あらすじ
心身を新たにまなざす
近年、日本の歴史学で話題になっているもののひとつに「感情史」がある。それは、ひとことで言うなら、思想の歴史と身体の歴史、主観性の歴史と社会的・文化的な歴史とが交錯するアリーナだ。
今日の私たちが「感情」とみなすもの、つまり、悲しみ、メランコリー、恐怖、喜び、怒り、熱狂、共感、愛……といった精神状態は、言語、文化、信仰、生活様式における長く多様な歴史的変化の産物である。
そこで著者は、さまざまな感情の観念の変遷を古典古代の史料にまでさかのぼり、ときにはディズニーの映画や著名なポップ歌手、シェイクスピアやワイルドなどの文学作品を例に挙げ、また絵文字についての説明を取り入れたりしながら、一般読者にもわかりやすく論じる。
本書は、「emotion(エモーション)」という言葉の問題に始まり、感情と道徳/宗教、あるいは感情と医学的な次元の問題などを含め、忘れ去られた感情や近代的な感情体制の構築などの事例を数多く取り上げる。そしてこのように、過去のさまざまな感情のあり方を浮き彫りにし考察することは、現在の私たちの感情へのまなざしに新たな光を当てることになるだろう。
【目次】
序文
謝辞
第1章 過去の鼓動
第2章 悲哀の縮図
第3章 情念から絵文字へ
第4章 恐怖、そして幸せの追求
第5章 憤激のすべて
第6章 愛を探して
訳者あとがき
図版一覧
参照文献と読書案内
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
しょうがない部分もあるが、海外著作の翻訳本はやはり読みにくい。序章は感情史の成り立ちについて語られるが、抽象的な表現が続き、なかなか頭に入ってこない。
近世では、悪い感情は血液や涙と同様に黄胆汁、黒胆汁という架空の血液の循環が悪くなるから起きると考えられていたそう。古代ギリシャ哲学的に考えるとそうなるのか。
コンピューターテキストの文脈における「絵文字」は、1990年代の日本の携帯電話を経て世界中に普及したとされた。何故、日本の文化の中から、絵文字が生まれたのかは、偶然かもしれないが、一定の根拠があるように思える。日本語は、世界的に見ても感情を表現する言語が多彩。ここから、日本人は感情を細分化して、細かいところまで追求する文化性があると思われる。実際、古代に漢字が導入された際に、自分の感情を表す適切な漢字がない事から、かな文字で様々な表現方法を新しく開発していった。今まで、対面の表情等も含めたハイコンテクストなコミュニケーション文化だった所に、相手の顔が見えない携帯電話のコミュニケーションでら、より細かく自分の感情を表現する方法を編み出したと考えられる。
奴隷達の感情も扱う。18世紀のアメリカの奴隷達は、陽気である事が求められた。奴隷主達は、自分達の奴隷は自らの運命に対して神に感謝しており、自分が世界で最も幸福な人類である」と信じていたとされる。実際は陽気に振る舞わないと、体罰を受けるからだが、奴隷主達はその因果には気が付かなかったようである。