 収入のほとんどを消費してしまう 貧乏人ほど 関税の負担割合が高くなる、そのため 関税は貧富の差が広がるということで、 関税を減らし 金持ちを中心に課せられる「 所得税」を創設した(p152)
・ 第一次世界大戦でアメリカは 大儲けしたが 戦争が終結すると軍需が急になくなった、 ヨーロッパ諸国は、 商社も敗者も戦争で疲弊しこれまでのように アメリカ製品を大量に輸入することはできなかった、 これに危機感を覚えたアメリカは自国の製品を自国で消費するために外国からの輸入を締め出す 方針「 高関税政策」を打ち出した、世界一金持ちになったアメリカにたくさん物を買ってもらわなくてはならないのに、アメリカが輸入を閉ざしたので ヨーロッパ諸国はどこも 経済状態が非常に悪化した(p155)
・アメリカは金が流入してるにもかかわらず 通貨量を増やさなかった、1922年8月以降流入した金は連邦準備銀行の金準備に含めないようにした、 すると アメリカは金が大量に入ってくるにもかかわらず 国際競争力は落ちなかった、アメリカの貿易黒字はますます増え 金がますます 流入してくることになった(p157)
・世界を 大恐慌に陥れたアメリカは さらにその被害を甚大にする政策を行った、スムート・ホーリー法を成立させた、アメリカの輸入に関して約2万 品目の関税を大幅に引き上げるというものであった、アメリカに輸出をしていた国々は大きな打撃を受けた。 これに対処するため 世界各国が関税を引き上げた、このため世界貿易は大きく 縮小し世界中の国々の経済が混乱 疲弊した(p161)
・英仏 が宣戦布告する前 までの ナチスの領土拡大政策のほとんどは、 旧ドイツ帝国の国土回復か、 ドイツ語圏 地域の併合であった、ナチスのこの政策は当時は国際的な避難をそれほど受けていなかった(p172) ドイツがこのようなことを行ったのは、 英仏のブロック経済に対抗するためであった(p176) 当時の ナチスドイツは、実は、東欧・中欧 ・中南米窓からはそれなりに指示されていた、 当時の国際経済においてはナチスは「持たざるもの」の代弁者的な性格を持っていた(p181)
・世界 大恐慌以降、 イギリスやフランスがブロック経済を敷いたため 大量の失業者を生んでしまった、 だからアメリカは自由貿易を推進した、第二次世界対戦 終戦の年 の 1945年 イギリスはアメリカに対して38億ドルの融資を求めた。アメリカはその融資の見返りとして イギリスのブロック経済の解体を求めた、 フランスも同様であった(p195)
・第二次世界対戦後の国際経済は「関税はゼロに近づくほどいい」という理念のもとに アメリカが肝いりとなって、GATTという国際条約が作られた、 これは現在は WTO の基本ルール として 引き継がれている。 このルールの神話、1) 関税はなるべく 低、2) 1つの品目に関しては一つの関税しか設定してはならない、相手 国によって 関税率を変えてはならない、3)理由なく 輸出の規制をしてはならない(P196)
・ 1971年にアメリカはドルと金の打感の約束を崩壊させた、アメリカの貿易赤字により金の流出が続き金との兌換の約束が守れなくなった、 その最大の原因は日本であった。 輸入を減らすために 輸入品に対して一律10%の課徴金を課した、 これは事実上の関税と言えるものである(P207)
・ドイツのルール工業地帯は第二次世界大戦後、 連合国とドイツ 周辺国 によって共同管理されることになった、そういう時に フランスから持ちかけられたのが 欧州共同体 計画である。 フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの6カ国の鉄鋼業・石炭業を統合しようという提案であった、 そしてこの6か国でドイツのルール工業地帯 も共同管理しようというものであった。フランスとドイツが「今後は自分たちで 共同管理する」と言ってきたので 、英米は、関与する 道義はなく手を引かざるを得なかった(P233)
・アメリカが貿易赤字を削減しようとすれば アメリカドルを世界から回収することになる、世界中で 貿易量が拡大しており その決済通貨である アメリカドルの需要は非常に大きい、 そのドルの流通量が減れば世界貿易が収縮してしまう(P259)
・貿易黒字という と聞こえはいいが 要は自国の富は持ち出しであり、 その代価としての他国の通貨がたまっていくに過ぎない、 他国の通貨がたまっていく ことは 自国を豊かにするのでなく、自国の物価を押し上げるだけである、日本の輸出企業は 代価として受け取った ドルを円に交換するので日本円が増えてその分だけ 物価が上がり 国民には何の得もない(P265)
2026年2月4日読破
2026年2月5日作成