あらすじ
絶対先生とかも気づいていたと思う。いじめはなかったと会見開く前に真実を知るべき、知らせるべき。大人のエゴのせいでみんな傷ついた。いい加減隠さず話してほしい(全校生徒アンケートより抜粋)。子どもたちは知っていた……。「自殺の練習をさせられていた」――生徒たちの埋もれかけていた証言から事件は発覚した。いじめと自殺の因果関係を認めず、調査を打ち切った市教委の対応は、社会問題となった。事務作業や保護者対応に忙殺される教師たち。連携さえとれない現状で、はたして子どもの異変を察知することはできるのか。子ども1人に孤独を背負わせる世の中であっていいのか。私たちはいま、彼らのために何ができるのか――。大津支局記者のスクープで疋田桂一郎賞受賞。全国25紙以上に掲載され大反響となった3部にわたる連載記事をもとに、この事件の真相、そして悩ましき、いじめの構造に迫る。全校生徒アンケートの一部を本書に収録。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
チェック項目11箇所。「いじめをしない、させない、見逃さない、許さない学校」とも謳っていた、いじめが起きた際の迅速な対応につなげるための詳細なマニュアルもきちんと備えていた。プロレスごっこ……ある教育学者は「低温やけどみたいに、慣れっこになっていくうちに、気がついたら深く細胞まで侵されていて、あとは一生治らない、というのと同じような現象だ」と指摘する。「おじいちゃんおばあちゃん本当にごめんなさい。どろぼうといっしょのことをしたのはわかっている。でも、俺にはわるい友達は一人もいない。それだけは、分かってほしい」。「罵倒しても土下座させてもかまわないという社会の空気は、いじめと同じ論理」と分析、「無慈悲の悪循環を断ち切るために、各人が心のブレーキをできるだけ意識しておく必要がある」と訴えた。自殺の翌日、健次の祖父母が経営する銭湯を生徒の親が訪れ、告げた、「健次君はいじめ抜かれて死んでいったんやで。知らないのは被害者の親と加害者の親、そして学校の先生だけ」。学校は不当子に陥っている三人を授業に戻すため、指導でいじめを認めさせ、反省を引き出す必要があった、個人差はあるものの、三人とも「ちょっとやりすぎたかも」という気持ちはあると感じていた、だが、親から「いじめ前提の指導は必要ない」「冤罪だったらどうするんや」と断られ、先に進めなくなった。新しいPTA会長は毎朝、学校の校門に立って生徒に挨拶をする、何から始めていいのかわからないが、再生のためには行動するしかない、と考えた、生徒の様子に気づくためには、チャンネルが多ければ多いほどいいと思うからだ。「いじめを許さない学校」を掲げると、先生はだれも自分のクラスで起きていることを言い出せなくなる、「そんなばからしいことを言わないでもらいたい。いじめが仮に起きたとしても、先生のチームワークや生徒たちの力で、深刻化する前に止められる『いじめを包み込める学校』でありたい。「私が若かったときは職員室は生徒の話で満ちあふれていた。担任していない子のこともよく知ってましたよ。でも、いまの先生は雑用に追われて、余裕がまったくない。生徒のことを話している実感でいえば、採用された当時と辞めるときとでは10対1」。いじめている子どもに罪の意識なんてない、ということです、子どものときは、だれだってほかの子をからかって遊ぶことがあります、どんないじめをしていた子も『おもしろかった。遊びのつもりだった』と言います、それは子どもの本心だと思います、遊びだ、楽しいと思えば行為はエスカレートしていく、それがいじめの怖さです」。教員の世界には「困った子は困っている子」という言葉がある、手のかかる子どもは、悩みを抱えているという意味だ、同様に「困った親は困っている親」と考えることはできないだろうか、学校と保護者はパートナーであり、敵対することには、なんのメリットもない。