あらすじ
地方自治の空洞化が加速している.地方創生の推進とともに,地方は「稼ぐ」ための地域活性化を煽られ,コンサル会社による行政の“分捕り”や,国からの新たな統制が広がっている.人口の縮減,デジタル化の進展など,社会が大きく転換するいま,自治体の存在意義を根本から考える.地域住民の手に,いかに取り戻すか.
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Posted by ブクログ
問いに対して、某救急車リース案件の話が多すぎて、もっと後段の話が聞きたかったなぁと思った。
個人的には一ヶ月平均で国と県から計6431件メールが送りつけられてきてるグラフが1番良かったです。もはや笑うしかない
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「自治体は何のためにあるのか」
今井照(岩波新書)
横山勲の「過疎ビジネス」は痛快なドラマのような本だが、
本書は自治体問題の研究者の書であり
幅広い知識を与えてくれる。
地方自治体議員をはじめ多くの市民の必読の内容だと思う。
玉野市のメチャクチャな学校統廃合問題で頻出した「地域」「コミュニティ」などの概念の曖昧なままに、市の政策に巻き込まれる現実への疑念が解き明かされるということがあるし、そもそも国との関係で「自治」というものの根本的な意味を考えさせられる。
2024年の自治法改正が、
①デジタル化
②国と自治体との関係の特例
③公共私連携
のいずれも大きな問題を孕むものであるとの分析を読み、なかなか難解な問題ではあるけれども、さらに学習し、「今日と同じように明日も暮らし続けられる」ことが保障されるという自治体のミッションを作り上げて行かなければと思う。
現状の市民運動をみて、社会運動のこれまでがイデオロギーからの演繹法、つまり「こうあるべき」からの逆算になりがちで、対立と野合の繰り返しだったということを反省し、具体的な問題の解決に結びつけることが何より重要との指摘を改めて考えてみたい。
Posted by ブクログ
# 自治体は、稼ぐためにあるのか
——今井照『自治体は何のためにあるのか』を読んで
「自治体は何のためにあるのか」
本書のタイトルは、あまりに根本的である。しかし読み進めると、私たちがこの問いを長い間、正面から考えないまま来たことに気づかされる。
今井照さんの答えは明快だ。自治体の使命は「稼ぐこと」ではない。そこで暮らす市民に、今日と同じように明日も暮らし続けられることを保障することである。市場や制度が生み出すひずみを補修し、その隙間に落ちてしまった人の生活を支える。それこそが自治体という政府の仕事だという。
本書が厳しく批判するのは、2014年に始まった「地方創生」である。この頃から、国は自治体に「稼ぐ地域」をつくることを強く求めるようになった。各自治体に成長戦略をつくらせ、KPIを設定させ、ふるさと納税や企業版ふるさと納税を通じて自ら財源を獲得するよう促す。地域の財政が苦しいのは、その自治体に稼ぐ力や工夫が足りないからだ、という自己責任の物語が広がっていった。
もちろん、自治体が地域産業を育て、雇用を生み、税収を増やすことに意味がないわけではない。住民が暮らし続けるには、経済的な基盤が必要だ。問題は、「稼ぐこと」が市民生活を支える手段ではなく、自治体の存在目的に置き換わったことにある。
本書を読んで特に考えさせられたのが、「計画統制」という言葉だった。
かつて国は、補助金の対象事業や仕様を細かく定めることで自治体を統制した。2000年の地方分権改革によって、国と自治体は制度上、「上下・主従」から「対等・協力」の関係になった。しかし、統制がなくなったわけではない。
国が政策の方向を示し、自治体に計画をつくらせる。自治体はKPIを設定し、国に申請し、認められれば交付金を受け取る。事業終了後は成果を検証し、国に報告する。形式上は、自治体が自ら考え、自ら決めたことになっている。しかし、財源を得るためには、国が用意した政策言語、様式、評価基準に合わせて計画を書かなければならない。
国が自治体に直接命令するのではなく、自治体自身に国の政策を「自らの計画」として書かせる。そして成果が上がらなければ、それは自治体が立てた計画なのだから、自治体の責任になる。
補助金統制が消えたのではない。補助金、計画、KPIを組み合わせた、より間接的で巧妙な統制へと姿を変えたのではないか。
その結果、自治体が策定を求められる計画は急増した。職員は、国の制度を調べ、計画をつくり、審議会を開き、KPIを管理し、実績を報告し、数年後にはまた改定する。小規模な自治体では計画を内製できず、コンサルタントに委託する。地域が自ら考えるための計画が、いつの間にか、国の交付金を獲得するための外注文書になっていく。
本来なら、市民の暮らしを観察し、現場の問題を発見し、市民と対話し、小さく試して改善するために使われるべき時間と能力が、「計画をつくる仕事」に吸収される。地域に必要な政策を考えるのではなく、使えそうな国の補助金から逆算して地域課題を説明する。本書が告発するのは、地方分権という言葉の裏側で起きた、こうした自治の空洞化である。
コロナ禍の地方創生臨時交付金も、本書では大きな転換点として描かれる。巨額の資金が、従来のように総務省を介さず、官邸主導で自治体に配られた。自治体には大きな裁量が与えられたが、同時に、その使途と結果に対する責任も自治体に渡された。
これは自治の拡大だったのか。それとも、国による政策設計の責任を自治体に移しただけなのか。権限の分権と、失敗する責任の分権は、同じものではない。本書のいう「大惨事便乗型の地方創生」という批判は重い。
ただし、国による統制だけを批判すれば十分だろうか。私は、本書を読みながら、自治体自身の「自治の当事者能力」も問わなければならないと感じた。
制度上の権限があっても、自治体が自ら地域の問題を発見し、政策を構想し、人材を育て、財源を配分し、失敗から学ぶ能力を持たなければ、実質的な自治は成立しない。知事には中央官僚出身者が多く、副知事や主要な幹部ポストにも国から人材を受け入れている。国との調整や法制度の理解において、その人材が大きな力を発揮していることは間違いない。
しかし、自治体が国との「パイプ」を持つ人材を必要とすること自体、国と自治体が真に対等ではないことの表れでもある。国の情報を早く取り、補助金を獲得し、国が求める計画をつくる能力ばかりが高くなれば、自治体は地域の問題を発見する政府ではなく、国の政策に上手に適応する組織になってしまう。
地方分権とは、権限を移すことだけではない。自治体が自ら問題を定義し、人を育て、政策をつくり、必要なら国の制度を変える能力を持つことである。
本書が地方分権の先に置くのが「社会分権」である。地方分権が国から自治体への分権だとすれば、社会分権は自治体政府から市民社会への分権である。
自治体は役所だけを意味しない。そこに暮らす人々、NPO、地域団体、協同組合、企業など、多様な主体を含む地域社会そのものでもある。公共を役所だけで抱え込まず、市民が課題を発見し、解決策を考え、実行する。そのために自治体は、権限、情報、資金、参加機会を市民社会へ開いていく。
ただし、それは行政サービスを安く外注することでも、特定の地域団体を住民の代表として制度化することでもない。地域やコミュニティは一つではない。人は居住地だけでなく、仕事、子育て、介護、障害、関心、オンライン上のつながりなど、複数の共同体に属している。社会分権の担い手は、横にも縦にも開かれた、多元的で重層的なネットワークでなければならない。
そして、どのコミュニティにも参加できない人、地域のつながりからこぼれる人を、最後に直接支えるのが自治体である。社会分権は行政の撤退ではない。市民社会に公共を開きながら、市民社会だけでは支えられない人に対する政府の責任を、むしろ明確にする考え方である。
この社会分権という構想は、デジタル社会に新しい可能性を持つ。アプリを通じて市民の声を日常的に聞く。行政データを開き、市民が政策を考えるための材料を提供する。PolisやDecidimのような道具で熟議を支える。ハッカソンやシビックテックの成果を、イベントで終わらせず行政サービスへ正式に取り込む。
市民は行政サービスの利用者であるだけでなく、公共の共同生産者になり得る。ただし、行政が大量の意見を集め、AIで分析し、行政内部だけで決定するなら、それは高度な広聴にすぎない。市民の提案が意思決定、実施、評価へとつながって初めて、デジタルは社会分権の道具になる。
一方で、デジタルで声を届けられない人もいる。アプリ上に現れない人を見つけ、人が会いに行く。社会分権からこぼれる人を自治体が直接支えるという今井さんの主張は、デジタル時代にも変わらない。むしろ、デジタルによって「参加していない人」「見えていない人」が誰なのかを知り、行政がその人に近づくことができる。
自治体の政治や行政をあまり意識せずに暮らせる日常は、ある意味で素晴らしい。それは、水道が出て、ごみが回収され、道が使え、必要なときに医療や福祉につながれる生活が、特別な努力をしなくても維持されているということだからだ。
しかし、ひとたび役所の窓口に行くと、何度も同じことを書き、複数の機関から書類を集め、国、都道府県、市町村の間を行き来しなければならないことがある。市民から見れば行政は一つなのに、制度と執行は分断され、その体験全体を改善する主体が曖昧になっている。
自治体の使命が「今日と同じように明日も暮らせることの保障」なら、市民に制度の境界を歩かせてはならない。国の制度、都道府県の制度、市町村の制度を、市民の生活を起点に組み直す必要がある。自治体から生まれたシビルミニマムを、国のナショナルミニマムの再編につなげる。松下圭一が構想した「自治体から国へ」という政策の流れを、今こそつくり直す必要がある。
「今日と同じように明日も暮らせる」という言葉は、今日と同じ制度や行政サービスを、そのまま保存するという意味ではないだろう。人口減少、気候変動、インフラの老朽化、デジタル化が進むなかでは、現在の仕組みを維持することが、かえって将来の生活を壊すこともある。
守るべきなのは制度ではなく、市民が暮らし続けられる条件である。そのために自治体自身も変わり、学習し続けなければならない。
本書は「地方創生」という、一見すると前向きで反対しにくい言葉の裏側にある統治構造を明らかにする。そして、自治体は地域を稼がせるための末端機関ではなく、市民が自らの生活を支えるために使いこなす政府なのだと、改めて問いかける。
自治体は何のためにあるのか。
稼ぐためではない。市民が明日も暮らせるようにするためにある。そして、その「明日」を行政だけで決めるのではなく、市民とともにつくるためにある。
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地方自治のあるべき姿について、事例や政策の変遷などから語った本。自治体のミッションは「今日と同じように、明日も生きられることを市民に保障する」ことであり、国と自治体の役割を融合から分離へと転換させ、自治体がディフェンダーに特化できるに改めるべきという「自治体ディフェンダー論」を軸に展開される。
国が自治体に対して「稼ぐ」ことや計画を策定することを求める地域政策への批判や、2000年の分権改革からの変遷の解説など、納得感のある内容で理解しやすかった。主軸の自治体ディフェンダー論に関しては、網羅性やセーフティネットの観点からはすごく納得ができるものの、地域事業者や地域ソリューションの適切な競争市場の観点では、いわゆる誰がフォワードを務めるべきなのか、フォワードの観点に関しての論理をもう少し聞きたいと感じた。
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自治体はそこで暮らす人の生活を維持する。>かなり難易度高い。稼ぐことで生じた社会の歪を補正し、隙間に入り込んでしまった人の生活を支える。>もっと難しい。自治体を移るには元手がいる。一番困った人は移れない。>確かに。
Posted by ブクログ
冒頭に国見町で問題が明るみになったコンサル問題が取り上げられ、主に国と地方自治体との歪な関係を中心に本来自治体がなすべきことは?という内容が整理されている。 国と自治体には主従関係はないけれど、様々な補助金の要件にいろんな計画の策定を自治体に課しており、財源や人の限られる自治体ほど厳しい状況にあると感じた。 自力で稼ぐことを求められる自治体に違和感を感じていたので、本来のディフェンダーとしての自治体の役割をという主張には納得。
Posted by ブクログ
地方行政ということで推薦本であった。教員養成系大学の学生にとっては、教育についての説明がほとんどないのであまり参考にならないかもしれないが、教育委員会に就職を希望する学生は読んでおいていいかもしれない。
Posted by ブクログ
自治体と地方自治の観点から現在の課題と今後の方向性を考える趣旨で書かれた本。
導入部は、以前に読んだ「過疎ビジネス」という本に示されている東北地方の小さな自治体で起きた事件の紹介。
著者は、国が「官民共創」の名の下、自治体に対し、「稼ぐ」ことを求め、結果として、計画策定、アドバイザー派遣、専門家への事業受託に翻弄されている自治体の現状を憂える。
その上で、自治体に「稼ぐ」責任はあるのかという疑問を呈し、地域経済において自治体に求められるのは、「信頼を付与する役割」だという原点回帰を訴える。
次章では、事件が起きた背景や構造を考え、2000年の分権改革や2014年に開始された国の地方創生政策を取り上げる。
聞こえのいい「分権改革」によって小規模自治体は交付税が抑制され、国主導の「地方創生」政策は、メニュー化された自治体に計画策定を強い、地域課題から離れた資金争奪戦をもたらした。
さらに3章では、国による自治体への「計画統制」や2024年の自治法改正で、デジタル化(全体の最適化)、自治体への「補充的」指示権の創設、公共私連携(指定地域共同活動団体制度)が創設され、自治体や市民活動統制の動きが進展することへの危惧を論じる。
「官民共創」や「地方創生」という美しい言葉の陰で、自治体の本務が見失われようとしている中で、著者は、4、5章で、今後の自治体や地方自治のあり方を考える。
第4章では、自治体が、情報消費社会が作る新たな空間を意識して、住民の概念を広げ、他の主体と力を合わせて身体性という観点から人権を守るべき論じる。
最終の第5章では、情報消費社会の進展がもたらす自治体の負担増に着目し、業務量の削減のため、国と自治体との役割を「融合」から「分離」へと転換させ、市民生活のディフェンダーとしての自治体に特化すべきだと説く。
そして、国に対して、自治体行政への依存を止め、自立を訴えるとともに、自治体のミッション遂行のための資源を用意し、どの地域で暮らしてもナショナル・ミニマムを享受できる条件の整備を求める。
著者は、地方行政の経験を持つ学者であり、実体験と理論の両面から自治体や地方自治のあり方を見つめてきた。
レベルの高い論理力についていけないところもあったが、自治体や地方公務員の側に立って論じる熱い思いは、ひしひしと伝わってきた。