あらすじ
「山谷」の鰻、「魚河岸」のナポリタン、
「深川」のめしや、「土手下」の焼肉、
「三里塚」のジンギスカン、「鹿浜」のホルモン、
「中山道」の立ち食いそば――。
巨大都市・東京の周縁で労働者が集まる「寄せ場」こそ、人間のあらゆる欲求を本能的にむき出しにさせ、
「食」と地続きで都市に生きる人間の「生」を作りあげている現場なのだ。
食べるという行為が内包する「食べる喜び」と「食べなくては生きてゆけない辛さ」を、「寄せ場」で二十数年にわたって飲み食いを続けてきたノンフィクションライターが活写した。
単なる消費のための情報ではない、切れば血の出る異色の「グルメ本」。
月刊『潮』で3年半にわたって連載され話題を呼んだルポルタージュが書籍化。
本書を読んだあなたは、今晩ひとりで赤提灯の暖簾をくぐりたくなるだろう。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
肉体労働者を中心に雑多な人々が空腹を満たすため集う寄せ場の食堂のルポ。
いわゆるグルメ本ではなく、その店がその土地で長年存在する理由や、そこに集う人々のなりわいにまで掘り下げて書かれている。
本書にも一部触れられているが、このような食堂は徐々に姿を消しつつある。それは東京だけではなく大阪でも同様。
なくなってしまう前に食べに行こう。
Posted by ブクログ
自分自身そこまで寄せ場やドヤに出向いてご飯を食べるというのはほとんどしたことはなかったが面白かった。
自分の中でイメージしていた寄せ場も時代とともにそのあり方を変えてきていて、今はもう既になくなってしまったお店も多々あり、とても貴重なフィールドワークによる1冊だと思う。
最後の『現代の「寄せ場」はどこにある?』でファミレスに言及されているのは興味深いと感じる。
Posted by ブクログ
そうか…大林、ついに閉じてしまったのか。丸千葉行ったりバッハ行くとき前を通ったけど黒い鉄格子閉められたままだったからなぁ。もう一回行きたかったなぁ。寂しいなぁ。でも赤羽や立石のように面白がって行くことを拒むようなお店でした。自分が初めて連れて行ったもらった時、ペンキで汚れた作業着を着た若いオニーサンが完璧に酔って、もしくはラリって入店しようとした際に店主さんが足を引きずって戸口に行き、ふらふらな彼を叱っていた場面に遭遇しました。叱られなだめられながら、うんうん頷いている青年の顔を見て感じたのはお酒だったらコンビニでワンカップでもストロング缶でも買って部屋で飲めるのに、こうやって大林酒場に来るってことは、やっちゃん(店主さんの名前…本書で知りました!)に叱って欲しくてこの店に来たんじゃないかな、ということ。朦朧ニーサン、素直に帰って行きました。わずか5分ほどの大林劇場でしたが、消費ではなくケアの場としての酒場が目の前に立ち上がった瞬間でした。大林酒場の消滅が寂しいのはマニアックなお店の情報を消費している自分ではなく、きっと、あのラリッたオニーチャンなのだと思います。という個人的エピソードをついつい書いてしまうぐらい、この本は自分に当てて書かれたのでは?と思っちゃうほど、語られるお店は行ったことのある、知っている、そして知らなかったけどメチャそそるお店です。なので「寄せ場のグルメ」という視点に共感しますし、その観点から見る現代の寄せ場論にも説得力があります。なんだけどウンチク付き「孤独のグルメ」とどう違うんだろう?とも感じてしまい、徹底的に,個食産業の近代史のフィールドワーク篇みたいに徹底したら、もっと引き込まれたかもと思いました。でも、著者は自分の「食」の個人史もロマンチックに折り込みたかったんだろうとも思います。「食」って俯瞰で語るにはあまりに個人的なテーマかも…