【感想・ネタバレ】崩壊する日本の公教育のレビュー

あらすじ

安倍政権以降、「学力向上」や「愛国」の名の下に政治が教育に介入し始めている。その結果、教育現場は萎縮し、教育のマニュアル化と公教育の市場化が進んだ。学校はサービス業化、教員は「使い捨て労働者」と化し、コロナ禍で公教育の民営化も加速した。日本の教育はこの先どうなってしまうのか? その答えは、米国の歴史にある。『崩壊するアメリカの公教育』で新自由主義に侵された米国の教育教育「改革」の惨状を告発した著者が、米国に追随する日本の教育政策の誤りを指摘し、あるべき改革の道を提示する!

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Posted by ブクログ

ネタバレ

教育に浸透していく市場原理。

新自由主義改革で加速した教育の合理化、標準化、サービス業化。

アメリカの公教育について書かれた前著に続き、日本の教育についても同じような傾向があることが強調されていました。

いろいろな順番で書かれているので、すこし頭を整理すると…

・・

アメリカ~

1983年、米国連邦教育省長官の諮問機関の報告書「危機に立つ国家」報告書。アメリカの世界での競争力を再度高めるために教育の改革が要され、新自由主義改革が教育の現場でも実行される契機に。

1990年、*教育*社会学者マイケル・アップルによる論文では、マルクスの論じた「構想と実行の分離」の状況が教育現場にも及んでいるという。分業・役割分担の細分化により、現場は単純労働化し、教員たちが裁量、スキル、プライドを失うことになる、と。

2002年、アメリカで発効した「落ちこぼれ防止法」はこの教育の市場原理化を加速させる。

学力標準テストで競争原理を採り入れ教育の管理、効率化、生徒指導は「ゼロトレランス」のもと、停・退学…

2008、年アメリカ心理学会は、停・退学処分が生徒の素行に逆効果であると指摘。

2009年、「Teaching by Numbers」教育の新自由主義化を問う。
本来人間の教育に伴う不確実性を排除し、教えることをテクニック化し、カリキュラムを台本化し、教育サービスのパッケージ化を許した、と。

日本でも~
2001年、義務標準法の改正。
40人に1人の正規教員の配置義務が緩和され、複数の非正規で対応できるようになった

2004年、PISAショックーOECDの学習到達度調査(PISA)で日本のランクが急失墜した。

2006年、教育基本法改定。愛国心や郷土を養うことなどが新たに教育目標に加えられた
2006年、公立学校教員の国庫負担が1/2から1/3へ。自治体は教員人数を増やすため、非正規が急増。
2007年、教育職員免許法改定で、免許取得条件を厳格化。
2007年、全国学力・学習状況調査を再開

2017/18年、学習指導要領の改訂。(これは10年に改訂される。)
学びの内容に加え、教える内容を定義、学びの達成度ーパフォーマンス基準も定義、これにより、教員に結果責任を求める酢重関係を獲得する

2018年、文科省事務次官による通知 to 全国の学校で、学校における働き方改革が求められる。学校業務の整理、一部を民間委託の提案、

2018年、埼玉教員超勤訴訟。
教員側が自発的に教育的見地から実施した教育業務が労働時間に含まれない。

2018年、大阪市の吉村市長によるメリットペイ制度の提案。生徒の全国学力テスト結果を教員の評価、報酬、学校予算に連動させる、というもの。合意を得られず、実施には及ばず。
著者は、効果がないのではなく危険であるという。何をもって学力と呼ぶのかを問うことを忘れてはいけない、と。

2021年、校長先生からの、大阪市教育行政への提言。
_「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」

・・

公教育の在り方を考える。

教育学者、大田尭は、「教育」という和訳のもととなった「エデュケーション」の本来の意味は、養う、引き出すの意味だという。

そして、教育を生命の営みのなかでとらえ直すことを論じられていることを紹介。

人間が大自然の中で行かされていることを忘れた社会は、「生き物を生き物として扱わない社会」だ、と。

著者はまた、法隆寺の宮大工について書かれた『木のいのち木のこころ』という本なども紹介。そこにあるのは、心構えの違い。檜という自然を相手にしているということ、絶対はないということ。

教育は、人間という成長する自然を対象にする。個々の具体的な生き物に向き合い、取り組むこと、標準化できるものではないこと、だから、生命の営みとして、自然として、教育を考え、取り組むことが欠かせないことを強調。

著者は、新自由主義が浸透するように見えるこの社会でどうするのかのヒントとして、

隙間に目を向け、広げる、ということを伝えている。

なぜなら、一つのシステムは社会全体を覆いつくすことはない、から、だという。

フィンランドでは、大学院を出ていないと教員になれず、狭き門でもあり、人気職、給与も待遇もよい。

心構え、捉え方、その違いがもたらす大きな違い。

その一つは、固有名詞的な関係をどう守り抜くか、市場主義社会の労働の現場においても、ということでもあると再考…

組織として、システムとして考え始めると、欠陥だらけでどうにもならないと思いがちだけれ、そこで働き生きる個々の人間として、個人的経験として、良い経験、生身の人間として関係し合える空間、時間を、広げていきたいなーと、ちょっとまた抽象的だけれども思った。

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2025年02月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

個人的には読みにくい本だった。

様々な概念や専門用語を分析の視点として用いているが、それらの用語の定義をまず示して欲しい。それから、その分析視点に立つとどのようなことが言えるのかを明瞭に示して欲しい。中には、そんな大層な概念をわざわざ持ち出さなくとも言えるのでは?と思ってしまうようなこともあった。

例えば、学校の「塾化」と述べているが、これは誰の言葉?自らの造語ならば、この定義とこの状況によって進行する自体をもう少し手厚く説明して欲しい。また第5章の冒頭でアップルの論文を引いているが、これは論文の要約なのか、あるいは論文の中の文章の抜き出しなのかがわからない。またその後に「構想と実行の分離」というマルクス主義の考えを持ち出しているようだが、これもきちんとした説明はなされていないように思う。

以上から、個人的には多くの用語を用いて、その用語をとにかく散りばめて文章を作っているように見えた。ただ、あまりにも多すぎるが故に、説明が不十分となったり、わかりにくくなったり、面白みにかけたりしてしまうのではないか。

それと、全体的に、論に抑揚がないように感じた。
新自由主義とか、働き方改革とか、そういった大きな話を毎回のように文章に組み込んでいるため、論全体が均質的な印象を受ける。そしてそれが故に、途中で読み疲れてくる。それに加え、著者の主張を支える前提が作成した文章からはっきりと読み取れるため、なんだかずっと説得されてるようで疲れる。

わかりやすさを意識しているせいか、全体として読みにくいという印象を受けた。言いたいことは目次等からわかるため、それを論理的・説得的に主張するための論展開や、根拠、分析視点の設定をしてみるといいのではないかと思った。

本書を読む際には、目次で各章と節で何を述べようとしているかがある程度わかるため、全部を読もうとするのではなく、個々の興味ある部分を選んで読むのがいいと思った。イメージとしては、雑誌。

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2024年12月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルは少し誤解を生みそうだけど、今の日本の教育現場が終わってるって話ではなくて。現場で先生方は精一杯踏みとどまって質を維持しようと頑張っているけれど、政府の教育内容への介入もすごいし、システムや制度が自由化・市場化の方向で、このままじゃアメリカみたいになりそうだよー、やばいよー、っていう話。

アメリカの、新自由主義っていうのか。より良い教育を求めて選択の自由はあってもいいけど、ベースの公教育の質の確保はお願いしたい。
ていうか教育は、民営化しちゃいけない分野だよなー。農業、医療、国防とかもそうだろうけど。

政府の介入、道徳の教科化とか価値観の押し付け気持ち悪いなーくらいしか思ってなかったけど。教育委員会の独立には、戦争の反省という歴史的な背景があるんだ。知らなかった。「教え子を再び戦場に送るな!」だったはずが、競争が激しい現代社会を「さあ勝ち抜いてこい!」と送り出すことになって、戦中の教師と変わらないのではないか、というどこかの先生の言葉が重い。

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2024年11月27日

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