あらすじ
共同通信社が配信するウェブ「47NEWS」でオンライン記事を作成し、これまで300万以上のPVを数々叩き出してきた著者が、アナログの紙面とはまったく異なるデジタル時代の文章術を指南する。これは報道記者だけではなく、オンラインで文章を発表するあらゆる書き手にとって有用なノウハウであり、記事事例をふんだんに使って解説する。また、これまでの試行錯誤と結果を出していくプロセスを伝えながら、ネット時代における新聞をはじめとしたジャーナリズムの生き残り方までを考察していく一冊。
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Posted by ブクログ
「バズる」という言葉を使ってるのでPV至上主義かと身構えつつもぜんぜんそんなことはない、むしろすごく読者を向いて誠実に書くことの重要さが伝わる良い本でした。世代が変わってることについていけない、自分の仕事でもあるあるなので、それこそめちゃくちゃ共感しながら読んでました。
Posted by ブクログ
■記事がバズった理由を5つの要素に分類することができる。
①「共感」や「感動」
②ストーリー性
③最新ニュースの関連記事
④見出しとサムネイルの結びつきの強さ
⑤コメントの盛り上がり
■ストーリー形式の威力
デジタル記事の書き方
・記事を説明文にせず、物語(ストーリー)にする
・出だしはできれば場面の描写から入る
・リードの末尾には本文に読み進んでもらうための「匂わせ」を入れる
・主人公を一人立てて場面ごとに主人公の気持ち・感情を書き込む
・できれば時制を遡らず時系列で書く
・一文を短くし、テンポを良くする。主語の前に長い修飾つけない
・カギカッコの前にはできるだけその発言者を置き、後ろに述語を置かないようにする
・接続詞や指示語をくどいくらい付け、段落や文同士の関係性を明確にする
・データや指揮者の言葉など「説明文」になりがちな要素はストーリーの後ろに回す
・新聞慣用の省略形は使わない
・表記に迷ったらGoogleトレンドで比較する
Posted by ブクログ
近年、マスメディアとしては急速に影響力を失っている新聞、70代以上が8割購読しているのに対して、4-50代でも5割、2-30代に至っては2割程度しか読まれていない。斜陽産業とも言われる新聞から、ネットに情報伝達の主流が移るなかでその記事の書き方についても違いがみられる。それらを新聞記者の立場から分析し語った内容となっている。
個人的にも新聞は読んでいないし、ネット記事にしても新聞社の配信する情報は即時性に欠けて、政治やスポーツなど限られた分野でしか参照しなくなっている。限られた紙面においてコンパクトに要旨をまとめ、見出し⇒リード⇒1行目と重要度に応じてニュースの内容が理解できる書き方は社会全般の動きを知る上では有用だが、毎日購読した上での続報や独特の略称、暗黙の了解のような前提情報といった紙面は若者にとってはとっつきづらい。
新聞記者からネット配信担当へと立場が変わった筆者は、従来の新聞の書き方ではバズらない=PV数が増えないとして、試行錯誤しながらアプローチを変えていった。具体的にはより情緒やストーリーを重視した“エモい”書き方をすることで、ネット記事はより多くの人々に見てもらえるのだ。このプロセスは、新聞記者に限らず多くの書き手にとって参考になる内容だし、読み手として無意識に続きが読みたくなる仕組みが言語化されており、概ね納得感のあるものだった。
Posted by ブクログ
同じ日本語で書いた文章であったとしても、場合によっては読まれない。言い換えると、ある工夫を施すと多くの人に読まれる。新聞記者である著者は、本書で新聞とデジタルそれぞれの特徴と、現在主流であるデジタル記事が読まれる要素を分析する。著者によると、記事の初めに重要な情報をコンパクトにまとめた逆三角形スタイルが現在通用しないと痛感した。その一方で、多くの人に読まれるデジタル記事は、共感や感動があり、ストーリー性のあるものだとわかった。文章の書き方においても接続詞、指示語の多用、一文を短くするというように、これまでは過剰だと思われたこともしなくてはならない。これ以上にも読まれる記事のポイントがあげられるが、いずれにしても、読者にとって自分事であるものが現在求められる。
Posted by ブクログ
バズねえ、と読んだら思ったより真摯ないい本でした。新聞という媒体が時代に立ち遅れたことを内側から粛々と受け止めている点や、ネットでは文章が長くても感情を刺激する話がウケてそれは危険もはらんでいるという観点など色々興味深かった。
Posted by ブクログ
新聞記事は要点をできるだけ簡潔にまとめる技術が求められる。一方でネットの記事は時系列で接続詞をきちんと使い1文を短く読みやすくしないと読まれない。
普段新聞を読まない人には理解しづらい内容になりがち
Posted by ブクログ
ネット記事についてでいえばタイトルの惹句がどうにも、「釣り」的とまではいかないにせよ著でいう共感などを目論んだ提示の仕方には未だに喉に小骨が刺さったような感覚はあるものの
新聞業界の文化に染まった記者の目線から、デジタル的なニュース配信における善後策を探る中で、購読者層の高齢化が叫ばれる新聞メディアとネットメディアとの差異があぶり出される様は、単なる世代間論以上に実像のある解釈をもたらしているように思う。
とはいえ、アテンションエコノミーに堕することを防がねばならないという前提があるような現代のメディアの立ち位置は今後どうなるのかとも。
Posted by ブクログ
新聞の濃度高めで追記的なニュース記事は特殊な文体であることに気付き、どうすればネット記事(特にYahoo!ニュース)の中で埋もれずに読んでもらえるように出来たか、の経験談。キーワードは「共感」。実際の記事例も多く挙げられており理解しやすい。
当方は新聞記者ではないのでその文体、つまり最初の段落が記事要約になっている文体で書くことはまず無い。だが他のコツには面白いものもあった。
第3章「デジタル記事の書き方」からコツを列挙してみると:
・ストーリー形式で時間順に書く
・接続詞(特に順接も)や指示語を多用する
・複数の表現がある言葉に悩んだらGoogleトレンドで選ぶ
・(新聞記事的コツだが)最初の段落の末尾には本文への「匂わせ」を入れる
・主語が修飾で長くなるときは文を分ける
・決まり文句は使うな
この本の最後の最後に、共感主体の文体だと新聞的文体より読まれやすいが、読者の感情を煽る「恐怖」の社会を生み出してしまうのではないか、との言。ニュースが(見かけ上)無料になったこの世界、意味ある記事をいかに読んでもらえるようにするか、記者たちの苦悩は今後も続く。
Posted by ブクログ
とても具体的かつ実践的で面白かった。
仕事上、広報業務をする中で、ウェブサイトにあげる記事を書く。
まあ、ほぼほぼ読まれないのは分かっている…
誰に向けて何を届けようとしているのか、という点がとても大事なのはわかる半面、
だからと言って、めちゃ読まれることを狙ってこれまでの形を崩してでも届ける、というようなことをすることを求められているわけではない…
というようなことが、
この著者が、新聞の紙面記事とウェブメディア上での記事の性質の違いなどを話されていて、
なるほど!と、普段なんとなくやり過ごしてきたこの点について、理解の仕方を知れた気がした。
著者がこれまでの経験でいろいろと試行錯誤して得た、読まれやすいウェブ記事のポイントがいくつかあって、紹介されている。これは実践的で興味深いのですが、
考えさせられたのが、
あくまでやりすぎない、ということが大事だということ。
読まれているのか、その記事の価値を図るうえで、ページビューが数として一つの指標になる一方、
PV至上主義には警鐘を鳴らす。
読者、視聴者の感情を煽ったり、
誤解を招きかねないタイトルでクリックを誘ったり、
そうしたら確かにPVは増えるかもしれない。
でも新聞社という信頼性ある組織という立場からも、
また私の所属するような一企業や組織の立場からも、
あくまで信頼性があっての広報であり、事業の実施がある。
ウェブ空間を感情の世界、と著者は読んでいるけれど、
まさにそうだと気づき、
同時に、著者はウェブメディアはどうすべきかを問う。
多角的視点を取り入れること、どこまで自制するのか、ということ、…
つまり、この本のテーマでもある中で、「読みやすさ」はどこまで追求するものなのか」ということ。
そもそも著者がこれを探究し始めたのは、
自身が新聞社で記者として勤務する中で、
デジタルメディアの担当になり、
紙面に掲載するために新聞社で蓄積され受け継がれてきた記事執筆のスキルと枠組みがどうもうまく機能しない、ということを知り、
じゃあどうやってウェブ記事をもっと読んでもらえるように書いたらいいのか、ということになった。
とはいっても、
簡潔にまとめられた紙媒体の新聞の文章はそれはそれで紙面での文章としては最適化されていて、記者の要約スキルは、もっと読みにくい研究論文とか、そもそも一般車向けに書かれてはいない文章だけれども、それに比べたら断然「読みやすい」ということでもあるのだけれど、
ウェブ上の読者の間では、新聞記事そのままの文章だと、まあ、「読みにくい」に入る、ということについて少し話していた。
で、その新聞社による記事の中でも、「読みやすい」新聞記事の文章があり、
さらに読みやすいのが、週刊誌などの記事の文章で、
さらに読みやすいのが、ネット上の文章、これはそもそも記事というよりマーケティング、広告になっていく、と…
そしてほぼ文章ではないぐらいの見やすさ?のものがSNS…
と考えると、
そもそも、感情の戦いには参戦すべきではないのかもしれない。
どういう目的で、
どのレベルで読者を増やすか、
それを明確にすることなしに、
ただPVが増えるようなものを出そうとしたら、
完全に方向性間違ってしまうと、あらためて気づいた。
大事なのは正しい理解が広がること。高まること。
なかなか一目で確認できることではないけれど、
それを確認し続ける姿勢は忘れてはいけないなーと思った。
そう、読者ファースト、と書かれていますが、
理想の読者をどう描くか、それはかなり大事だと思ったり。
読者を育成するという課題は、誰に託されているのだろう。
「読みやすい」を求めるがあまり、読者のリテラシーの低下を招いてしまわないか。
扇動したら取り返しのつかないことが起こることも歴史の教訓である中、
バズらせることは全く目的ではないということでもあり、
バランスって本当に難しいし、これこそ今とても大事な話なんじゃないかと、
思い起こさせられたお話でした。その点でとても面白かった。
Posted by ブクログ
紙とデジタルのちがひ
Twitterの田中健一さんから。
興味深い内容だ。
能動的に読む新聞記事から、受動的に読むネット記事へ移ると、なにが起るか。読者は気ままにニュースにふれてゐるから、格式張った新聞記事は苦しいのだといふ。
また、PVを得る仕組みも、新聞記事とはちがってゐる。そのため、要点を先に伝へる逆三角形の文章では、最後まで読んでもらへないのだ。
要するに、紙の記事とデジタル記事は根本的にプラットフォームの性質が異なるのであり、そのまま移行しただけではいけない。
筆者はそれに苦心して、PVを稼ぐ(しかし嘘はつかない)記事を書かうと努力した。
たとへば、単語もなるべくGoogleトレンドでどちらが優勢に使はれてゐるかを比較した。五輪とオリンピックだったら、後者に直す。という具合だ。
ところで、余談。
文学畑のおれからすると、ここでつい村上春樹と大江健三郎の文章について考へてしまふのだが、小説の未来もなんとなく見えてきさうな内容だった。大江はすぐれた作家だが、同時に中期の文章の面では、やはり失敗してゐたのだらう。(反省があって、後期は改善した。)内容は大江で、文章は村上で。といきたいものだ。
Posted by ブクログ
共同通信のデスク級の著者が自分が信じてきた文章術(記事書き術)を換骨奪胎してネットでバズる書き方を探求していくというもの。
これを読むと確かに、新聞というオールドメディアとネット記事では書き方が全然違うことがよくわかる。それ以前に雑誌記事だってネット記事よりだから、新聞だけが特殊ということか。
しかしいくらバズるため、多くの人に読んでもらうためといってもここまで迎合しないといけないのかなあ。ストーリ性が重視されるのは最近の風潮だけど、それって情緒を混ぜるってことだし、しかも他人(書き手)がにおわせてくれる情緒の好悪で読む・読まないが左右されるということだろう。自分で感じるとか判断するっていうことを捨ててるね。それに別件でも最近思ったけど、もう人々は真実至上主義じゃない。自分が好きなものであれば嘘でも都合よく解釈してそのなかで生きるのがいまの風潮。
もう一つ感じたのは、アメリカとかだとジャーナリズムとかが発達していて、記事の書き方のセオリーとかも確立していて、日本のように揺らいでないんじゃないかな。フランスとかイギリスとか欧米系も自分の意見表明を大事にするから、ちゃんと書けるし読める人がいまでも続々輩出されていそうな気がする、知らんけど。何もそんなに新しいことが至上なわけじゃないんだから新世代に合わせなくてもいいんじゃないか!
とはいえ、いつネット上でご機嫌とらないといけない立場になるかわからないから、こういうネット上用の書く術を押さえておくことは必要なんだろうな。
Posted by ブクログ
新聞記者である著者が編集者に言われた言葉、「新聞記者って、文章うまくない人が多いんですよね」は同感。新聞記事は多様なように見えて、ある種の型が決まっている。それは「逆三角形」と言われる大事なこと、言いたいことを前文に持って来る書き方だ。だが、ネットではそれが通用しない。若い読者に聞くと、読みにくいというのだ。
そこで著者が編み出したのが「「ストーリー性」「共感や感動」を重視した読み物だという。時系列に、説明ではなく具体的な場面や登場人物がどう思ったのかを盛り込んでいく。確かに新聞人としては記事は読んでもらった方が良いのは確かだが、これは無料サイトでの話。果たして有料課金モデルにつながっているのかは定かではない。
著者はPV至上主義の弊害も指摘し、新聞社のような組織ジャーナリズムがなくなれば、二次情報だけのネット空間が広がることを懸念する。一方で、読者も変化している。新聞など読んだこともなく、本も読まない。そもそも長文を読むことに苦痛を感じている層が増えているとの指摘もあった。Xの短文、またはチャットGPTで生成した要約文しか読まない、あるいは読めない人々が大量に存在するのが近い将来なのかもしれない。