あらすじ
歴史小説を読んで、「自分もこんなふうに生きよう」とか「この過ちを繰り返してはいけない」と思ったことはありますか? なぜ私たちは、創作物の中に歴史の真実があると感じるのでしょうか。その秘密は、歴史と歴史学と歴史小説のもつれた関係にありました。人気歴史小説家が「真実」を創り出す手口を種明かし! 小説にも漫画にも映画にも騙されず、自分の歴史観を持とう 【目次】はじめに/第一章 歴史は物語なのか/第二章 歴史小説のウソ/第三章 歴史小説と史観/おわりに
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Posted by ブクログ
「はじめに」
歴史小説と歴史学の違いを挙げた。歴史小説の対象は人間で「どの時代でも変わらない」、歴史学の対象は時代で「今とはこう違う」。とはいえ実際はどちらも意図的に混じる/混ぜると。
「第一章 歴史は物語なのか」
歴史の記述というか文書の特性を挙げる。当然ながら一次文献であっても主観が入り、誇張やウソが紛れ込む。また近世以前では歴史と物語とが分けられていない。ここで歴史学の創始者ランケが実証主義を持ち込み、歴史を「歴史学」に変えたことを紹介。つまり文学との境界が曖昧だった歴史を科学としての歴史学へと変えた。とはいえ歴史学となると歴史のワクワクが減ってしまったとも言え、それに応えるのが歴史小説、とも言えると。
「第二章 歴史小説のウソ」
歴史学には会話文が無い。会話文は歴史小説の専売特許。人物の心の動きについても歴史小説なら書けるが歴史学では書けない。「本能寺の変」の歴史小説は多いが、歴史学での研究意義が見出しにくい。やるとすれば政治構造分析か。「なぜ明智光秀は謀反を起こしたのか」は歴史学では答えられない。
なお歴史小説を書く上で調べる文献は二次文献が大半。一次文献だけではその文献の読み方さえ分からないし誤読する。先学の調べたことを利用するのは当然。史料(=一次文献)として例えばナレーション史料。ただし文学的要素も多くてウソだらけ、また「勝者の歴史」でもある。法律、裁判記録、行政文書(戸籍・出納簿・議事録)などはウソが少なめ。手紙は美化する必要がないのでウソが少ないが、しかし公開前提や途中で読まれること前提の手紙の取扱は注意を要する。
歴史小説の読者は現代人なので、現代人の共感を生むよう書く必要がある。しかし歴史小説の時代と現代では価値観が異なることも多い。特に人権。そこで宗教や信仰を使って現代人の価値観に近い視点を生み出すようにしていると。
「第三章 歴史小説と史観」
先に結論を書くと「自分なりの史観を持てば「歴史小説のウソ」に惑わされない」。
史観/歴史観は広辞苑によると「歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方」。時代区分の「古代・中世・近代」も一種の史観で「悪い中世」と「良い古代・良い近代」。
歴史学以前の歴史には文学的要素が混じり、またイデオロギーの要素が含まれている。先にイデオロギーありきで歴史を描くことも多い。ただし科学的であるとの前提に立つ歴史学でもイデオロギーが含まれることがある。そしてこのイデオロギーが史観を打ち出すことがある。良い悪いの基準が先にあり、それを時代に当てはめる、これでは物語であり伝説であり、聖典にもなる。
近代でも「唯物史観」「皇国史観」などイデオロギーが先にある史観が力を持った。しかしイデオロギーは論に過ぎず、それを支えるために歴史の力を借りた。皇国史観の大元は水戸藩の尊皇イデオロギー。そのために水戸光圀は「大日本史」編纂に力を注いだ。敗戦により皇国史観が打ちのめされ、しかし日本は前に進む活力となる史観を求めた。ここで出てきたのが、歴史小説であり司馬遼太郎であり「司馬史観」であると。しかし歴史小説にはウソが含まれる。そのウソにより読者を信じさせることができてしまう。(もしもイデオロギーによるウソが…。)
さて史観は歴史学が出すべきものなのか。判断を伴うので科学的ではない。よって史観を打ち出すことができるのは(前近代的)歴史家ではないか。歴史小説家でも歴史学者でも、史観を持つときは歴史家だと。もちろん読者も歴史家。史観は他人から与えられるものではなく、自分の頭で考えて、自分なりのものを作り上げていくことが大事。
第三章の史観の話は、一読しただけではうまく腑に落ちなかった(というか理解出来なかった)ので、私の理解を含めて書きながら腹にすえてみた。納得できた。
書名「歴史小説のウソ」よりも大きい内容の本でした。なお「おわりに」はぜひご一読頂きたいので、ここでは取り上げません。
Posted by ブクログ
最初は延々と歴史学者と歴史小説家の違い、歴史との向き合い方、事実と創造の区別など、あまり興味がないテーマだったので、とりあえず読み通すことが目的で読んできたが、『史観』の話題が出てきたところから俄然面白くなり、最後はズシリと重い言葉を投げかけられて、受け止めきれずにいる。
司馬史観、皇国史観、唯物史観、いろいろな史観が提示されてきたが、歴史小説歴史書を好んで読むならば、自分なりの史観を持つべきであると。そして佐藤氏が30年余にわたり歴史を書き続けてきてたどり着いた真理とは「人間は戦争をしたがる、際限なく戦いたがる生き物なのだ」ということだ。力の強い者が総取りする弱肉強食の世界が人間の本質か?昨今の世界、日本のあり様をみると、否定のしようもない。