【感想・ネタバレ】令和ファシズム論 ――極端へと逃走するこの国でのレビュー

あらすじ

令和の日本社会をおおう〈ぼんやりとした不安〉。その輪郭を描き出すべく、「ファシズム前夜」を経験した、かつての日本とドイツに光を当て、両国がファシズムに屈した背景を、財政史という観点から分析。そこで得た基準をもちいて、現代日本の危機的状況を浮かび上がらせていく。多くの人が生活不安をかかえるなか、「人気取り」の政策案が打ち出され、「極端」な議論を展開する〈小さな権威主義〉が力を得ていく──。居場所を追われる「自由と民主主義」をまもるための立脚点を探求し、肯定的未来への道を切りひらく渾身の書!

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Posted by ブクログ

 今、日本ファーストという言葉が、横行している。本書は、今の時代を切り取ってみせる。
 自民党と公明党の連立が解消され日本維新の会が連立し、保守の左派と言われる高市早苗が首相になった。こういう時代にこそ、民主主義と自由を破壊するファシズムについて考えることは重要だ。本書を読みながら、ファシズムと全体主義は違い、日本の戦前の天皇制ファシズムについても、正確につかむ必要がある。なぜ、日本は戦争に向かい、なぜヒトラーはユダヤ人を600万人も虐殺したのか?歴史はそのような残酷な道を歩んできた。
 
 本書は、「令和期の日本社会に立ちこめる不安の輪郭をうかびあがらせようとするこころみ」を目的としている。それも財政史の視点からである。著者の学術的な定義の構築と時代背景のつかみ方は、真面目であり、誠実だ。右と左の対抗の中で、「エクストリーミズム」への指導者の意図的な逃走、国民の無意識の逃走という問題があるとしている。「エクストリーミズム」とは、ここでは単に「過激主義」という意味を超え、道徳や秩序、既存のルールを顧みず、人々が短期的な快楽や発散、あるいは現実逃避へと走る極端な社会状況を指している。

 保守がLBGT法案を通したり、高校授業料無償化をいう。右なのに、左の主張をする。左なのに、護憲を訴える。そして、いつのまにか、社会全体が右になっている中で、エクストリーミズムが、未来への展望がなく、またたくまに社会を覆うことを著者は警告する。題名の『令和ファシズム論』の過激さが、うまいのだ。

 日本の現状認識として、「経済は勢いをなくし、街は外国人であふれ、発展途上国のようになりはじめた日本経済。思慮を欠き、暴言や不道徳が幅をきかせる政治。財政規律のゆるみと横行するバラマキ。世代内、世代間で共有されない価値観。多くの人がふつうにくらしている。鋭い痛みがあるわけではない。でも、まるで少しずつやせおとろえ、衰弱死をむかえるような、そんな言いしれぬ不安が、私にまとわりついてはなれない」と著者はいう。

 大谷翔平が、3ホームラン10三振という快挙をなし、延長18回という2試合分のゲームをして、大谷翔平は9出塁をした翌日に、先発投手をした。4失点をして、大谷翔平は人間だったという熱狂のゲームをしている時に、トランプはアメリカ兵を集めて、空母で演説し、トランプの横で日本の高市早苗首相は、イエーイととびっきりの笑顔で飛び上がっている。首相は軍事費の前倒しと増額を約束し、天皇は、トランプに「He is great」と言われている。実は、俺は世界で一番グレートだといいたいのだろう。まさに、熱狂と茶番が静かに進行している。

 著者は本書で今が、「ファシズム前夜」かもしれないというのだ。
ヨーゼフ・シュンペーターは、こう断言している。「財政史の告げるところを聞くことのできるものは、他のどこでよりもはっきりと、世界史の轟を聞くのだ。」

 著者は、財政を単なる経済の道具としてではなく、「税を集め、経済的な資源を配りなおし、社会に秩序をもたらす」という、経済的、社会的、政治的な側面を持つ、つまり人々の連帯と共助の仕組みであるととらえている。

 著者は「自由民主党の政治家を左派や革新主義者とはみなさないだろう。だが、彼らがこぞって連呼するのは、「改革」のフレーズである。日本共産党や社会民主党の政治家を右派、保守主義者とはよばない。だが、彼らは、かたくなに「護憲」をうったえ、日本国憲法を前提とした社会秩序を保守しようとする。れいわ新選組と参政党は、左右の極点にある政党だ。だが、いずれもが、国債の増発と大胆な財政出動をうったえ、新自由主義やグローバリズムを否定する。」という。

 だからこそ、政治的に居場所を見つけられない人たちにねらいをさだめ、具体的な理念や意味内容をもたないにもかかわらず、最大公約数的にだれもが同意できそうな、所得を増やす、国をまもる、ムダをなくすといった言葉が政治の世界をとびかうようになる。

 本書は、1930年代の高橋是清の財政政策について詳しく分析している。高橋是清の財政政策は経済危機を乗り切った成功例として評価される一方、財政の民主的基盤を蝕む問題も指摘される。特に、「量」に偏った資金運用と財源論無視の結果、財政が「連帯と共助」の根幹を揺るがし、軍部への屈服や財政民主主義の破壊を招いた。景気回復を優先するあまり、民主的コントロールを失い、ファシズム台頭の土壌を作ったことが最大の批判点とされる。著者は、高橋財政が一時的救済にとどまる一方で、社会の連帯意識の喪失と、それに伴う極端な指導者支持の容認という歴史的条件をもたらしたと結論付ける。やはり、財源が大きな課題であり、財政の巨大化も大きな問題となる。

 著者は、ファシズムに至る兆候は、財政民主主義の衰退と、それに伴う「連帯と共助」の崩壊に集約される。 この兆候は、特にファシズムが台頭した1950年代の日本と、1930年代のドイツ(ワイマール共和国)の財政史に共通して見られ、現代の日本社会にも類似点が指摘されている。
 ファシズムに至る財政的な兆候は、財政が本来持つべき「社会に秩序をもたらす連帯の仕組み」としての機能が失われ、「極端への逃走」が始まる過程として理解される。
 財政の「質の低下」と民主的コントロールの喪失。財政は、誰がどう負担するかという「財源論」を民主的に議論することなく、支出(給付)や減税のみが焦点となることで、財政民主主義が機能不全に陥る。
 財政は「連帯と共助」の仕組みから離れ、景気変動を安定させたり経済成長を促進したりする「量的な道具」へと変質する。財政の使途や公平な負担の議論は消失し、「金額の大小」だけで語られるようになる。
「お金を配る」政策の台頭である。財源の裏付けや将来への責任を伴わない給付金や減税などの「人気取り」政策が横行する。これらは「お金を与えるから、あとは自己責任で生きてください」というメッセージとして受け取られ、社会的な連帯の視点が失われることを意味する。

 著者は、財政の本来の姿は、多様な人々の利害やニーズを調整し、公正な負担を分かち合う「中庸」にあると主張している。 財政史から見たファシズムの兆候とは、この「中庸」が失われ、国民の不安が民主的な連帯によるものではなく、極端な主張と無責任な財政拡張(人気取りのばらまき)へと逃避する状況、すなわち財政による分断の深化が生じていることである。

 なんか、おもしろい時代だ。時代の空気を掬いとって、自分の土俵に持ち込んで、財政史でねじ伏せる。日本はGDP2%目標を2025年度中に実現する。さらに、GDP5%の頂に。年間30兆円の財源は、どこから出すのか?積極財政は、どこへいく。

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2025年10月31日

Posted by ブクログ

現下の日本社会に漂う不安の原因をあぶり出して明確にしていく試みにはじまり、自由と民主主義の未来に向けての論が展開される。世界各地を見ても独裁的な政権が跋扈して、いつどこで突発的な事故が起こらないとも限らない不安は容易に解消されそうにもないが、ひとりひとりの冷静な判断が求められる時代に生きていることを感じた。

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2025年11月09日

Posted by ブクログ

主に財政とファシズム・エスクトリーミズムに走ることの関連性を説いてなるほど、となるのだが結局は全て理解しきれているのか自信がない。

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2025年10月24日

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