あらすじ
『ともぐい』で第170回直木三十五賞を受賞し、10年にわたって自然や動物と対峙する作品を書き続けてきた作家、河崎秋子。実家は父・崇が公務員を「脱サラ」し開業をした「河崎牧場」である。なぜ、父は牧場経営を始めたのか。その謎を辿るため戦国時代からの家系図を遡る。金沢で武士だった先祖、満洲で薬剤師をしていた祖父、満洲から大阪、そして北海道へと移り住んだ父、そして牧場経営の苦労を背負った祖母と母・・・・・・400年以上に及ぶファミリーヒストリーが、20世紀の日本と戦後の北海道の酪農史へと繋がっていくノンフィクション。
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Posted by ブクログ
先生独特のユーモラスな文章で綴られたファミリーヒストリー。
確かに北海道人ってルーツにあんまり興味ない人が多い気がします(笑)せいぜい頑張っても曽祖父母か高祖父母くらいまでな感じ。
どこそこ家臣でとかルーツがはっきりしている人以外はあとは割と「先祖?さぁ」って人が自分の周りもほとんど。罰当たりな子孫ですみませんな感じです(笑)
やはり文書が一つでも残ってるっていうのは大きいですよね。
そこを足がかりに親戚を訪ねて思いがけない話を収集していく様子が楽しげです。
しかしやはり一番お父さんにお話を聞きたかったことでしょうね。
先祖をたどっていく中で出てくるお父さんの兄弟の話やお母さんの開業の話、先生ご自身のきょうだいの話知人や近所の話なども興味深い。
文章がこなれていてとても読みやすい。
遺伝子検査の話が出てきてその解析内容が興味深かったです。自分も遺伝子検査したことありますが、どんな太り方をしやすいかという解析だったので(そしてせっかくの解析が今に活かされず⋯)、このような病気になりやすい因子とかアルコール分解が出来やすい体かどうかとか調べてみたいなと思いました。
血縁家族が誰も酒飲みでないのにどうして自分は酒飲みなのかとても知りたくなり(ルーツよりそっち(笑))
セクハラの話は先日読んでいた本にもでてきました。確かに本書でお母さんが言われるように「昔のほうがひどかった。もっと苦労した」というのはその年代の人にはあると思います(お母さんよりはかなり年下だけれども自分もある)
そう言うことが、河﨑先生の言うように二重加害とも取られかねないという懸念も確かにあるなとも。
ハラスメントって人と比較しても意味ないことですよね。その人自身が傷ついて苦しんでいる重みはその人にしかわからないものだから。他人がその程度などと軽々しく言えるものではないということなのでしょう。
河﨑先生はルーツ探しを始められてから、映画やテレビで昭和時代が出てくると祖父母や父母の年齢やその頃どこにいたのかなど考えるようになったそうだ(p199)
自分も両親を亡くしてから映画やテレビを見ているとそうなったので、その気持ちはよくわかるなぁと思いました。他にも接しているお客さんが父母の年齢と同い年の方だったり近い年齢のだったりしても。
父は存命なら90を超えているので、90を過ぎた人に会うとこれまで以上に感動するようになってきました。(そして寂しさも)
いい年した娘がみっともないほど泣いて喚いて(p219)。
もししてしまってもいいのじゃないかなぁと思います。いくつになったって60代の人だって70代の人だって、大事に思っていた人に死なれたら辛いのは当たり前で年齢は関係ないです。と思う。
全編からお父さんを大切に思う先生の気持ちが滲んでいて悲しいところもあるけれどもとても暖かい気持ちにもしてもらえました。
分類が文学なんですが、エッセイの棚にある方が読まれるだろうなぁと。
Posted by ブクログ
直木賞受賞作『ともぐい』(2023)で知った著者。重厚な筆致に圧倒されたが、次に読んだ『森田繁子と腹八分目』(2024)での軽妙な文章に、おや、こんな三浦しおん的なお仕事小説も書くのかと、ふり幅に感心していた。
本作は新書で、自らのファミリーヒストリーを追ったエッセイ調の一冊だ。
タイトルのとおり、父、そして祖父が北海道に入植し、何故、酪農家の道を選んだのかを調べ上げていく。
同時に、本書を通じて、いかに作者は、北海道の自然と向き合った、あの直木賞作品を生み出せたのかが垣間見られたらと思い読んでみた。
“牛飼い”という職業を通じ、一族で命と向き合ってこその作品たちと思ったが、意外や、それほど重々しいものではなかった。命のクダリなどは、飼っていた鶏をさばく記述程度だったか。詳細に老鶏をさばく父の姿から学び、
「父がやっていることと同じことができるようになりたい、さらに言えば、命を扱う技術を同じように自分のものにしておきたい、と考えるようになった。やがて私は年末になると父と並んで鶏を絞めて解体し、そのうちこの仕事は私一人に任されるようになった。」
小さな命ではあるが、故に『ともぐい』で描かれた命のやり取りの筆致に至ったのか……と思えなくもないが、ちょっと違ったかな(笑)
それよりも、父親の最晩年、「10年以上にわたって要介護ヘビー級の在宅介護をこなしてきた」経験が、命の尊さへの考察へ至ったのかもしれない。介護を150%やりきったと言う著者は、
「我が介護に(おおむね)一片の悔いなし。」
と、覇王の如く堂々と言い切る。その筆致も、どこか可笑しい。
先代、先々代からのファミリーヒストリーには日本の戦中、戦後の思いも語られる。満州からの引き上げから、北海道入植まで、重々しい話にもなりそうだが、幸いにも大過なく家族の歴史を築いてこれたか、どこかユーモラスでもある。
祖母との服装選びの執着を比較し、百貨店で洋服を吟味するお嬢様気質の祖母とファストファッションで済ます自分を比べ「遺伝子よちょっとは仕事してくれ」と添える。
『ともぐい』のイメージが、どんどん遠ざかる。
もっとも『森田繫子の~』が、すでに軽い筆致だったし、本書の文章が、集英社『青春と読書』の2023年9月号~2024年8月号に掲載されたもので、なんなら『ともぐい』とも並行、あるいは先行してたかもと思うと(本書の中に、直木賞受賞のクダリも出てくる)、元々の著者の筆致は、このエッセイに近いのかもしれない。
いずれにせよ、今後も、著者は、北海道にまつわる、あるいは日本の農業、酪農業に関連した作品を紡いでいくだろうし、それに期待もしている。
なぜ、北海道の物語を書くのかと質問され、著者はこう答えている。
「結局は過酷な自然環境と、そこに足を踏み入れ、住む人々にも魅力を感じている、というのが自分の中では一番しっくりくるのかもしれない。」
著者が自分の父親、そして先祖にも魅力を感じ、記した一冊だ。