【感想・ネタバレ】子どもが自立できる教育のレビュー

あらすじ

専門家が確信した自立へ最適な教育法

教育の真の目的は、子どもを自立させることにある。現代の子どもに起こっているいじめ、家庭内暴力、引きこもりなど様々な問題は、彼らが自立できないことに起因している。その解決法を確信した専門家の渾身の一冊。
子どもの脳のタイプ別に、それぞれ教育の仕方の違いを提案し、それを踏まえれば、子ども達が大きく道を踏み外すことなく自立できると、著者は語る。
また「なぜ日本の若者は自立できないのか」という問題提起のもと、先進国の教育事情を調べ、そのメリット、デメリットを研究して、初めてわかった日本人にもっとも適した教育法を、本書であますことなく公開する。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

本書の著者である岡田尊司氏は、パーソナリティー障害や発達障害に関する多数の著作がある精神科医です。

本書の著者である岡田尊司氏は、パーソナリティー障害や発達障害に関する多数の著作がある精神科医です。

本書で述べられているのは大きく分けると3点です。

その第一点目は、発達障害というもの、より丁寧に言えば、個々人の持つ「特性」というものが、ちゃんと理解されていないこと、であり、以下は述べられていることのポイントです。
・人には程度の差こそあれ誰しも能力の偏りを抱えているのに、子どもを、人を、定形発達と非定型発達(要は発達障害か否か)に二分しがちなこと。言葉を変えれば、社会も教育も、個々の子ども・人の特性をちゃんと見ていない、みようとしないこと
・違う面から言えば、「発達障害」という診断は、その人の特性を理解した上で対処するための手段の一つとしては有効な場合もあり、本人も問題の所在が分かってほっとする場合もあるということもあるが、診断がついても、軽症のケースや大人の場合は、大した支援が受けられるわけでもないので、『ただ診断名をつけて、線引きするだけでは、問題は解決しない』
・また、能力の偏りを何でもかんでも「発達障害」とくくってしまい、家庭教育や、学校での指導、社会における扱いなど、(発達障害的な傾向はあるにしても)多くは環境要因は訓練不足から生じてしまっている問題等を見過ごす傾向
・逆に、発達障害や又はその傾向を「脳の障害」とのみしてしまい、環境要因や適切な訓練の必要性を考えないこと。また、早い段階から訓練しておけば、発達障害に起因する生活上の困難さは変わりうる。例えば統合能力が弱いなら、例えば聞きながら書く、書きながら説明するなどの、異なるモードの情報処理を同時に使うトレーニングをするなど。
・発達障害又はそういう傾向のある子を、適切に支援しないで、傾向を引きずったまま大人になったり、二次障害などさらに問題を深くしてしまって、そういう人が世の中で多くなり、社会が支えきれなくなる可能性もある。

第二点目は、子ども、人の特性は多種多様であるが、情報処理の特性は大きく3つの型に分けることができ、それぞれに得て不得手があるので、教育や学習、子育てもそれに応じて行われる必要がある、ということです。
A)視覚空間型情報処理
・目で見て瞬間的に処理するのが得意。長時間何かを考えたりするのも苦手。話を聞いたりすることも、集中力が続かず、気が散るか眠くなる。自分の考えや気持ちを表現するのも苦手なので、暴力的になることも。計画性に乏しく、場当たり的、衝動的に行動しがち。
・じっと座って授業を聞くのが体質的に合わない。体を使って実際にやってみるという実技型の授業が向いているが、普通の授業でもやり方を工夫すれば集中しやすくなる。例えば、説明時間を短くして、実際に何かをやる時間を増やしたり。
・このタイプには、まず応用をさせてみる方が良い。やっているうちに基礎に関心が広がり後で理解するということもある。
・行動的で行動しながら学ぶという特性を持っている。動き回ることで情報を収集し、学習するという特性を持っている。それを止めてしまっては、優れた機能も失われてしまう。
・他方、自分が本当にやりたいことをしているときは、何時間でも集中できる。適切に訓練すれば行動や欲求を律する力もついてくる。
・スポーツチームなどにおける儀式や型は有用。日課を視覚化・空間化することも有効。ただし、縛られ過ぎることを嫌うこのタイプには、規律が行き過ぎると弊害。
・厳しく叱りすぎると反抗的になるので、頭ごなしに怒るのではなく、じっくり話をきいてやり、冷静に行動について振り返らせた方が良い。
・日本の学校教育では上手くやっていきづらいタイプ。
・学校では問題児扱いされがちだが、実社会に出ると有為な人材になることが少なくない。何らかの技術を身につけられるかにかかっている。
・コミュニケーション能力などの社会的スキルや衝動性をコントロールできるかがカギ。
B)聴覚言語型
・聞いて理解するタイプ。言葉の感覚に優れ、会話の機微を理解。読書より講義形式が向いている。
・相手の気持ちを理解したり、場の空気を読むのも上手。すなわちコミュニケーション能力に優れている。
・他方、映像や空間的な処理が苦手。論理的で厳密な議論や記号を用いた抽象的なものは得意ではない。論理的なことよありも身近な話に興味を持つ。
・共感性が豊かであるがゆえに、気分や感情に押し流される傾向や、受動性の傾向を持ちやすいため、自分の気持ちや意志をしっかり話す訓練を積むことが重要。
C)視覚言語型
・文字言語には強いが、会話は苦手。具体的なものより抽象的な概念を扱うのが得意で、分析は得意だがオリジナルなものを作り出すのは苦手。一度に一つのことしか処理できない。
・記憶力がよく、ペーパー試験は強いので学校の成績は良いことが多い。知識も豊富。
・ルールを明確にして構造化することが得意。論理的に因果関係を説明してやると理解しやすく、応用もできる。細かいロジックがきちんとしてないと頭に入らない。図式化して整理することも有効。
・営業や現場よりも、研究者や学者、技術職やIT関係、法律や会計関係が向いている。
・実行機能や統合能力に弱い場合もあるので、体験型の学習や実技的な学習を増やし、自分で管理させる習慣をつけること、早くから仕事や役割を与えることもよい。
・共感性や社会的スキルに足りない場合があるので、社会体験によるチームワークやコミュニケーションの学習が必要。

第三点目は、以上のことを踏まえて、日本の教育システムの欠陥を指摘し、諸外国の教育を参考にすべきだと主張しています。

その主要なポイントは、
・日本のこれまでの子育て論と教育論には限界がある、子供一人ひとり大きく特性が異なり、発達の仕方が違うので、適合するしつけの仕方、教育の仕方も違って当然なのだということ
・例えば、聴覚言語型の子は言って聞かせれば分かるタイプであり、そのタイプの子には既存の教育、子育ての考え方は適合的であるが、国数英理社の5教科を実技科目よりも重視する学力観や教育方針では、多くの子ども、特に視覚空間型の子どもが生きづらく、伸びない。彼らは実際にやってみることで学ぶことを得意とし、高い行動力や好奇心、実験精神に富む。それが講義暗記型の教育ではその特性が生かせず、生産的な価値が生まれにくい、などと指摘しています。

さらに、
・軽度の発達障害がこれほど問題化しているのは日本に特異的な現象であり、ひとえに社会的スキルや自立のために必要な能力を育む仕組みに欠陥が生じている、
とした上で、
・日本の教育は、内容的にのみならず指導方法も画一的で、ペーパーテスト中心で、子どもの特性を無視した教育システムだ
・学習内容の理解度の七五三状態というのはその結果だ、国際学力テストの結果が下がり、学力レベルが凋落しているのはその証左だ
と主張しつつ、
・フィンランド、オランダ、ドイツ、スイスの教育は、子どもの特性に対応し、進学や進路選択なども、特性に合わせて進ませている
と言っています。

せっかく第一点目と第二点目で非常に重要な、大切な指摘をしておられるのに、教育論になると途端に雑で無理筋な主張を展開してしまっておられるのは、たぶん、岡田医師が、今の学校教育のことをよく御存じなく、昔の学校のイメージや、メディアなどでとりあげられる表面的な印象を元にして論じておられるからでしょう。

他方、私が上に挙げた著者が本書で述べておられる第一点目と第二点目は、非常に重要であり、学校や家庭での教育活動どうには、ぜひ視点として生かしていくべきだと思います。

ということで、本書の第1章から第3章は、ぜひ教育に関わる多くの方に読んでいただきたいです!

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2014年05月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 著者は精神科医。「脳内汚染」でゲーム脳について議論を提起した一人。ただ、この人は京都医療少年院で長く勤務されていた方であり、そういう意味で、現在の「発達障害ブーム」に自戒を込めた警鐘を鳴らすような最近の著作はごく自然なことなのかもしれない。
 臨床現場で痛切に感じるのが、就学後の「療育的教育」の乏しさ。
画一化された普通教育のトレーニングを受けてきた教師達にとって、「特別支援教育」とは指針の立たない手探りでしかない。しかも、生徒の能力も、苦手な領域もマチマチである。発達障害教育は、既に塾や予備校にその主たる座を移しているのかもしれない。
 さらに、教師の要請で、病院に「診断」を貰いに来るようなお粗末な患者も存在する現状である。個々の生徒の「目的地」が全く見えない。
 こうした「大学受験」を頂上としたピラミッド型の今の日本の教育を筆者は終始批判している。海外のモデルとして、オランダ・スイス・フィンランドにおける「自立」「協調性」などを育てることに主眼をおいたスタイルの重要性を強調する。
 そのための基礎的な理解になるのが、生徒個々の「情報処理の仕方」である。スティーブ・ジョブズや長嶋茂雄的な「視覚空間型=芸術家・職人肌」、共感性にすぐれて、交渉や折衝を得意とするバラク・オバマ型の「聴覚言語型」、そして、論理的な思考やプレゼン・情報処理能力に優れた、ビル・ゲイツ型の「視覚言語型」の大きく3つに大別した視点である。今の日本の教育は、ノートを取ったり、ペーパーテストが苦手な「視覚空間型」や「視覚言語型」の生徒の一部にとって、能力を発揮できない可能性があると述べる。

 私も、日本の教育システムは、すでにOSを書き換えるべき時に来ていると強く痛感する。受験をピラミッドとした、「受験準備のための早期教育」から、筆者も何度も述べるように「多様性」を重視した教育である。歴史的には官僚養成・エリート輩出を目的として始まったペーパーテスト。しかし、今の世の中、すべてが「エビデンス」であり、多様性を重視した結果、教育の有効性のエビデンスを示せないと言うことになりかねない。

 本書でも、精神科医の「理想論」が描かれているに過ぎない。学際的な、特に教育と心理、認知科学、精神神経医学が結集して新しいシステム作りをしない限り、前には進まない。そこに伝統や既得権は障壁でしかない。この本は、現場の教師に届けるべきものである。
 

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2013年03月29日

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