あらすじ
「わかるかも」が口癖のあなたへ。
【内容】
初めて物語の中に私に似た人を見つけた日のこと、東京とソウルで参加したプライドパレードのこと、日本の同性婚訴訟やパートナーシップ制度のこと、同じ時代を生きている/生きていたクィアのこと――
誰かの痛みや怒りや悲しみが、まるで自分のことのように思えることがある。乳化した水と油のように混ざり合ってしまう。だけどあなたはあなたでしかなく、私は私でしかない。他者同士である私たちが、重なったりずれたりしながらともにあるための、「共感」と「距離感」。その可能性と難しさについて。
「わかる」なんて簡単に言えない、「わからない」とも言いたくない。ゲイとして、シスジェンダーの男性として、著者が日常の中で直面したエピソードを描きます。
“共感も距離感もうまく使いこなせない。だからこそこだわってしまうのだろう。なんとか組み合わせて、練習しながら上手になっていきたい。混ざり合った世界と分離した世界を同時に生きるように。言葉にならないものと言葉を重ねて一つにするように。”
――「はじめに」より
自分と他者、規範と逸脱、個人的なことと社会的なこと……様々なものごとのあわいにとどまり、揺れながら考えるエッセイ集。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「はじめに」を読んで、まさに「あぁ、わかる」と思ってしまい、とても気になっていた本
著者の性的指向はもちろんこの本を読む上で切り離せないのだけど、異性愛者の女性であるわたしが読んでも「わたしも知っている感情だな」と思う心の揺れをたくさん見つけた
その「わたしも知っている感情だな」と「わたしには知り得ない葛藤があるのだろう」が読書中ずっと混ざり合ってて、まさに、共感と距離感の練習や
どうか、この本のセクシュアリティの部分だけが一人歩きして伝わってしまいませんように
それはすごくもったいないことです
自分の価値観や感情の「揺れ」の部分を人と話すことってあまりない うまく言葉にして話せないしわかってもらえないと思ってしまうから
でも著者はこの過程を丁寧に、誠実に言葉に落とし込んでくれて、まるでいっしょに立ち止まり絡まり混ざり合うような気持ちになる その中で自然と脳内で自己対話も行われる
これは会話では難しいことで、わたしのタイミングで早さで咀嚼しながら向き合える読書の醍醐味やなぁと噛み締めながら読んだ
ほんでおまけ、
表紙を開いた1枚目に挟まれる色紙が、2色の淡いグラデーションになっていてあまり見たことのない紙やった
それがまるで「わかる」と「わからない」の境界の曖昧さや、どちらか一方との区切りがないことのようで、文章だけでなく造本としての表現もまた楽しめる
この本がとてもよかった、と思う点をちゃんと言語化したいと思いながらずっと読んでた そしたらすごい長文になりました ここまで読んでくれる人がいましたらほんと感謝です
Posted by ブクログ
シスジェンダーのゲイである著者による、クィアにまつわるエッセイ
LGBTQとして一緒くたにせずにそのグラデーションをしる、なんてことは当然で、
この本は、そのグラデーションの深さ多様さをまざまざと見せつけてくる
普通などないのだし、異性愛者と言われることにドキリとした違和感を感じることから始めるしかない
Posted by ブクログ
大部分でマジョリティ側である私の言動は、何度も誰かを誤解し、理不尽を押し付け、傷つけたまま突き放して来たんだろう。怖いと思ったし、このままじゃだめだと思った。もっと知りたいし関わりたい。
Posted by ブクログ
決して”わかる”とは言えない、けれどわかりたい、そんな気持ちをずっと持っているからこそ、当事者のエッセイに触れて自分で考えること、感じようと思うこと、そんなことを続けていきたいと思った
Posted by ブクログ
冒頭で共感についての態度を書いてくれているおかげで、丁度いい距離感で読むことができた気がする。
丁度いい距離感と言っても、読み進めると筆者のかかえる「あわい」の中に自分もいるようの感覚に何度かなる。
安易な共感に対して筆者が思うことなど、丁寧に語ってくれているにも関わらず、やはりスイッチは切れないのだなと。
しかし、そのための練習として本書があるんだろうと思うと、なんだかしっくりくる。
アナキズムの実践の話、観光のクィアパレードの話など興味深く、そして最後の「あるいは」は、この文章を本書で読めてよかったと思った。
Posted by ブクログ
わかるかも、と思うことがよくあることを悩んでいて、分かるわけないのにそんなふうに言われるのも、言うのも嫌でモヤモヤしていた頃に出会った本。
自分より少し年上の人もそんなふうに揺れながら考えて生きているということが、私を少しホッとさせた。自分もこの揺れる気持ちを持ちながら過ごしてもいいんだなとか、そんなふうに思えた。
東京レインボープライドの話が印象的だった。商業化されすぎていること、スポンサー企業のブースがずっと活動している団体よりも大きいことなど、自分も参加したことがある手前、そう思わせている一因だったのかも。
だからどうするとかそういうわけではないけど、そういうふうに思っている人がいることを考え続けながら何か行動をおこしていきたいと思っている
Posted by ブクログ
わかるなんて簡単に言えない、わからないとも言いたくない
帯にある通り。
いない、見えないもの、人たちにこそ目を凝らす。その声に耳をすます。
あれこれと考える。
Posted by ブクログ
私はおそらく普通より共感力が高い人間で、若いころはとくに、そういう性質により心が苦しくなることも多々あった。
歳を重ねるごとに「自分と他人のあいだにきちんと境界線を引くこと」を心がけるようになったけれど、元々の性質はそんなに変わっていないと思う。
でも、共感する、ということについて深く考えたことはそんなになかった、と本書を読んで思った。自然発生的に起こってしまうもの、と捉えていたからだ。
女性はとくに共感だけで数時間話せてしまうようなところがあるけれど、「わかるわかる」と言いながら、その「わかる」について深掘りすることはほぼない。
著者の小沼さんはLGBTQのQにあたる、「クィア」に属するセクシャリティの持ち主だそう。「クィア」について調べてみたら「男性にも女性にもはっきり当てはまらない性自認をしている人の総称」とあった。
そして元々「わかるかも」が口癖になっていた時期があったそうで、それを友人に指摘されて以来、言わないことを心がけるようになったとのこと。
私は共感力は高いほうだと思うけど、セクシャル・マイノリティに関しては、かんたんに「わかる」とは言えない。自分がそうでないものを、心からはわかるとは言えない。
著者も「クィア」に関することではすぐに「わかる」と言われるのは抵抗があるのだろう、と感じる一節があった。
それはそうだ。生まれてからこれまで深く悩むことも多かったであろうことについて、かんたんに「わかる」とは言われたくないだろうと思う。それはセクシャル・マイノリティに限らず、人のあらゆる面において言えることだ。
共感してもらえて、誰かとわかり合えて、とても嬉しかったり安心することもある。一方で、かんたんにわかられてしまうことに抵抗を感じる場合も、やはりある。
共感についての話題以外でも、読んでいて、著者はとても繊細な方なのだな、ということを感じた。
日々のさまざまな事柄について、少し立ち止まって考えたり、違和感について見つめてみたりする。受け流すことで楽に生きられるようにはなるけれど、それを自分の心が良しとしない人間は、世の中に一定数いる。
共感力も想像力も、他者と良好なコミュニケーションを取るためには必要だ。だけど共感に関しては、時と場合を考えずに表明しすぎると、相手を傷つけてしまうこともある。
本書のタイトル通り、共感と距離感、セットで持つことが大事なのだと思う。ときに混ざり合い、ときに混ざり合わないでおくこと。わかり合えても人は独りだということは、けして哀しいことではない。
「相手になれそうなほどの共感力」を持つからこそ、距離感も同時に練習することが必要。自分が自分であり、他者と同化できるわけではないことを自覚するために。
そんなことを言いながら、最終的に、「わかるなぁ」と思いながら、読み終えました。それはまぁ、いいのかな。笑
Posted by ブクログ
シスジェンダーヘテロセクシャルとしてゲイの方の感性、苦悩を知ることができました。とはいえ著者も申している通り「この発言がゲイの当事者の1人の意見であり、総意ではない」ということを気をつけながら読みました。
一つ一つのエッセーで考えさせられる。特に企業とLGBTQが絡んでビジネスにされてしまっているところと、ryuchellの件。
Posted by ブクログ
表紙とタイトルだけで本書を手に取ったので、想像していなかった内容に戸惑いました。
普段気にもしていなかったけれど、自分が圧倒的に大多数側に分類されること、それでも日常で自分と異なる立場の人に対する差別的な態度に接すると自然に怒りが湧いてくるのだけれど、それはここでいう「わかる」には、到底当てはまるものではないのだと思う、そういうことを考えたりしました。
自然に書かれている単語や表現にも分からないことが多くて検索しながら読みました。
こんなにも知らないのは、きっとそれらにこれまで触れてきても気づかずに通り過ぎてきたからで、それが「無関心」ということなのだと思いました。
ではどう考えればいいのか?なにか行動しなければいけないのか?今回はただ知ったということだけでも得るものがあったのか、色々と考えてしまいました。
著者があまりにも追い詰められ、思い詰めているようで読んでいてしんどくもありました。
Posted by ブクログ
マイノリティであること(とそのために経験してきた困難)が、著者の思考をこんなに深く、深いのだけどたくさんの方向に目配せするようなものにしているのかなと思った。
Posted by ブクログ
人に共感するにあたってこういうことが大事だよ、とわかりやすく示してくれるものではないが、この一冊を通して、人と自分を重ねたり共感したりする時の姿勢や語り口をたくさん見せてくれる本だなと思った。
Posted by ブクログ
シンプルにめっちゃムズいなと思った。
自分が当事者でないことについて、どこまで語ったり考えたりするのがいいのかわからない。
そんなに簡単に「共感」できない、すべきでないのはその通り。
とした時に、どんな「距離感」でいたらいいのか。
大学時代にジェンダー論を専攻していたが、そこはけっこう悩んだポイントだったなぁというのを思い出した。
この本で一番心に残ったのは「はじめにーわからないけどわかるよ」の章。
性質として私自身も共感力が高めなタイプなので、相手の状況や気持ちを想像して「わかる」と言ってしまいがち。
でも当人からしたら「わかってたまるか!」という部分もあるだろうし、自分の想像力の範囲でしか共感できないので、相手の気持ちを矮小化してしまう危険もある。
そこに悩む著者にはかなり「共感」してしまった。(またしても…!)
逆に共感できなかったのは、東京とソウルでのレインボープライドイベントの話。
著者は、東京のイベントで「TRP、最高!」という掛け声で写真を撮っていた人たちについて、「パレードを歩く体験が最高だったとして、そう言えない人たちについて、青空の下にいられない人について知る機会はどれだけあったのか、不安になった。それがないなら、このイベントは何なんだろうと思った。」と語っている。(p101)
一方で、ソウルでのイベントに関してはヘイトに打ち勝った経験から、「達成感で胸がいっぱいだった。」「私のはじめてのソウル・クィア・パレードはとても勇気をもらえるものになった。楽しくも毅然とした三万五千人の抵抗が、ヘイトに勝つ瞬間を何度も見た。」(p113)、「あの日聴いた音楽を、覚えている限りプレイリストにまとめた。底抜けに明るい曲たちを再生すれば、陽気にサバイブする強さがよみがえってくる。」(p114)と語っている。
個人的には、それぞれのイベントの社会における位置付けやイベントそのもののフェーズが異なっているだけで、やっている内容自体は変わらない気がしており、どこにそんなに差分があるんだろう?と疑問に思った。
これがイベントの空気を実際に感じた著者と、俯瞰でみている私の差分なんだとしたら、健全なギャップだと思う。
(大前提、私に全然知識がないのでもっと違うところでの差分だったら申し訳ないです)
最近、社会のマイノリティの人が書いた本に出会うことが多く、読むたびにぶん殴られているような感覚がある。
自分にはまだ理解できないこと、もの、人が多く存在する。
必ずしも共感することが正しくはないし、ネガティブに働くことだってある。
しかし、その人の立場に身を置いて考えようとすることはとても大切だと思う。
だから、今日も私は本を読む。
Posted by ブクログ
冒頭で話されている「分かるかも」という口癖はつい自分も使ってしまうな〜
全体的にLGBTQ +について語られていたが、人と人との距離感って本当に難しい。人の考えは100%理解はできないし、自分の意見と真逆の人が現れた時は攻撃するのではなく歩み寄る姿勢が大事であるけれど実際はなかなかできなかったり。そもそもこの考えも自分がマジョリティに属する側の人間で傲慢な所もあるのではないかとモヤモヤしたりうまく自分の答えは出なかった。
でもやっぱり相手を知ろうとすることは人と関わる上で必須だよな、その上で共感の言葉を言うことは悪いことではないよなとこの本を読んで思った。
Posted by ブクログ
LGBTQやガザのこと、という前情報だけもっていたけど、シスジェンダー男性のゲイ目線であると、読んでから知った。
「だったら」「まだ読まなかった」「いまは育児中だし」「あまり関係ない」
そう言ってしまう声はないか?
わたしならあなたなら、この「」になにが入るのか?
しかし、そう言えてしまうわたしの立ち位置はなんだ?
そんなことを考え続ける練習。
Posted by ブクログ
著者も最後らへんに「僕の文章は回りくどくて…」と書いてたけど、確かにちょっとそうかも。行ったり来たりしながら思考が整理されてく感じが良いっちゃいいけど、内容がそこまで広がってない気が。まあそれがエッセイの良さではある。
少し前に読んだ宮地尚子の傷を愛せるかがエッセイとして良すぎたから比較しちゃうのもある。
Posted by ブクログ
エッセーらしくサラサラと流れていくような文章は、読んでて心地よさわ感じた。
でも自分はストレートなので、著者の感じる事は完全には理解は出来ないけど、イメージできる事はある。
そう言う意味で、意味のある一冊だった。