【感想・ネタバレ】母の友2024年12月 特集「『母』のこれから」のレビュー

あらすじ

「母の友」は2025年3月号をもって休刊することになってしまいました。この号から最後の号まで4号連続で「さよなら特集」をお届けします。今号のテーマは「『母』のこれから」。過去72年間の「母の友」の記事を振り返りながら、「母」の今と未来を考えます。童話は富安陽子さん文、降矢ななさん絵「年越し祭り」です。

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Posted by ブクログ

 2025年3月号をもって休刊することとなってしまった「母の友」が、この号から四号連続でお届けする「さよなら特集」は、本誌の過去の歴史を振り返りながら、あくまでも今を、未来を向いていく特別編というだけあって、その内容の濃さに加えて、本誌の連載メンバーもたくさん登場する豪華版となった、その第一弾のテーマは『母』である。


 まずは、「母性愛神話」の幻想を打ち破った心理学者の大日向雅美さんと、今号の連載では、来年日本が戦後八十年を迎える事に対して独自の視点から解釈されたのが印象的だった、小林エリカさんの対談より。

 ちなみに「母性愛神話」というのは、「すべての女性には『母性愛』があらかじめ備わっているから、子どもを産めば誰でも子育てができる、といった『思い込み』」で、1970年代頃は信じている人が多かったそうだが、大日向さんはその後に起こった「コインロッカーベビー事件」を通して、母親だけが責められて共同養育者の父親は一切出てこないことに疑問を感じたことがきっかけだったとか。

 私が読んだ印象として、一読しただけで明らかにおかしいと感じ、それは当時の父はこう、母はこうといった役割分担みたいなものがはっきりしていた時代背景もあったとは思うものの、この神話には母以前に一人の女性として、それぞれの個性が皆無であることに息苦しいものを感じられたし、何よりもこの神話自体が大きなプレッシャーとなったからこそ、コインロッカーベビー事件のような、誰にも相談できずに追い詰められた人が出てきたのではないかとも感じられた。

 しかし、そんな時代を経てきた中で、今という時代があることに対して、エリカさんの『たくさんの先輩たちのおかげで、何十年もかけて、少しずつ変わってきて、今があるのだと思う』と、大日向さんの「安易に胸をなでおろすことなく、むしろ、たえず、『あれ? ちょっとおかしくないか?』と感じる姿勢を大事にしていけたら」が印象に残り、更には、「社会の変化を考えるときは、『みんなが』だけではなく、『私が』どうしたいのか、『私の幸せ』を考えることも大切にしてほしい」という、大日向さんの言葉にハッとさせられて、社会の変化の始まりは、あくまでも一個人なのだということを実感する。

 そして、おかしいことをおかしいと感じるのに必要なことは、『知ること』『学ぶこと』に加えて、ただ知識を鵜呑みにするのではなくて、『自分自身で考える』ことが何よりも大切であることを知り、これはそうだよなと痛感し、「なんでこんな時代なんだよ」と、ただ嘆くばかりじゃなくて、「何故そう感じるのか?」から始まって、知識を得て考えて自分なりに答えを出してみたり、もしかしたら、こう感じているのは自分だけではないのかもしれないということが、その過程で分かったりと、ちょっとでも気になったことは自分の中に溜め込まないことも大切なのかもしれない、それは「母の友」の姿勢とも繋がった『子どもは大事、わたしも大事』ということの大切さなのだろうと思う。


 ここからは、「『母の友』72年の記事を振り返る」より。

「母に求められるもの」
 『世のお母さん方の毎日はあまりにも忙しい』で始まる1953年の創刊号から、時代毎に様々な母の悩みと向き合ってきた本誌の記事を振り返っており、1961年1月号の「わたしはおかあさん車掌第一号」の、社内で初めて出産後も仕事を続けた方の手記や、1998年9月号の岸田今日子さんと佐野洋子さんの対談に於ける、佐野さんの『地のままのお母さんってないのよ。母親っていうのは役割だから、どうやったとしても、お母さんのふりなんだと思う』が印象的な中、『女性の社会進出が進むなど、一見、昔よりも自由になったかに見える母の姿は、子育ても仕事も家事もと、すべてを背負いすぎて追い詰められている』、そんな母の苦悩にも気付き、様々な特集で寄り添ってきた2000年代と、改めて本誌の存在意義を実感させてくれた。

「父・夫」
 意外だったのは、1957年9月号の「父親のための特集」が『困った子ができれば母親の責任』『お金を稼ぐのが父親』等、“古い”考えの男性がまだまだ多いことに異を唱える内容であったことに、まだ私が生まれていない頃から既にこうした考え方も生まれていたということに、実は世の中のことを狭い視野でしか見ていなかったのだなという、私の方こそ思い込みの塊であったことを痛感させられた。

 そんな中で、父、夫の立ち位置も様々に変化していき、特に1982年10月号の「粗大ゴミ予備軍はかわいそう」(すごいタイトル)という女性の座談会に対して、それを受けた男性の座談会のタイトルが「そんな急に迫られても」と、やや弱気なものであることが印象的で、男性も身の回りのこと、家庭のことをできるようになった方がいい、そうじゃなければ「粗大ゴミ」と言われてしまうような時代もあったのだが、それに対してお互いに理解し合おうとする姿勢が垣間見えたとか。

 更に2015年6月号の「お父さんという生き物」では、創刊当時と比べれば、すっかり立場が弱くなり、家庭での様々な役割を求められるようになった父の悩みを紹介しているそうで、そこには手伝っても妻に叱られて新たなストレスを抱えるといった、母と共に父もいろいろあるのだということが分かる。


「鼎談 女対女の戦いではない」
小川たまか×長田杏奈×花田菜々子

 いずれも本誌の連載でお馴染みのお三方の鼎談では、『年長者に従うみたいな意識は減ったどころか、逆に軽んじられる時代になってきた』ことや、『有償労働と無償労働の時間を足すと、日本は女性の方が男性を上回っている上に睡眠時間は短い』が、そういうのを男性側は知らなくて『専業主婦は食っちゃ寝しているみたいなことを言う人がまだいる』こと等、問題点もある中で、女性同士の対立を防ぐにはどうすればいいのかということや、これからの女性について、『一人一人が教養を身に付けなければいけないと思う』『女は虐げられている立場なんだってだけでは発展しない』一方で、SNSの普及による利点も述べられていた点に、物の見方は一つでは無く様々であることと、それも教養の一環であることを教えてくれた。


「見てきたものを教えて」 東直子
 東さん自身の子育て経験に基づいた率直な気持ちが胸に迫り、それは自分が子どもだったときにも上手くできないことによる不安や悲しみが多かったのに、何故、母になった瞬間、それを忘れて理想主義を掲げてしまうのかといった点から、『思い描いたようにことは運ばないのが常』であることを再実感された、それは母に対して今まで通りでいいんだよと言っているようにも思われた一方で、『人生は、その子のものである』という言葉も心に焼き付けられた、そんな彼女とお子さんとの思い出が浮かんでくるような五つの短歌からは、お子さんがひとり立ちする前に東さんが共有できた、たくさんの素晴らしいことへの喜びを感じ取ることができた。

『君がいたから見つけられた花や雲、石や看板、虫とゆびさき』


 そして、見開きに描かれた小幡彩貴さんの花に囲まれた母と娘のイラストには、シンプルで飾らないメッセージがよく似合う。


 ここからは、「エッセイ 今と未来の『母』たちへ」から特に印象的だったものを。

「母としての誕生日」 宮地尚子
 遠く離れて住む娘さんが二十九歳になる誕生日に、用事でかつて十年近く前に娘さんと別れた場所を通った時に蘇った当時の思い出と、今の宮地さんの心境とが交差することには、まるでそれが母と娘との繋がりでもあるように思われた、それは娘さんの誕生日が母のもう一つの誕生日であることと重なりながらも、その当時のことを、いつまでも鮮明に覚えている宮地さんの娘さんへの思いが、何よりも強く私の心に残った。

「元気でいれば、それでいい」 村井理子
 『母として気の休まる日など、あまりなかったように思う』と書かれた村井さんが、『将来は良い大学に進学して、素晴らしい職場に就職し、幸せな人生を送ってほしいと考えた時期もあった』けれども、『今にして思えば、そんな夢はたいした意味もなかった』と振り返ったことには、十八年に及ぶ双子の男子の子育てで『子どもの未来を親が決めることはできない』ことを学んだからであり、それは日々ずっと見守ってきたことにより、少しずつ子どもたちの成長を実感できた喜びとも重なるようで、『無事育ってくれたこと』、まさにそれだけで充分なのだということが、そのまま母への賛辞なのかもしれないと、私には感じられたのであった。

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2024年12月15日

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