あらすじ
寄宿学校で教師をしている「わたし」は、ある晴れた夏の日、学校近くの三日月湖、マッドガイド・ウォーターに浮かべたボートの上で、ふわふわの毛につつまれた、二足歩行するハリネズミのようなふしぎな生きものと出会います。そして、一粒のミルクキャンディーがきっかけとなり、「ヤービ」と名乗るその生きものと「わたし」の交流がはじまります。ヤービの語る彼らの暮らしは、穏やかだけれど、静かな驚きに満ちていました。
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外国の雰囲気がとてもお洒落だと感じました。ヤービにはヤービの生活があって、その毎日を生き生きと感じることができる本でした。セジロの考え方、今で言うヴィーガン?と似ていると思いました。結構ボリュームがあったけれど、続きが気になってあっという間に読めました。
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まるで夢の中に入り込んだような、優しくてあたたかい物語でした。読み進めるうちに、静かな湖のほとりの風景が目に浮かび、草のにおいや水の音までも感じられるようでした。
何よりも心を惹かれたのは、ふわふわの毛に包まれた小さな不思議な生きもの、ヤービの存在です。優しくて、少しおせっかいで、おいしいものが好きで、友達思いのヤービに、私も本当に会ってみたいと思いました。きっとぎゅっと抱きしめたら、あったかくて安心するに違いありません。
この物語には、大きな事件や激しい展開はありません。でも、それがかえって良くて、読んでいるうちに心がほっこりして、日々の忙しさやざわざわした気持ちがふわっとほどけていくようでした。静かだけど豊かな時間が流れていて、ページをめくるたびに、優しい気持ちになれます。
「大切なものは目に見えない」という言葉がありますが、『岸辺のヤービ』もまた、目には見えにくいけれど心の奥に残る大切なものを教えてくれる物語だと思いました。ヤービや仲間たちと一緒に過ごした時間は、私にとって宝物のような時間でした。
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梨木香歩さんの作品を、いつかは全部読みたいと思っているのに、最近足踏み状態だったので、勢いをつけるために(?)、読みやすいと思われたヤービから読むことにしました。勝手に絵本だと思い込んでいたのですが、児童書と分類されるものでした。
これは人間で、寄宿学校、サニークリフ・フリースクールの教師であるウタドリさん(あだ名です)が、ヤービという小さなクーイ族でヤービ族の生き物と偶然出会い、そのヤービから聞いた小さな種族たちのお話です。
梨木香歩さんらしい、なんとも丁寧で、なんというか背筋がぴんと伸びるような美しい日本語で綴られています。児童書なので、あっという間に読めますが、水辺のことだったり、生き物、特に鳥の生態のことなどは、梨木さんの博識さが隠しきれない、といった感じでした。
しかししかし、ヤービをはじめとした登場人物の心の機微というのか、心情描写はもう、素晴らしいの一言につきます。誰もが小さいころから大きくなるまでのどこかでちょっと感じたことがあるであろう、でも、多くの人がちょっと気づいただけですぐに忘れ去ってしまったであろう大小の感情の動きのあれやこれやが出てきて、それに出くわすたびに、「やられたー」と思うのでした。知ってる、この感情知ってる!どこかで感じたことある!と。
たとえば、ヤービのいとこのセジロは自分たちが蜂の子を食べるということが残酷に思えて、しばらく食事ができなくなります。これって、食事ができなくなるまではいかなくとも、身に覚えがある読者は多いんじゃないでしょうか。(そういえば、私の妹は一時期、豚肉も牛肉も口にしない時期がありました。鶏はいいんだと言ってましたが。)
それから、ヤービが思わず小さい子のように甘えた感じになって、ママ・ヤービに対して気まずく思う瞬間。これも、あーなんかわかる!とポンと膝を打ちたくなります。そして、ママ・ヤービの素晴らしい対応。ここは親として見習わねば、と思いました。それに、怖いと思いつつもスリルを味わいたくなったり、恐怖の対象がヒーローのように自分の中で大きくなってしまう子ども心・・・あぁ、なんだかよくわかる・・・。
それからこれは、身に覚えがある感情というのとは少し違うのですが、ヤービとセジロが出会った、ベック族のトリカは、母親が、ヤービとセジロの前でちょっとショックを受けるような態度をとってしまったことについて、必死に母親をかばおうとします。この場面、きっと現実にも少なくない小さな子たちが、こういうことを、「母親をかばう」という意識なしでしているんだと容易に想像できて、なんだか涙が出そうになりました。そしてそれを知って、ちょっと癖のあるトリカが大好きになったというウタドリさんにも涙が出そうになりました。優しい世界で胸があつくなりました。トリカの家族が良い方向へ向かっていけますように、と祈るような思いでした。
ちょっと笑ってしまったのは、パパ・ヤービの弟、マミジロ・ヤービは詩人というところです。マミジロ・ヤービは、詩の一行目が天啓のようにおりてきたものの、それから進まないことをすごく楽観的な姿勢で構えていて、そんなことを話せる相手としてウタドリさんを認めたのでしょうが、自信満々に話す姿が愛らしくて笑ってしまいました、マミジロ・ヤービの詩はどんなふうに完成するのでしょう。楽しみです。
大きい人たち(人間のこと)によって環境が変化してきてしまっているマッドガイド・ウォーターを離れるべきかとどまるべきか。ヤービ族は考えなければいけない時期がきたようです。どういう結果になろうとも、マッドガイド・ウォーターが好きだし、自分もウタドリさんもマッドガイド・ウォーターの一部だと考えるヤービ。なんて素敵な子なのでしょう。
優しい気持ちで読み終えました。さすが、という感じです。素晴らしい作品でした。
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児童書コーナーで物色していると梨木香歩さんの名前に目が止まり、パラパラと見て、なんだかムーミン谷のような雰囲気に惹かれて購入。
水辺で暮らす不思議な生き物・ヤービと出会った大きい人(=ヤービたちの言い方で人間のこと)である「わたし」の語りで物語は進んでいく。
自然や生物の描写が美しく、可愛くて洋書のような挿絵もあり、とてもお気に入りの作品となった。
続編も出ているので、またヤービたちのお話を聞けるのが楽しみ。
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梨木香歩さんの世界がとても好き。
自然の描写にとても魅力を感じます。そして自分も何か大きなもののちっぽけな一部分であると言うことを思い出します。
そして岸辺のヤービは私の大好きな小さな生き物達の世界のお話でした。小さな生き物と大きな生き物の交流、美しく厳しく大きくそして繊細な自然の描写。
全てが好き。途中に挟まれるカラーの挿絵もとても良いし、手元に置くしかない。
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ファンタジーの初級編でファンタジーに入り込めない私でも容易にその世界を覗く事ができた。
入り込めないのにこの作家の書く世界は穏やかで難解だけど優しい気持ちになれるので読んでいるがこの本からレベルを上げていけば梨木氏に近づけるかも知れない。
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梨木香歩の世界観である、鳥や植物、水辺、カヌー(この物語ではボート)、自然破壊への憂いなどなどが散りばめられた物語。日本のような、英国の田舎のような、著者のエッセイ本を読んだ人ならそのどちらの空気も感じ取れると思う。
ムーミンを思い描く人も多いと思うけど、あのシリーズのようなシュールさは無く、優しい日本語で綴られてる。これ子供の時に読んでいたら「ぐりとぐら」のようにいつまでも心に残る本になってただろうな。
それ程長くない章ごとに区切られているので、眠る前に読むと柔らかい気持ちで眠りにつける。
続編も買ったので読む。
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他のものの命を食べて生きることへの罪悪感。私も小さい時に同じことを感じていた。それに対するパパ・ヤービの答えは、「ごめんね」と思うこと。同じ生き物だからそれで充分とのこと。
ヤービを取り巻く環境の変化(蜂の子が減った、など)は人間が及ぼしたことが影響しているのだろう。ヤービの視点、先生の視点で見られるのが考えさせられるし、楽しい。
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できれば、自分が10代の前半に読みたかった!
そして、また大人になってから読み返したい、と思う本だった。
生命の不思議、大切さ、季節を感じること、自分を取り巻く環境に向き合うこと。
自分に子供ができたら読ませたい。
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これは大好きな世界だ!ヾ(゚▽゚*)挿し絵もすっごく可愛い(*´∇`*)水中を自由にうごきまわれるスーツが欲しい!(^o^)♪ヤービ一族と関わるのはウタドリさんだけにして欲しいけれど…
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ヤービ、かわいい!大好き。
他のものの命をいただいて生きることに感じる罪悪感。切なさ。梨木香歩さんはこんなふうに一つ答えをくれた。
ムーミンの世界と読み比べてみたい。
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フリースクールで教師をしている人間が
ヤービという小さい生き物に出会い、ミルクキャンディをあげて
色々な話を聞く、話。
ヤービの一族の名前がムーミン一家のようなこともあり
ムーミンを思い出す。
セジロ(ヤービの従姉妹)が生き物は食べれなくなってしまったところは、朝ドラのごちそうさんを思い出した。
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『西の魔女が死んだ』の梨木香歩氏が手がけた児童文学。
場所は、マッドガイド・ウォーターと呼ばれる、どこかにある湖沼地帯。
学校教師の主人公が、ある日湖のほとりで出会った、ヤービと呼ばれる不思議な生き物のお話。
普段なんとは無しに周囲に存在している世界の中に、ふと突然、小人のような存在が暮らす世界への扉が開かれ、いままで見えてなかった世界に迷い込む。
子供の時分にもしかしたら妄想したことがあるかもしれない、そんな不思議な体験記の体裁を取っている。
ヤービたちの日々は、大いなる自然の中で自然とともに慎ましやかに、でも工夫に満ちた生活である。
彼らから見た自然は、大いなる未知をはらんだ世界であり、しかもその中でも子どもであるヤービにとっては、その生活は発見と驚きに満ちている。
ヤービが新たに発見し、帳面に記していく過程は、恐らく子どもにとっては幼児期の日々の追体験にもなっている。
人間では体験できないような、ミクロの、でも雄大な世界。そんな彼らの生活の背景にも、「環境の変化」を感じさせる兆候が見え隠れする。読者はおとぎ話のなかに人間の存在を確かに感じ取り、それがこの世界にリアリティを与えている。
何か目立った事件が起こるでもない。
素直で素朴な登場人物たちの間にこれといったスペクタクルが生じるわけでもない。
でも、本当に隣にヤービがいて、今日あった出来事を話してくれているかのように、その楽しげな語りに自然と耳を傾けてしまう。
そんな一冊。
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初めての梨木香歩さん作品。
マッドガイド・ウォーターという架空の水辺の地域を舞台として、ハリネズミのような見た目をした「ヤービ」たちを巡る物語。
作品ホームページにて、作者の”子どものための物語”への考えを知り、この優しい世界が一層愛おしくなった。
背伸びをして難しい本ばかり読んでいた子供時代の私に、「今しか感じられないことがあるから読んで」と言いたい。
小さな生き物たちのユニークな暮らしぶりの中に、作者の環境問題への憂慮が織り交ぜられていて、世界を見るスタート地点としてもこの作品をたくさんの子どもたち、いつか子どもだった人たちに読んでほしい。
絵と装丁も素敵!
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借りぐらしのアリエッティとか、ムーミンに近い世界観に気持ちが安らぐ。ほのぼのした中にも、ヤービの達の穏やかだけど静かな驚きに満ちた暮らしが、「大きい人=人間」の影響で変化していく姿やそのことへの恐れが物語に影を落としていて、梨木先生の童話で育った大人たちや、これから大人になる子供たちへの強いメッセージを感じた。
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「ヤービ」という、架空の動物の生態と、マッドガイド・ウォーターの岸辺に棲む、実在する鳥や虫、動物や植物の生き生きとした姿を、見事に同居させながら、薫り高い自然の息吹をも感じさせてくれる、この作品は、さながら、ファンタジーを塗した、「センス・オブ・ワンダー」といったところでしょうか。
それから、小沢さかえさんの画ですが、以前に読んだ「チャーちゃん」とは、全く異なる感じなのが、また印象的で、「チャーちゃん」の哀愁を感じさせる幻想的な美しさに対して、ヤービの画には現実感があり、架空の動物に血肉を与えたような、自然な佇まいには違和感がなく、実在するかのようです。
そんなファンタジー要素を含んだ世界であるのに、現実感の強い本書を読みながら、私自身もマッドガイド・ウォーターの、たそがれ川のボートの上にいて、ヤービとともに、クジャクチョウを眺めたり、湿原の冷たくて気持ちよい風を感じたりと、自然の素晴らしさを追体験しているようで、なんて素敵で心地好い場所なんでしょう。
ただ、そんな場所にも、人間の環境破壊を思わせる描写があることには、胸が痛む思いがしましたが、もしかすると、読者がヤービの暮らしを見ることで、自然保護の大切さを考えるきっかけになるのかもしれませんね。
そうした思いから、是非、多くの子供たちに読んで欲しいです(児童書なんですけど、内容的にはやや渋く、大人も楽しめるのは、梨木香歩さんがこの作品を、「永遠の子どもたちに」 捧げていることからも窺える)。
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ディストピア物を読んだ後なので、本当に癒された。
まだ豊かな自然が残る湖沼地帯に住む小さな生き物たちを取り巻く物語。
こうやって、今あるものを大切に、互いを思いやり、出来る限りを尽くそうとする気持ち。
大きな人(人間)が、忘れ掛けてしまっているものを思い起こさせてくれる。
決して批判的でなく、戒め的な厳しさもなく、優しさで包まれるような物語。
それでも、やはり大きな人たちの経済活動の影響が見え隠れする。
続編も読みたい。
2021.12.19
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コロボックルとか、ガンバとか、ニングルとか、ムーミンとか、湖沼地帯の描写のどこかに潜んでいるドリトル先生とか、懐かしいモチーフが温暖化の時代に出てきていて(あの頃は氷河期の心配をしていたような気がする)うれしくなった。
この人ならではの静かさと奇想天外さと。
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教師のわたし(ウタドリ)がマッドガイド.ウォーターの岸辺に棲む、小さな生きものヤービを語る物語。 章ごとのタイトルとサブタイトル、語り口調、字のフォントなどが可愛いらしくて、どこか懐かしい作りになっている。 物語自体もさほど、ハラハラドキドキする場面は少なく、やさしく、穏やかに進んでいく。 でも、たくさんのテーマがみてとれた。 環境問題、経済問題と親のイライラ等。私は、名前について話す場面が印象的だった。叔父さんが、ヤービたちの名前の考え方を、そのもののためだけの特別な名前に変える時期じゃないかな?というところ。私が子育てをしていた頃、「〇〇ちゃんのお母さんって言われるのは嫌だ」って言われ始めた。それを思い出した。名前ひとつにしても、時代やコミュニティの社会性を映し出す。
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ファンタジーなのかな?と少しためらっていたけど、2巻も発売されたことにより挑戦。
ウタドリさんが、ヤービから聞き出したヤービ族たちのお話。
冒険もあるけど、ドキドキよりほんわかしている。
ヤービたちの暮らしが楽しそう。
ウタドリさんの暮らしも。
続編もたのしみです。
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梨木さん久々の児童文学!
森、そこに住む生き物たち、ボート、違う種族との交流、梨木さんの好きなものがめいっぱい詰まってる感じ。
突如放浪に出ちゃうお母さんもいれば、母が精神病んでるっぽい女の子が「きょげんへき」持ちだったり、その子に影響されて拒食症になっちゃう女の子などなど、書いてると結構暗いような要素もふんわりとつつまれて、優しいファンタジー世界の中に存在している。まあ、そういうこともあるよね、という程度の感じがなんともらしいな、と思う。
他の生き物によっていのちをつなぐ、ということ、「大きい人」たちによってヤービたちの世界が壊されつつあるということ。この辺のテーマもいかにも梨木さん、という。この辺りは、また続巻で…という感じかしら。
「同じ、生きものどうしだからね」っていうパパ・ヤービの言葉がじんわり沁みてくる。
ウタドリ先生を通じたあくまでやさしいまなざしが、ゆりかごにいるみたいな心地よさでヤービの世界に浸らせてくれる。
「お礼をしたいんです」
……
「そんな必要はないんですよ」
というヤービとウタドリ先生の最初のやり取りがもう、なんだかいいな、とじんわりしてしまった。
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大きな夕日がゆっくりと湿原の向こうに沈んでいく。
吹いてくる風には生きものの香りがする。
それは優しくて懐かしい命のにおい。
マッドガイド・ウォーターの岸辺に棲む小さな生きもの・クーイ族の少年ヤービと、ヤービから岸辺の話を静かに聴く人間のウタドリさん。
四季の移ろいを肌で感じながら、穏やかな二人のやり取りに、読んでいてゆったりとした気持ちになる。
可愛らしい小さな生きものたちの世界も人間界と同じく苦労が多い。
「そんざいのつみぶかさ」に悩み食べ物が食べられなくなったり、恐ろしいカワガラスから隠れたり。
一見穏やかで平和な岸辺にも危険が潜む。
そして人間との共存の難しさを目の当たりにすると、現実に人間が小さな生物に与える影響を省みらずにいられない。
もし私が岸辺でヤービと出逢えたとしたら、そっと近づきミルクキャンディーを差し出してみよう。
きっと色々なお話を聴かせてくれるに違いない。
ぜひ映像化してほしい作品。
続編でまたヤービたちに逢えるかな。
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創作童話シリーズとなっているが、大人が読んでも充分に楽しめる内容となっていると思う。
むしろ子供にはちょっと難しい言葉使いとかも使用しているような気もする。
マッドガイド・ウォーターという三日月湖の岸辺に住む生き物たちの物語。
生き物の中には勿論人間も含まれる。
命あるものを殺して食することの葛藤や、大きい人(人間のこと)による自然への干渉、それに伴う環境破壊、そういった諸問題が随所に出てくる。
勿論、答えは用意されてはいないけれど、それは読者である我々が、本書に登場してくる命ある者たちと一緒になって考えるべきことなのだろう。
いずれ続編が発表されるはずなので、是非そちらも読んでみたいと思う。
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学校の先生をしているウタドリは、ある日ボートに乗っているとき、クーイ族の小さなお男の子ヤービに出会います。思わず手にしていたミルクキャンディーを彼に差し出しましたが、この事から、彼女は彼から、彼らの生活についてのいろんな話を聞かせてもらうことになるのです。
このお話の大部分は、彼女が彼から聞いたことを書いたものですが、最後の、環境破壊に伴うお引越し問題については、続編での展開が望まれるところです。
日本版ムーミントロルといった感じ。
梨木香歩流の自然描写が、美しくも楽しい。
物語自体は平易だが、結構な量があるため高学年向きでしょう。
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梨木果歩さんの童話、となるとこれはもう読まないわけにはいかない、少しの緊張とわくわくを胸にページを開く。
そして、やはりその期待が裏切られることはなかった。
梨木果歩節全開である。非常に注意深く丁寧につくりあげられていて、吟味されたことばが美しい。イラストもぴったりだ。
こんなにもやさしい言葉で、深く、たくさんの思いをこめた作品。こどもにもおとなにも等しく、(けれどそれぞれに違った形で。)心の中に大切な「世界のつくり、不条理への疑問」「わからなさの森」を、わからないままにまっすぐなこころのことばで、豊かなかたちで映しこんでくれようとするうつくしい作品だ。
思い出すのは、やはりムーミンの世界。
ヤービというのは、自然界、動物と人間の間にいる、トロール、妖精のようなハリネズミほどの大きさの一族、クーイ族の男の子の名前である。
さまざまの知恵や文化、伝統がその原初の形のままで残っている彼らの暮らし。「ムーミン谷」を思わせるマッドガイド・ウオーター(三日月湖の名)その岸辺の住人達と語り手の人間、
ウタドリさんとの交流の物語。
*** ***
「そんざいのつみぶかさ」生き物を食らって生きてきたことの発見、生き物を殺す者のほう助をしなければ生きていけない状況、罪を背負わなければ生きていけない己の原罪に気づき、拒食症に陥るヤービのいとこのセジロ、その事実をつきつけてきたセジロの友人、(恐らく)母からの虐待を受けている虚言症の気味のあるトリカ。
「大きい人(人間)」が自然のバランスを壊し破壊し、ヤービたちの生活をおびやかしているという、その大きな災厄の影が作品全体をうっすりと覆っている。
現代社会の抱える緊急事態への問題意識を色濃くにじませながら、だがその描かれる風景は、冒険は、やりとりは、あくまでもやさしく素直で楽しく美しい。子供が冒険や会話や出来事を通して世界の基礎を、知を、愛、のようなものを学んでゆく、成長してゆく、ごくオーソドックスでスタンダードな良質の児童文学だ。
*** ***
で、ワシが思うに、この作品の中での白眉は、ヤービの叔父、マミジロの存在である。
詩人である。彼のライフワークは、ある日天啓のようにひらめいた次のような詩の一行の続きがやってくるのを待ち続けることであった。
「それはいかなる事情のもとにか、なされた」
…「マミジロ・ヤービは、この詩句からはじまるぜんたいの詩を完成させることに、自分の生まれた意味がある、とすら思っていました。」
語り手、ウタドリさんはこの一族の中で一番さえない(重要な感じのしない)道楽者の立場であるマミジロの話を聞きながら、預言者、ということを思う。
「もしかしたら、とてつもなくすごい発明(神さまのことです)をし、クーイ族史に名を残す人物になるかもしれない、とこころひそかに思いました(そして、人間の世界の歴史に名を残した重要人物だって、もしかしたら生きているときはあまり大して「重要な感じ」をあたえる人ではなかったのかもしれない、ともついでに悟りました)。」
光よあれ、という最初の詩句が置かれた瞬間、すべてが始まったように。
世界は、そして認識主体としての己は、その認識がなされた瞬間に、既にもうその存在が「なされている」のだ。在り方は、既に「なされ」ている。理不尽も原罪も、すべては既になされている。決まっている。
これが、始まりだ。
この言葉は、叙事詩的なるもの、神話的なるもの、詩であるから、時空の制約を受けない。それはもしかして未来のことなのかもしれない、とウタドリさんは思う。
まだ「なされて」ないのかもしれない、と。始まりは、未来のことなのかもしれない、と。新たな世界の示唆か、その認識の在り方の方向性を示す預言か。
ううむ。
神の預言とは。この切り口にはぞくぞくする。
*** ***
マミジロはまたヤービ族の名づけ方について語る。
「ヤービ族の名づけ方」
冒険譚のなかの挿入話のような位置づけにあたるこの章が私は大好きなのだ。
名前。個としての名前と社会の属性としての名前。
今の我々の社会では、さしあたっては、これはファーストネームとファミリーネームの違いのテーマにあたるだろうか。
ヤービ族の名づけ方においては、個としての名は存在しない。名は世代間で受け継がれてゆく。ヤービ家の最初の子はすべてヤービ、次がセジロ、三番目がマミジロ。ヤービに子が生まれればパパ・ヤービと呼ばれるようになる。
詩人マミジロは、それぞれの自分だけの名、個としての名を持つべきなのではないかと主張する。たったひとりの自分が代々のマミジロと同じマミジロ、と呼ばれることの違和感を述べる。
ヤービはその詩人の叔父マミジロとパパ・ヤービの話を傍らで聞きながら、自分はただのヤービでいいな、と思う。
彼とウタドリさんはこんな風な会話をする。
「名まえって、ちょっとしたコートのようなものなんじゃないでしょうか」
「では、ヤービというのは代々受けつがれたコートかしらね。そう、かくれみののようなものかもしれませんね。自分をやんわりおおってくれる」
(そうそう、とヤービは賛成してくれ、)「たったひとつの自分だけのとくべつの名まえがあって、それをしょっちゅう呼ばれるなんて、なんだか、ひりひりする感じなんじゃないでしょうか」
そしてウタドリさんはこんな風に語ってみせる。
「そういえば、なんとか夫人、かんとかのママ、なんていう、なんとか氏とかかんとかちゃんとに関係づけた呼び方も、その奥で『ちゃんとした』だれかがウインクしている、おおらかな『名まえ』のような気がしませんか。」
…この辺が、梨木果歩の梨木果歩たる梨木果歩節なんである。彼女の幻想的なタイプの小説「f植物園の巣穴」「家守奇譚」「沼地のある森を抜けて」「海うそ」「冬虫夏草」等で連綿と綴られているテーマ、「私とは何か」というアイデンティティの枠組みの正体を問い続け、その牢獄を打ち壊してゆくような解放と救済の色彩を帯びた作品群の、その深淵な思想がここに響き渡る。
それは例えば、「私は私だ、誰かの妻や誰かの母ではない、私は個として私だ。」という現代の正論の孕む、その深奥に潜む、痛み、のようなもの、「ほんとうの私」(コートの奥にくるまれた「ちゃんとした」だれか)の孕む虚無の恐怖、コートの持つ虚構を虚構として見極め、それを優しく再構成してゆくような独特のまなざしのことである。
*** ***
で、だがこの作品、ラストシーンのこの締めくくり方に関しては個人的にはちょっと不満、というか違和感が残っている。
ヤービが、忍び寄る「大きい人」の脅威、自然破壊の影と失われる故郷への思いを述べる箇所だ。
「マッドガイド・ウォーター、がんばれ」
「ヤービ、あなたはわたしにとってはすばらしいマッドガイド・ウォーターの一部です」「ウタドリさん、あなたも、マッドガイド・ウォーターですよ」
(中略)
「みんな、がんばれ」
美しい日暮れの風景が描写される。
…とりあえず、文句のつけようがない。
それは、違和感がない、という違和感。きれいすぎるのだ。わからなさがない。考える隙間を読者に与えない。思考停止のところにいざなってしまう。ここに至るには性急すぎる。まだだ、という気持ち。
ああでもやはり、これ以外ではおさめようがないのだという気もする。
祈りは、その思いの激しさは、ともすれば「わからなさ」を離れ、手触りの確かな明確さへ、主義主張、信念や正義の方向へと流れようとする。或いは安易に読解されるメタファへと、教訓的な「わかりやすさ」へと。思考が固着し停止してまうドグマの場所へと。
そしてだが、慎重にその偏重を自覚し自制し、作品中の作者自身の匂いを排除し、絶え間ないゆらめき、たゆまぬ思考のダイナミクスの方向へ向かおうとする意志を感ずる。「わからなさ」の抽象性へと押し戻そうとする意識の流れ、その筆の葛藤を、苦悩の跡を痛いように感ずるのだ。
…ダメだ。梨木果歩さんの作品のあまりにも激しい作者の思い入れは、問題意識の表出やその表現法、その深淵な豊饒は、いつも私をたじろがせる。テーマとしてあまりにも大きすぎて興味深すぎて短い時間で短文でさくさくとまとめあげることなんかできない。
でもせめてこうやって箇条書きメモ的なるものを残しておこう。きっと続編がでる。そのときまた少しでも進展させた読みを試みてみたいと思う。
Posted by ブクログ
〔!〕それで十分だと、パパは思うんだ。同じ、生きものどうしだからね(p.67)
〔内容〕人間の教師であるウタドリさんが、マッドガイド・ウォーターのちいさな水棲生物クーイ族の少年ヤービから聞いた彼らの暮らし/同じヤービのパパ、ママ、セジロ、マミジロやベック族のトリカたちが登場/人間による環境破壊により少しずつ棲みにくくなっているらしい。
〔感想〕トガリネズミに似た感じの一種の妖精? まあ、多くの人が「ムーミン」を思い出すでしょう。どこか凍えるような冷たさのあるムーミンの世界より温かいと思うが、しかしヒト族の絶え間ない自然への侵食等の問題も扱っている。
〔好み度〕ここちよさ:B/キャラ:A/設定:A/文章・絵:B/思いがけなさ:B/総合:B
■ヤービについての簡単な単語集
【アウリキ】トリカのおばさん。
【ウタドリさん】人間。ヤービと知り合った。マッドガイド・ウォーターにボートを浮かべて本を読んだりのんびりしたりするのが好き。サニークリフ・フリースクールの教師。ウタドリと戯れている? ので生徒からウタドリ先生と呼ばれておりそれを知ったヤービたちからはウタドリさんと呼ばれるようになった。たぶん女性ではないかと思われる。
【エイラ】トリカの母。
【お隠り谷/おこもりだに】マッドガイド・ウォーターの北の方にある渓谷。人間は「姫君たちの小部屋」と呼ぶ。
【カワガラス】最近姿を見かけるようになってきた。カワセミよりおそろしいかもしれない。ヤービにとって悪の大魔王の代名詞。
【カワセミ】マッドガイド・ウォーターで暮らす水棲生物にとってもっともおそろしい天敵。
【カンヌキさん】学校の庭師。ウタドリさんが生徒だったころから庭師をしていた。
【キジバト】ベック族が空を飛ぶときに頼む。ヤービたちは怖がっているが肉食ではない。
【キャリ】トリカと仲がいいキジバト。
【クーイ族】ヤービ族、ベック族、デューイ族などの総称のようだ。
【グラン・グランパ・ヤービ】博物学者だった。
【ことば】《生きもの同士のあいだでは、もともとことばは必要ないのかもしれません。》p.182
【サニークリフ・フリースクール】古い地主屋敷を使った素敵な寄宿学校。
【スーツ】クーイ族が生まれたときに着てくる。外に出ることを決心したとき脱ぐが脱いだ後も成長を続ける。これを着ると水中の生物として行動できる。
【図鑑】ヤービ《それこそ、ぼくがつくりたいと思っているものです!》p.150
【セジロ・ヤービ】いとこの女の子。花弁のサラダが好き。
【タガメ】ストローを他のいきものに突き刺し殺して食べる。クーイ族の子どもが狙われたというウワサがあり恐れられている。
【飛び沼】マッドガイド・ウォーターとたそがれ川の間にあるちいさな沼。マッドガイド・ウォーターとは地下水路でつながっていることをパパ・ヤービとマミジロが確認した。ママ・ヤービの実家である飛び沼ヤービ家が棲んでいる。
【トリカ】ベック族の女の子。セジロの友だち。家はタガメのストロー屋。生まれてすぐ家業を知って以来すべてを否定されたような気分になって絶望し何も食べていない? マミジロいわく「詩人の魂」を持っている。母はエイラ。
【名前】いちばん上の子がヤービ、二番目がマミジロ、三番目がセジロ。子が生まれた時点でそれまでのヤービはパパ・ヤービになる。パパ・ヤービはグランパ・ヤービになる。
【蜂飼い】ヤービ一族に伝わる呪文と飼育法により可能になる伝統ある職業。
【パパ・ヤービ】ヤービの父。ママ・セジロとマミジロの兄。蜂飼い。「クーイ族史」を研究している。
【冬】ヤービたちは冬ごもりをする。トリカたちはモリバトに乗って南の土地に行き越冬する。そちらにも家がある。
【ベック族】地中に棲んでいるそうだ。大きい人(人間)を小さくしたような姿だが細部は異なる。体毛が退化しているので服を着る。キジバトと仲が良い家系の者は乗って空を飛ぶことができる。虚言癖があり話を盛ることが多い。昔はミルク売りをしていた。
【ヘルゲ】トリカのおじさん。
【ほのおの革命家】ヤービのあこがれ。いずれこの辺りに棲むことができなくなるだろうからユートピアを見つけねばならないと言っていたらしい。毛むくじゃらな一族のようだ。
【マッドガイド・ウォーター】たそがれ川かわ分離した三日月湖。
【ママ・セジロ】セジロ・ヤービの母。マミジロの妹。娘が蜂の子や蟻の子を食べるのは残酷だと言い出して困っている。
【ママ・ヤービ】ヤービの母。
【マミジロ・ヤービ】ヤービの叔父で詩人。
【ミリ】キジバト。キャリの妹。
【ヤービ】クーイ族の小さな男の子。何世代かにひとり誕生する「異種間交流」が可能な能力を持つ個体のようだ。《そうです、ヤービがひきつけられているのはスリルなのです。》p.100
【ヤービ一族】カワネズミほどの大きさの小さないきもの。イラスト的にはムーミンのスニフとかトガリネズミのトガリィに似ている。オオアカゲラの開けた巣穴に住むことが多いが最近減ってきたのでアオゲラの巣に棲むことも増えてきた。主食は蜂の子や蟻の子。
【ややこし森】マッドガイド・ウォーターより北の森。ややこしい魔境。
【ヨン】ナミハナアブ族のなかまの幼虫。ふやけた細長いお米のつぶに長い長いしっぽがついている感じ。ゆっくり成長するタイプ。
【わたし】→ウタドリさん
Posted by ブクログ
◼️ 梨木香歩 小沢さかえ「岸辺のヤービ」
自然を愛する著者が編んだ穏やかな児童小説。湿地森林地帯、小さなヤービたちの生活。
梨木香歩さんは植物や鳥に造詣が深く、彩り深い作品が多い。さて児童小説はー。
三日月湖や川のある湿地帯マッドガイドウォーター。近くのフリースクールの教師・ウタドリさんは湖にボートを浮かべての読書が趣味で、ある日、水辺にカヤネズミほどの大きさの生物が2本足で立っているのを見つけ、ミルクキャンディーを置いてその場を去る。すると次に行った時、お礼がしたい、と持ちかけられる。彼は水辺に住むクーイ族の少年、ヤービといった。あのミルクキャンディーのおかげでいとこが助かったのだという。ウタドリさんは、ヤービたちの世界の出来事を聞くことにしたー。
小さなヤービたちは、オオアカゲラが木に作った巣を利用して住んでいる。パパ・ヤービとママ・ヤービがいる。近くに住んでいるいとこのセジロは最近かわいそう、と主食である蜂の子や蟻の子を食べるのをやめて絶食してしまった。よくよく話を聞くと別の一族のトリカの影響を受けたらしい。ヤービは持ち帰ったミルクキャンディーからママに飲み物を作ってもらい、セジロはようやく栄養のあるものを口にした。
ヤービはセジロとともに鳩の背中に乗って移動するトリカに会いに行く。
空を飛んだり、モグラのトンネルを探検したり、ほのおの革命家が帰ってきたりと妖精とも言えるヤービたちの湿地での生活。もちろん著者らしく、ネイチャーの知識がふんだんに散らされ、マッドガイドウォーターでの小さな暮らしは野趣豊かで、活き活きとして見える。
カイツブリ、オオアカゲラ、カワガラス、キジバト、クロウタドリ、オオヒシクイ、カワアイサ・・著者は「渡りの足跡」というエッセイ集で自分で車を運転して鳥を観察しに行く活動的な面を綴っていて、今回舞台の設定から、直接の主役ではないけども、やはり鳥の生息地がベースになっている印象で、名前だけで登場しない鳥もいるけれど、生息の痕跡も含め、なんか感じるものがある。
トリカの家は生活苦を抱えている。ウタドリさんはトリカの一族を救おうと学校である作戦を実行する。その結果は続編のようだ。この巻にも数々の冒険は描かれているけれど、まだ序章で、広いマッドガイドウォーターとその周辺にはまだ見合わないかも。ほのおの革命家の言うことも気になる。これからだな、という雰囲気。
カラーページも含め、1ページ、見開きとふんだんに絵が挟まれている。長いスカート様のものを着て、水薄荷の花のブーケを両手に抱えて、ヤービの家を訪ねたトリカの可愛らしさ!モノクロでシンプルでも本当にすばらしい絵だと思う。
で、どうもやたら美味しそうなサンドイッチを作ったりするウタドリさん。私はてっきり男性かと思っていたら・・最後の方の挿絵で、ひょっとして?と微笑したりする。
たくさんのワクワクするエピソードは詰め込まれているが、物語はまだ編み上げ途上。いずれ続編も読もうかな。