あらすじ
六〇年安保闘争、六〇年代末の全共闘運動、七〇年安保、七〇年代から八〇年代の成田空港反対の三里塚闘争では、反天皇制が主要なテーマになることはなかった。ところが昭和から平成の天皇代替わりに、新左翼の各セクトは封印を解き、反天皇制を最大のテーマに掲げて、炎と爆弾によるゲリラ闘争を展開した。内ゲバと市民を巻き込むテロに突き進んだ彼らの無謀な作戦、それに対する警備・公安警察。本書は暴力闘争の徒花を、現代史の一側面としてまとめる試みである。
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Posted by ブクログ
皇室について何冊も書いている人が新左翼セクトによる反天皇制闘争を題材にした本を書くのは変わっているな、と思ったら公安担当記者だった時期があって、その時の経験や取材などを元にした本だった。
新左翼を題材にした本は諸セクトが刊行しているものを除けば限られていると思うが、立花隆の「中核vs革マル」を「名著」として言及しながら「同著では立花氏が警察などを取材した形跡が見られないので」と評している。どうやら「中核vs革マル」の上巻の冒頭で警察を取材した事を記した個所を忘れているのか、引用しているのが下巻なので見落としたのだろうか?もっとも半分ぐらいは昭和26年の京大事件から始まり内ゲバ戦争などを前史のように扱っている。「中核vs革マル」は昭和50年に刊行された本なので情報を更新するにはちょうどいいだろう。
菅孝行の「ことにおいて後悔せず」を読んでいて武藤富男の息子の武藤一羊が邦訳を出した事があるグラハム・ハンコックがメンギスツ政権の太鼓持ちだった時に知ったエチオピア正教会の聖櫃崇拝を元に「神の刻印」を書いてトンデモ本ライターに転身したのと全共闘闘争の破産で反天皇制闘争に切り替えたのに似ていると思ったが新左翼諸セクトも同じようなもののようだ。
この本に写真が掲載されているように常陸宮邸の屋根に金属弾を着弾させるだけの「技術」があるのに新左翼諸セクトは敵対セクトの構成員や民青、警官や機動隊員を殺す事はしてもドイツ民主共和国のMfS(シュタージ)の紐付きのドイツ赤軍のようなテロをやろうと思えば出来るのにしなかったのは破防法の団体適用をされたくなかったからだろうか?
「中核vs革マル」には中核派は在日朝鮮人に「誤爆」した時だけ謝罪したとあるが、この本には平成初年に中核派は丸っきり関係のない人達を「誤爆」して殺した時を居直った記述がある。「誤爆」という軍事用語を使うが関係のない人を殺そうと障害が残るほど怪我を負わせようと謝罪しないのは一番おぞましい。「誤爆」した対象が民団系在日韓国人やニューカマー、全解連関係者だったら「KCIA(安企部)の手先」や「日共の手先」と主張して居直っただろうか?
内ゲバ戦争は昭和7年の熱海事件で特高がMに関して尋問しないので彼がスパイだと気がついてから疑心暗鬼になって「スパイ査問」に勤しんだあたりから始まって50年分裂当時の国際派対所感派の査問合戦や51年綱領下の極左路線の延長線上にあるのではないか?新左翼運動自体、昭和30年の日本共産党の六全協決議やスターリン批判とハンガリー事件の衝撃で生まれたはずなのに自分達が否定したはずのスターリン主義的な組織運営をするのはレーニンの党運営は否定しないからだろうか。
Posted by ブクログ
新左翼の歴史について書かれた一冊。元公安担当記者の著者の取材メモを元にした記述には、当時の空気を感じさせる独特の臨場感があった。
本書からは、「独善的行動は破綻に終わる」という一種の教訓を学ぶことが出来る。
新左翼の面々は、強い正義感に突き動かされ、日本社会の変革を目指した。しかし、それは自分達の考えを疑わない独善性や、他者の犠牲を肯定する身勝手な論理に基づいていた。その為、大衆の共感を最後まで得られないまま、運動は退潮していった。
著者の指摘通り、誰もが現代的不幸(生き辛さ)を抱えて生きている。その心の空漠を埋めることは、確かに容易ではない。終戦以後の社会の矛盾は、人々の心に深い影を落としていた。新左翼は、敗戦が産んだ一種の鬼子であると言える。