あらすじ
「物に対する愛着」研究の世界的権威が解き明かす、人と物との一筋縄ではいかない関係
なぜ顔が描かれたクッキーが可愛く思えるのか?
なぜ薄汚れたテディベアを捨てられないのか?
なぜスマホの音声アシスタントに「愛してる」と話しかけるのか?
なぜ一つだけ売れ残った商品が「さびしそう」だから買ってしまうのか?
グッズのコレクションにお気に入りのブランド、音楽、アート、スマホ、車、ジュエリー、先祖伝来のアンティーク家具、家族写真や大切な人からもらった贈り物……人が愛着を抱くものは実にさまざまだ。だがそこには、人の複雑な心理が絡んでいる。
消費者行動や物への愛着研究の第一人者アフーヴィア教授が、人が物を愛するようになる仕組みを明快に分析し、アイデンティティや人類進化とも強く結びついた原理を明らかにする。
愛されるモノを開発したいビジネスパーソンにも、モノを愛する自分の心理を知りたい人にも、楽しめて役立つ一冊。
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「自分自身や他者との有意義な関係を築くために、物への愛を探究する極めて重要な本」――ジェニファー・アーカー(スタンフォード大学教授、『ユーモアは最強の武器である』共著者)
「研究に裏打ちされた本書は、世界を愛し人生に充足感を得る方法を教えてくれる」――マチウ・リカール(『Happiness 幸福の探求』著者)
「人間の本質についての理解を拡げてくれる、まさに傑作」――イーサン・クロス(『Chatter』著者)
「人と物との関係に、これほど多くのことが秘められていたとは!」――ニール・イヤール(『最強の集中力』共著者)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「物」を手に入れてウットリした経験がある。
キラキラするものや精巧なもの、自分自身のステイタスを上げてくれるようなもの。人は物を何故愛するのか。その前に、何故、物を必要とするのかを考えてみたい。
それは生存のための日用品だったり、帰属や権威を示すためのものや自己表現のためのものだったり。生活必需品、家電、玩具、ファッションアイテム、書籍、ガジェット、家や車。それに留まらない。飛躍するが、ペットや他者を所有品としてみたり、自らの身体の一部、能力や集団だってモノ化して見る事さえある。
所有の対象を「モノ」とする。しかし、私自身も「モノ」化する事で、所有の対象になり得る。人間社会は人間以外と人間を機能分解した上でその循環構造に組み込んでいる。
と、ここまで考えてみた。で、何故愛するのか。いや、愛するとは何。それが最も考えるべきテーマである。
ー 愛にはさまざまな情動がかかわっている。ゲーム機を愛する人は、それを失うことを想像すると悲しくなる。新しいゲームソフトを入手することを考えれば、期待で胸がときめく。昔よくプレイしていたゲームを思い起こせば、なつかしさがこみ上げてくる。
分かりにくいが、我々の感情は記憶によるイメージとの相互作用により湧き起こる。無意識の恐れが過去の記憶と重なるように、過去の記憶が恐れを呼び起こす。イメージが具現化したものがモノだとすれば、それは常に愛着を喚起させる装置となるはずだ。
ー 人をモノ化すると、脳による処理方法が変わる。プリンストン大学の研究者、ラサナ・ハリスとスーザン・フィスクは、ネガティブなステレオタイプの人物について考えるときには、人のことを考えるのにふつう使われる内側前頭前皮質ではなく、通常はモノについて考えるのに使われる脳領域が活性化することを発見した。反対に、モノを愛する場合、脳は少なくともある程度はそのモノが人であるかのように扱う。
人をモノ化するというのは危うい気もする。しかし、逆に、モノをヒト化することもある。つまり「ヒト化、モノ化」というネーミングが良くないのかもしれない。この言葉の違いは共感性の移入によるはずだ。例えば、モノ化しやすい存在としてサイコパスがありそうだ。
そうした視点から、中間としてのペット。犬や猫は完全にヒト化されているだろうが、魚くらいだとどうだろう。また、推しやファンという一方向の愛はモノ化に近い形態ではないか。
支配者と奴隷を同居しているのが人間だとたまに考える。自己的なモノ化が奴隷であり、コントローラーとしての自我、ゲームキャラクターとしての自我が存在するはず。そんなことを読みながら考えた。