あらすじ
日本政治はどこに向かうのか
衆議院補欠選挙で敗北が続く自民党。
また、岸田文雄政権は裏金問題等により低支持率に喘いでいる。
佐藤優元外務省主任分析官は、岸田政権を「深海魚のような政権」と評し、
山口二郎法政大学教授は「家産制国家へ逆行している」と語る。
自民党は保守政党と呼べないほど変質し、所属議員は劣化した。
自民党は解党に向かうのか。だとすれば、自民党を政権から引きずり下ろす政党はどこか。
あるいは、過去何度も窮地に陥りながらも復活したように、危機を乗り切るのか。
国際政治の潮流も踏まえ、自民党およびこの国の未来を読み解く。
(以下、目次)
はじめに――対談から生まれた独自の分析と予測(佐藤 優)
第一章 日本政府のトランプ対策
第二章 もはや保守政党ではない
第三章 岸田政権が壊したもの
第四章 自民党の本質
第五章 自民党の息の根を止める政党
第六章 激変する国際情勢のなかで
おわりに――二〇二四年は大きな転換点(山口二郎)
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Posted by ブクログ
知らなかった視点がたくさん出てくる。考え方の幅が拡がるいい本でした。「ダレスの恫喝」については、うろ覚えの孫崎さんの本の内容とは、すこし内容が違うように感じました。孫崎さんの本を読み直して比べてみようと思います。
Posted by ブクログ
このタイミングで。自民党総裁選の投票は党員に限られ、大多数は権利が無いが、総理大臣を選ぶようなものなので、国民の関心度は高い。年会費4千円を支払えば党員になれるが、年々減少傾向にあり今年は91万人。私の身近にもいるが、どのような人たちがいて、誰を選ぶのかが重要だ。多くは、農協、中小建設業者、医療関係団体、商工会と聞く。
他方、候補者も失点を減らすべく、靖国参拝、夫婦別姓、解雇規制など、無用に票を減らしかねない争点を今回は避ける。ならば、国政選挙で掲げた党のマニフェストから大きく逸脱できず、日頃の言論、それによる①人気票②利用価値③利用し易さ④それらの期待値あるいはリスクで決するのではなかろうか。外交姿勢は強硬でも弱腰でもリスクが伴うため判断は難しく、経済は横並び。そんな中、何やら①と③が圧倒的に高い候補者がいるようだ。
さて、本書。佐高信には両名、本書ともボロ糞に言われていたが、私はその批判には賛同しない。佐藤優も山口先生も間違いなく一級の知識人である(と思う)。
ー 民主党では人間関係が政治を動かす大きな要因だったということです。つまり、政策の論議以前に「あいつは嫌いだ。信用できない」といった人物に対する好悪が優先してしまう。政権与党の座にありながら党を割るのは、自民党なら絶対にあり得ませんし、政治の世界では非常識なことです。
民主党の政策ブレーンでもあった山口二郎の発言だが、自民党内の石破イジメには耳が痛いだろう。果たして、自民党は変質したのか。変質できないまま、埃が出始めているだけでは。総裁選の予備知識として本書を読むのも面白い。
Posted by ブクログ
私は恥ずかしながら政治に関して興味を向けたのが20代半ばに差し掛かってからだったので、政党の経緯といったものを全然知らなかった。
本書で丁寧にまとめてくれてはいるが、まぁなんとも、政党というのはわかりにくい。
各党が離合集散しているし、政治家も入れ替わっているし、自民党内でいえば派閥がいくつもある。
前提知識を持たない若い人が足を踏み入れることに意欲がわかない原因のひとつには、これもあるんじゃないだろうか。
つまり「内輪ノリ」感があるのである。
有権者が政治に関われるのはほぼ選挙時の投票だけ。
応援したり、調べたり街頭演説を聞きに行ったりといったアクションは取れるが、多少なりとも結果に効果を及ぼせるのは投票だけである。
官僚や有識者は政治家の意思決定の材料となる情報を政治家に提供するが、それも関わっている個々人が左右できるほどのものではないだろう。
なので党内の総裁選だの、派閥争いだのは国民そっちのけの内輪で盛り上がっているだけに感じられる。
本書の「公明党は怒っている」の項でも触れられているような、国会審議を経ずに防衛装備移転三原則の解釈を変えるような勝手な行動も、国民が政治に関わることへの無力感を高めるだけである。
透明性が低いが故の「なにやってんの?」もあるし、勝手なこと(ないし呆れるようなこと)をするなという意味でも「なにやってんの?」という気持ちになってしまう。
代議制・間接民主制を採択している以上、庶民は持ち分の仕事や私生活に集中し、政治家に政治は任せる。これが正しい形。
投票する国民一人一人が狭い視野ばかりで投票先を選ぶのではなく、持てる視野の最大限の高さで以て投票先を選びたいものであるが、ノブレス・オブリージュのとおり、政治に関わる人にはより一層、驕りなく高い視点から政策を進めてもらいたい。
一冊通して気になる話題は多いのだが、私が特に印象付けられたのは最終章の「日本外交の退却戦」についてである。
アナロジーとして感じたのは、これは加齢と重なる部分があるということだろうか。
普段、ビジネス書や自己啓発書の類を多く読むからだろうか、「まだいける、チャンスはある」という、夢を持ち続けさせるような、発破をかけるような言説によく触れる。
リソース(お金、時間、才能、実績、体力など…)が足りず、中々夢は叶えられず、目標は遅々として達成されない。
それでも、「まだ努力が足りない」、「発掘されていない才能があるはず」、「自分は遅咲きなのでは」と無意識に現状を正当化し、夢を持ち続けている。そんな努力を、周囲は応援してくれる。
この構図は、まだ日本はアメリカや中国に一矢報いえる、という夢を持たせてしまう。
私は既に齢37になってしまっているが、現実問題、ここから大きな挽回はまず見込めないだろう。
今からアスリートにもミュージシャンにもなれないし、経営者や発明家や芸術家になって偉業を成し遂げることもまずない。
現実をよく見据えて、これまでに積み上げたものを最大限活かしながら、人生折り返し後の消化試合というプロセスを楽しむ。
日本も、過去には栄華を誇ったこともあったろうが、人口も経済力も数倍~数十倍ある大国に囲まれている以上、リアリズムを持って強かに立ち回る視点に軸を置かなければならないだろう。
変にプライドを持ったり卑下したりというのはどちらもリアルから目をそらしてしまっている。
新陳代謝には時間がかかる。一発逆転などそうそうあるものではないのだから、実直に努力・実績を積み重ねながら、しなやかにこの先の未来を楽しんでいく。
韻を踏む歴史の中では、ポピュリズムやファシズムが周期的にやってくる。その土壌となっているのが、反知性主義であったり、科学や論理を軽視し、信仰宗教に縋ってしまう心理的脆弱性であったり、権力者の扇動・認知戦に巻き込まれてしまう弱さ、操作しようとする傲慢さであったりする。
これは大きな波なので、遅れさせ得たとしても、避けることは叶わない。
人生を楽しむためのフィクションと、安全かつ快適に生き抜くためのリアリティを明確に線引きした上で、双方を磨く。こんな視座を持つことが大事なのだろう。