あらすじ
【不作為と怠慢により失った歳月と、試行錯誤の末の再生】
日経平均株価がバブル高値を超えるまでに34年。何故これほどの期間が必要だったのか――。ガバナンスは問われず、顧客尊重の意識も低かった日本証券業界のひずみが音を立てて噴出した1997年11月。山一証券の自主廃業こそが時代転換の瞬間だった。あの日、破綻の現場にいた日本経済新聞の編集委員が証券業界と市場の変遷を語る。
【目次】
プロローグ 自主廃業の夜
第I部 山一前
第1章 グローバルとの遭遇
第2章 PKOの時代
第3章 自由化への抵抗
第4章 会計が迫った開国
第5章 1997年
第II部 山一後
第6章 日本版ビッグバンの虚実
第7章 ファンド資本主義
第8章 リーマン・ショック
第9章 「失われた歳月」の終わり
第10章 グローバルを超えて
エピローグ 破綻ロード再訪
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Posted by ブクログ
2025/11/19 「山一前後」 小平龍四郎 日経編集委員
バブル崩壊後の35年、日本を含む東南アジアが「グローバル化に向けて社会経済システムの革新」を進めた時代と総括している。そのために①ガバナンスの確立、②資本の改革が進められてきた。
日本は理念的な改革は苦手で、対処療法的対応に終始し、結果的に先送りでズルズルと世界におけるPositionを落としてきた。
2024年2月、34年振りに日経平均の高値更新が実現した。バブル崩壊後に進められた市場改革や経済政策が漸く成果を挙げたとも言えるが、真の要因は不確実である。
1.戦後の日本経済は「統制経済」。個々の企業に経営はなく、行政が所管の業界を統制した。しかしバブルの崩壊には為す術なく、ズルズルと時間だけが過ぎた。
2.この間、日本企業の効率は低下し、世界の主要な国々の後塵を拝するようになった。そのつけが、バブルの崩壊と基幹となる金融機関の破綻である。1997年11月の北海道拓殖銀行および山一証券の破綻。
3.破綻後、日本経済の再生を図り、証券市場の主導による「経営改革」に挑戦した。