あらすじ
日本、韓国、沖縄、どこへ行っても本は木(なむ)で出来ていた。
●概要
「三十代初めまでは身近に詩があった。だからこの本にもちょくちょく自分の書いた詩が顔を出す」。著者がこれまで生きてきた日本、韓国、沖縄で感じたこと、言葉にしたこと、詩で表現したこと。三点測量するように書いてきたエッセイを集大成。
●本文より
韓国に来る前に持っている本を全部売った。古本屋のおじいさんが部屋まで来てくれて十年間私が引越しのたびにひきずって歩いた活字の群れをそっくり引き取ってくれた。さよなら 私の本たち。それはたいそう重かった。
「本って、本当に重いですよね」私が言うと おじいさんが答えた。「さようでございますもともと木でございますからね」(第一章「プラタナス」より)
三十代初めまでは身近に詩があった。だからこの本にもちょくちょく自分の書いた詩が顔を出す。日本語でも一冊詩集を出し、ソウルにいるときには朝鮮語で書き、それらが一九九三年に韓国の民音社から『入国』として出版された。外国人がハングルで書いた珍しい本ということで、当時かなり話題になった。それはちょうど、韓国でいくつかの詩集が驚異的なセールスを記録していた時期と重なる。特に、崔泳美(チェ・ヨンミ)という詩人の『三十、宴は終わった』(日本語版はハン・ソンレ訳、書肆青樹社)が一九九四年に刊行され、その年だけで五十万部以上を売り上げるという空前のベストセラーとなった。私の詩集が読まれ、すぐに重版がかかったのも、こうした流れの中のできごとだ。民主化からあまり時間が経っていなかった九〇年代初頭の韓国人たちは好奇心に満ち、新しいもの、変わったものに対して寛容だった。(「あとがき」より)
●著者プロフィール
1960年、新潟市生まれ。翻訳者。著書に『増補新版 韓国文学の中心にあるもの』『本の栞にぶら下がる』『隣の国の人々と出会う――韓国語と日本語のあいだ』。訳書にチョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』、ハン・ガン『ギリシャ語の時間』、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』、ファン・ジョンウン『ディディの傘』、李箱『翼――李箱作品集』、パク・ソルメ『未来散歩練習』などがある。2015年、共訳書パク・ミンギュ『カステラ』が第一回日本翻訳大賞受賞。2020年、訳書チョ・ナムジュ他『ヒョンナムオッパへ』で第18回韓国文学翻訳大賞(韓国文学翻訳院主催)受賞。2025年、ハン・ガン『別れを告げない』で第76回読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞。
【目次】
「なむ」の来歴もくじ
一章 「なむ」の来歴
二章 沖縄で考えたこと
三章 言葉と言葉の間で
四章 コラムの日々
五章 日常と本と
六章 詩、夢、訳
あとがき
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Posted by ブクログ
斎藤真理子さんを木にたとえたら、と考える。
がっしりと張った根は、古い地層に蓄えられた水を汲み上げ、揺らぐことはない。
稠密に重ねた年輪に支えられた頼もしい幹に、背中を預けて空を見上げてみると、光を求めて両手をいっぱいに差し伸ばしたかのような梢が見える。
そよ風と戯れて、さんざめく枝先は、どこまでも軽やかだ。
見慣れた馴染み深い木であるが、僕の中で欅のイメージが重なる。
この季節のキリッと冷たい空気のなかで、青空を背景に立つ裸木の凛とした佇まいもまた、彼女に似つかわしいように思えてくる。
木にたとえたくなった理由は、もちろん本書のタイトルからの連想だ。
“「なむ」とは韓国語で木を指す。本はもとは木であった。”
また、古今和歌集の序文には、こうある。
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
人の発する声、文字、遺してゆくものが言の葉ならば、人ももとは木であった、そういってもいいんじゃないか、そんなことを思ってみたりもする。
ーー
斎藤真理子さんは、翻訳者である前に詩人であった。
そのことに軽い驚きを抱くと共に、ハン・ガンの作品を始めとした翻訳の言葉の美しさになるほどな、とも思う。
だが、後書きの中でさりげなく披露された彼女の詩-ふぶき-には本当に驚き、喜びを感じた。
すべての白いものたちの、別れを告げない、と繫がっている。
翻訳者としての言葉のつながりということではない。ふぶきの中で舞う、たった一つの雪片に目を凝らして行方を追いかける。他のすべての雪片ととても似ている、しかし私だけのたった一つの雪片が、記憶の中で、やむことのない吹雪の中で、地に落ちることなくいつまでも舞い続ける。
そんな雪片のイメージが、僕の中でハン・ガンの言葉と共鳴する。
そういえば、ハン・ガンもまた、木に惹かれて、木と人の重なりをモチーフとして描く作家であった。
斎藤真理子さんの言の葉には、土地に根差した歴史と記憶に染み込んだ水を、まずは自らの身体に取り込み、行き渡らせたのちに発せられたという実感がある。
隣国である韓国、地上戦を経験した沖縄、故郷の新潟、それらを点ではなく繋いだ場所から、東京を、日本を観る視点がある。
軽妙さと鋭さは、広く深く張った根に支えられていれるのだ。
“夢は個人の秘密というより、集団の毛づくろいの痕跡のような気がしている。
誰のものかわからない記憶、言葉、文章。誰のものかわからない夢。”