【感想・ネタバレ】「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえのレビュー

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身の回りに溢れた「させていただく」を敬語の変化、意識の変化から探る本。統計もしっかりしています。言葉は常に移ろいゆくものですがこの言葉もまたその過程にあるのだなと感じました。面白くためになる本です。おすすめ。

「させていただく」も敬意漸減が生じているとしたら次にくる敬語はどのようになるのか?その点についてはこの本では問題提起のみです。わたしの予想では再度「いたします」が復権するのでは?と考えています。文字数も少なくスマートなので「いたします」が増えて欲しいなあという願望もあります。

芸能人は受賞すると「受賞させていただきました」と言いますがこれは「名誉ある賞を頂きました」の方がスマート。その後に「監督やスタッフ、その他全ての人に感謝します」と文を分ければよい。

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2022年12月25日

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■「敬語の欠陥」とは謙譲語がなかったり、へりくだった表現が作れなかったりすること。具体的には「帰る、使う、参加する、変更する」などのように「お…する」を使って謙譲語が作れない場合があること。そのようなとき動詞に「させていただく」をつけるとへりくだる言葉が作れる。
■「させていただく」を平和に使うためには2つの使用上の注意点がある。
①謙譲形のある動詞はそれを使うこと
②へりくだる必要のないところで使わないこと
③なるべく繰り返しを避けること
■敬語は以前は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三つに分類されていたが、今はそこに「丁重語」「美化語」が加わり五つに分類されている。
■敬語には敬意が込められているが言語的には距離感として表現されている。これは一種の隠喩(メタファー)でる。相手の行動を「書く」と直接的に表現せずに、そこに補助動詞を加えて「書いてもらう」とすると自分がもらう側になり下位に位置付けられ、へりくだることになる。「てもらう」によって自分と相手との間に一時的に虚偽の上下関係ができて距離感が生まれ、直接性が薄まって丁寧さが醸し出される。
 授受動詞について押さえておくべき重要なポイントは、やり取りされるものが何であれ、やる側が上位に、もらう側が下位に位置付けられること。
■授受動詞とはもののやり取りを表わす動詞のこと。モノ或いはその所有権がある人から他の人に移動することを示す。「やりもらい動詞」と呼ばれることもある。
 授受動詞には普通系(非敬語系)と敬語系があり三系列七語で一つの体系を構成している。
・ヤル系 ~ やる、あげる、さしあげる
・クレル系 ~ くれる、くださる
・モラウ系 ~ もらう、いただく
 ヤル系だと自分から遠ざかる方向へとモノが移動する。これを「遠心的」という。
 クレル系とモラウ系は自分に近付く方向にモノが移動する。これを「求心的」という。
 三系列であるが、ヤル系だけが「遠心的」で他の二つは「求心的」な授受動詞である。
■日本語の授受動詞の場合、他の動詞と一緒に使われるものを「助動詞」ではなく「補助動詞」とよんでいる。文字どおり他の動詞を補助しているという意味。補助動詞と一緒に使われている動詞は本来の意味や機能で使われているので「本動詞」と呼ばれる。
・答え[本動詞]て[連結]もらう[補助動詞]
・答え[本動詞]させ[助動詞(使役)]て[連結]いただく[授受動詞]
■敬語の「乱れ」は変化の兆し
 戦後の日本社会は人の上下関係を重視する縦社会から人々の繋がりを重視する横社会へと変わった。社会が変わると人間関係も変わる。それに伴って使われる敬語も変わってきた。「敬語の民主化」とは縦の関係を重視する敬語から横の繋がりを重視する敬語へと変化していることを巧みに捉えた言葉である。
 また、人は社会に出てから敬語を学ぶものだとする「敬語の成人後採用」は、若年層がうまく敬語を使えないのは敬語の乱れではなく身についていないだけだと捉えている。
 「尊敬語」や「謙譲語」は動作主である相手、自分の行為が向かう相手に敬意を向けるタイプの敬語。
 「丁寧語」はコミュニケーションにおいて聞き手であるあなたに対して丁寧に話をしようとしている。これらは他者に敬意を向ける敬語である。
 「丁重語」は自分の行為を丁寧に述べることにより自分の丁寧さを示す敬語で結果として、間接的に敬意が相手に向いていく。同じように「美化語」も特定の人に敬意を向けるものではなく、述べる事柄を丁寧に言う敬語。このように考えると「丁重語」と「美化語」は自分を丁寧に見せることで敬語意識を示す敬語とみることができる。
■用法が変化している「させていただく」の使用状況を観察するには敬語全体の時代的変化も関連付ける必要がある。私たちの敬語使用が動作主や動作の向かう相手に対して敬意を示す従来の伝統的な敬語からコミュニケーションの相手、つまり聞き手を意識して自分が丁寧に話していることを示すタイプの敬語へと傾いてきているのではないかということ。
■もともと語用論と社会言語学は相補的な関係にある。基本的な違いは人間を集団として見るか個人として見るかという視点、或いは視野のサイズにある。人間を集団として見たときの行動のパターンや変化を見るのが社会言語学で人間を個人として捉え、その意図の反映として言葉の使い方を見るのが語用論である。
 その結果観察するタイムスパンも異なってくる。社会言語学はどちらかというと長いタイムスパンで言語を常態としてスタティック(静的)に捉えるが語用論は比較的短いタイムスパンで刻々と変わるコミュニケーションを流動体としてダイナミック(動的)に観察する。二つを組み合わせた「社会語用論」という領域もある。
■「させていただく」は「させて」と「いただく」の連語ではなくワンフレーズとして認識されるようになってきている。言語学ではこのように単語の語彙的意味が希薄化し、もっぱら文法的な機能を負う語句になることを「文法化」と呼んでいる。
■「させていただく」は敬語の種類としては謙譲語と分類されている。謙譲語は行為が向かう相手に敬意が向けられる敬語であるが「恩恵性」が認識されず「使役性」も薄らいでいるので敬意は相手に向けられているとは言えなくなっている。むしろ自分の丁寧さを示すようになっていると言える。つまり謙譲語というより丁寧語になりつつあると考えられる。ただ、実際に使うときには前に来る動詞の近接化効果も含むので「新・丁重語」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。
■敬語とはそもそも尊い他者に対して敬意を向けるものであった。それが今や人々は敬意を他者に向ける代わりに謙虚な自分を示すことにひたすら注力している。その先にあるのは自分の丁寧モードと普段着モードの切り替えだけでコミュニケーションが済まされる敬語の世界ではないか。現代日本語の敬語が行き着く先にあるのは、敬意が他者へ向かない敬語、他者を必要としない敬語かもしれない。

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2022年04月19日

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違和感を覚える人も多い「○○させていただく」について(自分も場面によっては強く違和感を覚える)、語用論の観点から分析している本。

著者が以前に出版した学術書の内容を非専門家向けに噛み砕いて解説しているため、内容の妥当性を保ちつつ、非常に読みやすい。

敬語に遠隔性と近接性があって、これらの調節の自由度が高いために「させていただく」の人気があることや、「させて」と「いただく」が統合的に運用されており、その後に続く語の多様性が損なわれていくことが平板的な表現を招き、特に働き盛りの世代からの人気が少ないこと、そもそも全ての敬語は「敬意の漸減」を免れ得ないことなど、興味深い分析結果がたくさん披露されている。

また、「させていただく」の運用についてのみならず、語用論のアプローチ自体の概説書になっているのも面白い。「言葉は生き物だから」という言葉自体ももはや耳慣れすぎて若干食傷気味だけれど、語用論アプローチがこれほどまでに丁寧に言葉の運用のされ方や変遷を描くことができるのか、ということを発見できて感動した。
さらに、ゴフマンの理論が用いられており、社会学を専攻していた身からしても親近感を覚えた。

言葉の運用について、それを排他的に扱うでもなく、称揚するでもないような眺め方は、人間をよりよく理解しようという人文学・社会科学の根幹に適切に則ったものだな、と感じた。

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2022年01月10日

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「させていただく」使用の理由や歴史的経緯について。著者はこの言葉について中立的あるいはやや肯定的な立場で説明している。文法とか元々の意味から言葉遣いを考えるというよりは、今よく使われているのは理由があるからだ、という立場。させていただくというのを、文法的に謙譲語だと言うのでなく、使われ方からもはや丁重語だと分類している。

敬意漸減というのは初めて聞いたけれど、納得感が大きかった。かつては適切だった敬語が、時代とともに敬意がすり減って、失礼に聞こえるようになる。自分自身、「させていただく」を使うのは、敬語を使っているはずだけど何となく失礼に聞こえる気がする、というときに「敬語の上乗せ」として使うという感覚がある。
敬語は、相手への敬意とか自分のへりくだりという上下の位置調整のほかに、相手との横方向の距離感調整という機能もある。
調査に関しては、比較の仕方や解釈に疑問を覚えるところもあった。ただ、これは新書だからということで説明が省かれている面もあるのかもしれない。

敬語に対するこのような感覚を、私たちがどうやって身につけるのかに興味がある。学校で習う敬語はたぶん時代ごとにそう変わらないだろうに、なぜ私たちは敬意漸減を感じ取って、させていただくのような新しい敬語をちょうど良いと認識するようになるんだろう。不思議だ。

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2024年02月01日

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言葉は生き物。変わっていく。今空前の(?)「させていただく」ブームかな。
全て間違いではないが、聞いていて違和感があるものがある。しかしそれも時間がたてば普通になるのかもしれない。

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2023年04月25日

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ネタバレ

「させていただく」の使い方
~日本語と敬語のゆくえ~

著者:椎名美智(法政大学文学部英文学科教授)
発行:2022年1月10日
角川新書

「今日限り、仕事を辞めさせていただきます」と文字で書かれると、今はニュアンスが分からない。例えば、日本語には本来ない「!」をつけて、「仕事を辞めさせていただきます!」とすると、言い争いでもして、怒って辞めてやると啖呵を切ったニュアンスが伝わるし、「仕事を辞めさせていただきます・・・」となると、逆に重大なミスでもして責任取って辞職する雰囲気にとれる。

「させていただく」は、「させる」という使役動詞に、「いただく」という謙譲語が引っ付いた言葉。だから、本来なら「家庭の事情を話してお願いしたところ、(理解を得られたので)今日限りで仕事を辞めさせていただきます」という使い方になるようにも思える。だけど、今、そんな使い方をする人は極めて少ない。
本来の使い方からすると、「辞めさせていただきます!」は、辞めていいか悪いかの権限者の許可なしに勝手に辞めるなど言語道断だ!といいうことになる。

著者は、「させて」+「いただきます」は、今や「させていただきます」の一語となり、使役動詞の謙譲形ではなく、自分自身の姿を見せる「丁重語」(もっと言うと「新・丁重語」)になっていると分析している。僕も以前からそう考えている。だが、勉強不足でマニュアル化したものだけを教える「敬語講師」の類はそう考えない。困ったものだ。

著者は言語学者。言語学者は言語の観察者であるが言語の番人ではない。「敬語講師」と違って番人づらしない。過去、そして今、どういうように使っているのか、どう変化してきたか、また変化しようとしているかを、科学的に分析する。
なぜ昨今、こんなにまで「させていただく」が多用され、一方で嫌われているのか。著者は「させていただく」が含まれた10の文例を幅広い年齢層に読ませ、5段階の印象で答えさせて多変量解析を行い、調査、分析した。すると、驚くべき事実が判明したのである。

文化庁「敬語の指針」(2007)で、「させていただく」は①相手や第三者の許可を受ける「許可(使役)」、②それで恩恵を受ける事実や気持ちがある「恩恵」が適切な使用条件だとしている。ところが調査分析(多変量解析)の結果、「使役性」が及ぼす効果は2番目だった。「恩恵性」については、なんと有意な効果を及ぼさないという結果が出た。そして、一番強い効果を及ぼすのは「必須性」であることが判明した。

「必須性」とは、相手がいるかどうかということ。相手がいないのに「○○させていただく」という言い方はおかしい、違和感があるという結果が出た。例えば、「この春、学校を卒業させていただきました」。卒業は単位を取れば自然に成立するものなので、その行為に相手はいない。こういう使い方に一番の違和感を持つことが判明したのだ。

次に違和感があるのが「使役性」がない「させていただく」。それに対し、「恩恵性」はあってもなくてもどっちでもいい。影響しない。つまり、2007年の文化庁の「敬語の指針」の基準は今や通じないことが判明したのだ。だから、「させていただきます」は、相手に向けられた謙譲語というより「丁重語」になりつつある。「新・丁重語」と言ってもいい。「させて」「いただく」の連語ではなく、「させていただく」とワンフレーズ化している。

ここで敬語の分類について、復習。
上記と同じ2007年「敬語の指針」において、敬語は5分類となった(旧分類は3)。尊敬語、謙譲語、丁寧語、丁重語、美化語。
謙譲語が謙譲語と丁重語に分けられた。自分の行為をへりくだる点は同じだが、謙譲語は自分の行為を受ける相手に敬意が向かうのに対し、丁重語は自分がへりくだるだけで行為は相手に向かわない。「先生のところに伺います」は謙譲語、「これから京都に参ります」が丁重語。
美化語は丁寧語から分かれたもので、「お肌」「おビール」「お勉強する」「お料理する」など。

「させていただきます」は相手を立てる謙譲語から、ワンフレーズ化して(相手に向けられず)自分自身の態度などを示す丁重語(新・丁重語)になっている、というわけである。理解できる。

この本では、なぜ「させていただきます」が多用されるようになったのかも分析している。この言い方が出て来たのは150年ほど前。多用され始めたのがその120年後の1990年代。理由の一つに、敬意漸減(ぜんげん)を上げる。敬意逓減とも言う。敬語は使っている内に敬意の感覚が段々減ってくる。すると、別の敬語を加える。「敬意のインフレーション」が起きる。そのせいもあるとのこと。

また、これも統計手法を使った分析により、昔は「させてくださる」が多く、今は「させていただく」を使うことが多いことも判明させた。「させてくださる」が使われなくなったのは、主語が「あなた」のため敬意がすり減りやすい性質を持っていて、敬意漸減となった。「させていただく」がいま果たしているような、対話者間の距離を微妙に調整する機能を持っていない。「させてくださる」→「させていただく」への変化は、相手に対する敬意から自分をよく見せる丁重さ、敬意から品行への変化ではないか、そんな日本人の意識の変化も含めた分析を行っている。

なお、「させていただきます」は関西発祥だという説があるらしい。近江商人が全国に広めた。その一方で、東京の山の手言葉として古くから存在したという記述もあるらしい。


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「させていただく」は1871年の三遊亭圓朝の落語『菊模様皿山奇談』で使われていて、約150年前に使われ始めたようだが、使用増加はそれから120年後の1990年代。

「マスクを寄付させていただきました」
話し手が上に立つ上下関係ができそうな気まずい場面で、下に降ろしてくれるマジックワードかもしれない。

「ハッキリ言わせていただきます!」
強い意志を示す一方的な行為の宣言としての使い方。
昔から使われている慣用句として「実家に帰らせていただきます」。サザエさんでは1968年、1957年にも使われている。
「警察へ通報させていただきました」も「通報した」より強硬手段の力強さが出る。

「やりもらい」を示す動詞は授受動詞という。使い方は二種類で、実際にものなどが移動する「本動詞」(プレゼントをもらったなど)、「て/で」を前につけて「てもらう」(貸してもらうなど)という形にする「補助動詞」。
やりもらいの動詞は、「やる・あげる・さしあげる/くれる・くださる/もらう・いただく」の三系列七語。

サザエさん全45巻(1946~1974年)を調べたところ、モラウ系授受動詞は本動詞での使用は多いが補助動詞用法は少なく、クレル系の授受動詞は本動詞での使用は少ないのに補助動詞用法が多い。つまり、75~45年前には「いただく」より「くださる」の方が補助動詞としてよく使われていた。90年代から使用が高まった「させていただく」はブレイクの兆しもない。

「させていただく」は関西起源で、昭和30年代に東京でも使われるようになったという説がある。一向宗の信者であった近江商人が行商しながら全国に広めたという説もある(司馬遼太郎「街道を行く24」)。
だが、文学作品では明治・大正時代から東京でも「山の手ことば」として普通に使われていた。磯野家は関西でもなく、山の手でもないので使わないのも理由の一つか。

『舟を編む』のモデルの一人と言われる国語事典編纂者の飯間浩明氏は数少ない「させていただく」の擁護派。
「帰る・使う・参加する・変更する」などのように、「お~する」で謙譲語が作れない場合があり、これは「敬語の欠陥」である。そんなときに「帰らせていただく」「参加させていただく」など「させていただく」でへりくだれる。特効薬。ただし、三つの使用上の注意がある。
①謙譲形のある動詞は、それを使うこと
②へりくだる必要のないところで使わないこと
③なるべく繰り返しを避けること

現在は敬語が5分類。尊敬語、謙譲語、丁寧語、丁重語、美化語。
謙譲語が謙譲語と丁重語に分けられた。自分の行為をへりくだる点は同じだが、謙譲語は自分の行為を受ける相手に敬意が向かうが、丁重語は自分がへりくだるだけで行為は相手に向かわない。「先生のところに伺います」は謙譲語、「これから京都に参ります」が丁重語。

美化語は丁寧語から分かれたもので、「お肌」「おビール」「お勉強する」「お料理する」など。

現代社会は固定的な身分などの上下関係はなく、基本的に平等だとされている。そういうフラットな社会では、身分社会で有効だった尊敬語、謙譲語、丁寧語といった伝統的な敬語ではなく、丁重語や美化語が役に立つ。相手が誰であれ、自分の丁寧さが示せるから。それに加え、その場その場の関係性の中で丁寧さを示すことができるのが「させていただく」のような補助動詞として使われた授受動詞。

「敬意漸減(ぜんげん)の法則」(敬意逓減とも)
敬語を使っているうちに敬意が少しずつすり減っていく現象。相手が自分と同レベルかそれ以下に下がっていく方向と、自分のへりくだり具合が減って尊大化し偉そうに聞こえる様になる方向の2方向がある。どんな言葉も逃れられない。例えば、「貴様」と「俺」が同等に。「司会をいたします」の「いたす」(丁重語)が今や格式張ったいい方に。

その結果、敬意のインフレーションが起きる。授受動詞のヤル系に「てあげる」と「てさしあげる」の2つある。他の補助動詞は一つ。2つ出て来た背景には「やる」側の尊大化がある。「あげる」が敬意不足になって「さしあげる」になる。

敬意のインフレーションは江戸時代から明治になったとき、戦中から戦後になったときに起きた。社会構造の変化が動因だろう。19世紀の中頃に「ていただく」が出てきて、19世紀後半に「させていただく」が誕生した。「させて」といって許可をもらい、「いただく」で恩恵をもらうのだから敬意のてんこ盛り。それから100年ぐらいたった20世紀末に「させていただく」がブレイク。

文化庁「敬語の指針」(2007)では、「させていただく」は①相手や第三者の許可を受ける「許可」、②それで恩恵を受ける事実や気持ちがある「恩恵」が適切な使用条件だとしている。著者は「使役(許可)性」「恩恵性」に加えて「必須性」を加えて実験を行った。10の例文を示し、その反応を多変量解析で分析した。
「必須性」とは、「させていただく」の前につく動詞に相手が必要かどうか(必須かどうか)という条件。例えば「卒業する」は相手がいなくても仕える動詞なので必須性はない。

その結果、次の5つのことが判明した。
①違和感に最も強く効果を及ぼすのは「必須性」
②二番目に強く及ぼすのは「使役性」
③-1三番目に強く及ぼすのは「年齢層」であり年齢により違和感に差
③-2同じく三番目に強いのは「話し手/聞き手」(対話者役割によって違和感に差
④「恩恵性」は有意な効果を及ぼさない
⑤「性別」は有意な効果を及ぼしていない

「させていただく」の意味の要だとされてきた「使役性」と「恩恵性」は意味合いが薄れ、とくに「恩恵性」は認識されず、「使役性」も薄れていることから、相手に向けられた謙譲語というより「丁重語」になりつつある。「新・丁重語」と言ってもいい。「させて」「いただく」の連語ではなく、「させていただく」のワンフレーズ化している。

コーパス調査
テキストデータ化した文章で使用頻度の調査。Aコーパスは1852~1956年の日本語使用者により書かれたもの、Bコーパスは1976~2005年のテキスト。語数は同じ規模。
・クレル系では
「させてくれる」がAよりBで使用頻度が増えている
「させてくださる」がAよりBで減っている
・モラウ系では
「させてもらう」は統計的に有意な差はなし
「させていただく」がAよりBで増えている

一方、一緒に使う動詞の種類については
「させてくださる」が減っていて
「させていただく」が増えている
「させてくれる」「させてもらう」は差がない

「させていただく」は使用頻度も一緒に使う動詞の種類も増え、便利に使えるようになってきていると言える。

「させていただく」は能動的コミュニケーション動詞(述べる、書く、話すなど)と使われてくることが多くなった。調査の結果、政治家が「させていただく」をよく使うことが判明したが、理由は、①させていただくは話し言葉であり国会議事録に多い②能動的コミュニケーション動詞と一緒に使われることが増えてきたため質疑応答の中で頻繁に使われる

政治家は答えたい時には「お答えさせていただきます」、答えたくない時には「お答えを差し控えさせていただきます」と言う。

「させていただく」に続く後の部分を11のカテゴリーに分けて分析。例えば、願望「させていただきたい」、質問形「させていただいてもよろしいでしょうか」など。その結果、「させていただきます」という言い切りが多くなっている。

前に着く動詞が多様化し、後ろの部分は言い切りが定型化して多用されているのは、後ろの部分に頼る交渉的ストラテジーから前の動詞の多様性に頼る語彙的ストラテジーへと、運用の重点がシフトしてきた。

「させてくださる」が使われなくなったのは、主語が「あなた」のため敬意がすり減りやすい性質を持っていて、敬意漸減となった。「させていただく」がいま果たしているような、対話者間の距離を微妙に調整する機能を持っていない。

「させてくださる」→「させていただく」への変化は、相手に対する敬意から自分をよく見せる丁重さ、敬意から品行への変化ではないか。

最近は共感の終助詞「ね」をつけて、「させていただきますね」を見かけるが、コーパス調査では過去にはない新しい形だと分かる。「させていただきます」も、もう敬意漸減が始まっているのではないか。

「させていただく」にとってかわるのは、より距離感のある敬語ではないか。現代の敬語が行き着く先にあるのは、敬意が他者に向かない敬語、他者を必要としない敬語かもしれない。

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2022年07月20日

Posted by ブクログ

1990年代から拡大した「させていただく」という敬語。
それがどのような背景で広がったのか、言語的に何を意味するのかを追った本。
「『させていただく』の語用論」という本を新書むけにリライトしたものであるようだ。

私にとって勉強になったのは、敬語の体系の整理。
いわゆる伝統的な敬語の体系(尊敬・謙譲・丁重・丁寧・美化)に加え、授受動詞(やる、くれる、もらうのやりもらい動詞)により、相手との距離をコントロールするというところだ。

ただ、伝統的な敬語が、身分の差を前提にしていて、授受動詞の方は現代のその場限りの上下関係の表現に即しているというのは、実感としてわからない。

そのやりもらいの動詞、主要なものはおおよそ、次のような形で登場したという。

中世 ~てくれる
中世~近世 ~てくださる
中世末 ~てもらう
近世末 ~ていただく
近代 ~させていただく

交代は、敬意漸減(使い過ぎにより敬意を感じられなくなること)による。

おもしろいのは、「~させていただく」の用法の変化。
前節部(「~」の部分)に入る言葉は多様化している。
一方、後接部の表現は、ほぼ「ます」が続くだけの、言い切り形に収れんする方向に変化していっているという。
一言でいえば、用法がワンパターンになるということだ。

これは、本書には出ていない言葉だけれど、要はコンビニ敬語と同じで、作り方が簡単な形一つに特化して使用が集中していったということだろう。

なぜ違和感を感じる人が多いかという分析もある。
筆者は、この表現について、使われる必然性を説きつつ、人間関係の疎遠化による自己愛的な敬語とみている。

自分の感じる違和感が少しわかった気がする。
私自身は、敬語のバリエーションを重視する傾向がある。
一つの言い方で押されることで、一つの関係性に閉じ込められる気がして、息苦しい。
また、一つの敬語のパターンで語られるとすれば、ある意味ぞんざいに扱われている気がしないでもない。
すでに、「~させていただく」は私の中で敬意漸減が起こっているのかもしれない。

新書ということを意識して、きちんと用語の定義がなされているところがよかった。

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2022年06月25日

Posted by ブクログ

よく耳にし、意識せずに使用している「させていただく」という表現と背後にある敬意漸減という語の宿命と、それに対応する話者の対応としての敬意のインフレ。
「させていただく」の本来的な意味の要素であった使役性、恩恵性、必須性が、使用とともに任意的なものになり、その最先端がおのののかの「しっかり整わせていただいた。最高!」。そして文末表現調整に見える、「させていただく」の敬意漸減の兆し。まさに変化の只中にある「させていただく」についての言語学者のライブレポートとしておもしろかった。終盤は言語の社会学的な視点の印象。Brrown&Levinsonのポライトネスの概念より、そのもとになったGoffmanの「表敬」と「品行」に対応した見方が「させていただく」と他の敬語の捕捉にマッチする様がどこかアツイ。

自分としては、本来的な用法を基本にしながら、状況をうかがいつつ、本来の要素を外して用法を拡大する運用としてみたい。

言語学について理解のある人であれば問題ないだろうけど、「使い方」という表題は”正しい”使用法を求める人に勘違いされないか少し不安…。これは言語学自体の問題のような気もするけれど。

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2022年02月23日

Posted by ブクログ

中身は語用学という言語学分野の観点からの真面目な敬語論で、なぜ「させていただく」が便利に多用されるようになったかを解き明かしていく(決して「させていただく」の「使い方」の本ではない)。著者の考察には結構「なるほど」でした。
また、日本語の敬語分類がかつての3種(尊敬語、謙譲語、丁寧語)から最近は5種とされているのも初めて知りました。

なお、著者は「させていただく」の多用については中立的な立場ですが、私自身は普段から「なるべく「『させていただく』を使わないで表現できないか」を意識しています。笑 (「させていただく」の多用はちょっと芸がないので)

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2023年11月29日

Posted by ブクログ

読みやすいが中盤の調査セクションは読み飛ばした。させて頂くが他者の視線を意識した言葉であるのなら、インターネットへの言及は欲しかった。誰もが自由に発信し、同時に批判される時代のリスク回避がさせて頂くの本質だと思う。

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2023年02月17日

Posted by ブクログ

●=引用

●1990年代に「させていただく」の使用が拡大してきた背景には、もちろん「させていただく」が使いやすいという積極的な理由もありますが、それまで使われていた「いたします」「お~する」「させてくださる」「さしあげる」に敬意漸減が起こり、使いにくくなったという消極的な理由もあります。図8が示すように、敬意不足に苛まれた人たちが、そうした表現の代わりに「させていただく」を使い始めたというわけです。
●どういうことかというと、あなたへの意識や配慮を示すと、あなたに触れることになるので、普通だとあなたへの経緯はすり減ります。しかし、「させていただく」は主語が一人称であなたに触れないので、あなたへの敬意が低下する敬意漸減の速度が抑制されます。逆に、主語が一人称だと自分に注目が当たり、普通は自分が尊大化して偉そうに聞こえるようになるのですが、「させていただく」には本動詞の部分にあなたへの配慮を示す意味合いが込められているので、自己尊大化のスピードが抑制されます。両方向の距離的ストラテジーを内包しているので、相手の敬意漸減と自己の尊大化のどちらが作用しても、その作用を相殺し、スピードを抑制する仕組みが働くのではないでしょうか。
●前にくる動詞の選択肢が多様化して距離感が調節できることは、話し手のインセンティブになっています。使う側は「させていただく」を敬意マーカーとして自分の丁寧さを演出するために使います。しかし、聞き手が気になるのはそこではなく、後ろの活用部分の固定化です。聞き手は「させていただきます」という言い切り形のため、コミュニケーションが自分に開かれていない印象を持つわけです。ここでも話し手の意図と聞き手の解釈が食い違っています。実際のコミュニケーションでは、そこに年齢差や社会的役割が関わってくるのですから、意味合いはもっと複雑になっているはずです。ここで考えているのは、話し手は丁寧に言ったつもりなのに、相手が失礼だと思うような場合のことです。
●「させていただく」の大ブレークは、日本語の敬語自体の変化、社会と自分との関係、自分と他者との関係の変化を反映したもので、そうした変化の最先端に位置している現象だといえます。「させていただく」という問題系は、日本語の敬語の変化、そこに作用する敬意漸減の法則、それに影響を与える社会の変化、自己と他者のあり方の変化、そうした因果関係の筋が複雑に絡み合った場なのです。
●敬語の歴史は「敬意漸減」と切り離して考えることはできません。①新敬語の導入→②敬意がすり減りぞんざいに聞こえる→③距離感の微調整による延命措置→④使えなくなる→⑤新語彙に交代(=①)というサイクルがずっと続いて今に至っています。「させていただく」は今、①から②の段階で、謙譲語から新・丁重語に変わっているところではないかと思います。③も少し入っています。「させていただく」に取って代わるのは、より距離感のある敬語なのではないかと思います。
●敬語とは、そもそも尊い他者に対して敬意を向けるものでした。それがいまや、人々は敬意を他者に向ける代わりに謙虚な自分を示すことにひたすら注力しています。その先にあるのは、自分の丁寧モードと普段着モードの切り替えだけでコミュニケーションがすませられる敬語の世界ではないでしょうか。現代日本語の敬語が行き着く先にあるのは、経緯が他者へ向かない敬語、他者を必要としない敬語かもしれません。

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2023年01月21日

Posted by ブクログ

読まさせていただきました。
確かに『させていただきます』はよく使わさせていただいております。いつもありがとうございます。

どうも1990年代に『させていただきます』ブームが到来したとの事で、私が社会人成り立ての頃にはその一大ブームメントの真っ只中であった訳でして、そりゃあ全く違和感なく使わせていただいた訳ですよねー。

で、『無事大学を卒業させていただきました。』ん?違和感覚えませんか?大学は必要単位取って、卒論通れば無事卒業しますが、何か大学からのお目溢しをいただいて、また大学側から寛大なお許しをいただいて卒業させてもらったイメージを持ってしまいます。 

ただ、今はこれでいいんですよ。もう『させていただきます』は相手に関係無く自分を丁寧に説明する言葉として成り立っているんですよ。

この本では『させていただきます』を誤って使用するなよ、というスタンスてはなく、『させていただきます』がどいう歴史を辿り、どう評価されていったか、そして、敬語とは時代によって意味が変わっていくもので大変面白い、ほんとこの魔法の言葉は何て便利なんだよと、草生えると、だからお前ら上手く使えよと説明させていただいてるのを読ませていただいております。(何かおかしい

アンケート等のくだりはだらけてしまいますが、敬語についてあらためて勉強させていただいた次第であります。ありがとうございまする。

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2023年01月15日

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ネタバレ

今の学生は、仮定、否定、疑問を使って婉曲に問う習慣が身についている。
フワちゃん、ローラさん、のため口キャラは作られたキャラだということを知っている。毒舌キャラも同じ。
突っ込んだ後は関係修復を図る。

宮澤りえが1992年に「貴花田関と結婚させていただきます」させていただくが増加し始めたころ。
させていただく」はへりくだった表現ができなくて困ったときの特効薬。
謙譲形があるときは使わないこと。へりくだる必要がないところで使わない、繰り返しを避ける。

新しい敬語=尊敬語、謙譲語、丁寧語、丁重語、美化語の5つ。
敬語とタメ語で距離感を捜査している。

1990年ごろから増えているが、きっかけは難しい。
敬意漸減の法則=同じ言葉でも敬意が減少する。貴様、「いたす」は丁重語だが、いまは格式ばった言い方なだけ。話し手が偉そうにすら聞こえる。

江戸時代から明治になるころ敬意のインフレーションが起きた。江戸から明治になったときも同様。社会構造の変化がおきたとき。身分制度から解放されたとき。
敬語の成人後採用=敬語は社会に出てから身につけるもの。中年層が一番違和感を感じた。

させていただく、は絶妙の距離感がある。経緯漸減をうまく回避できる。
青空文庫は、言語研究によく使われる。テキストになっている。
お答えをさせていただきます、お答えを差し控えさせていただきます、両方の場面で使われている。相手の許可を得て話す、形が出来上がる。

謙虚さと丁寧さをもとめて使う人が多い。相手への経緯ではない。むしろ丁重語。相手に敬意を向ける謙譲語ではない。自分を丁寧に示す品行の敬語。

最新の使い方「しっかり整わせていただいた」おのののか。もはや他者がいらなくなった。=新丁重語。
敬語は他者が必要なくなっている。

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2022年12月16日

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『させていただく』について敬語の歴史的変遷、多用されることによる違和感など分析した書籍。私自身、『させていただく』の多用が気になる方で、なるべく使用したくないと思っていた。ただ多用される理由が、それまでの敬語が敬意漸減という避けられない変化にあること、謙虚な自分を示すためであることと記されており納得した。前者は言葉の変化として自然な流れだと思うが、後者の理由は今の生き方を反映しているようで、息が詰まるようだなと思った。人はインターネット、SNSの普及などから多くの恩恵を受けているが、一方で精神的には相当大きな変化を強いられていて生き辛くなっているような気がする。

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2022年11月04日

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「させていただく」が汎用化している背景、さらには、敬語の主体のあり方が変わってきている分析、読んでいてなるほどと感じました。

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2022年06月04日

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コミュニケーションの変化が生んだということに納得できた。また、聞き手によって受け止め方は様々なので、余り気にしても仕方ないとも感じた。

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2022年04月05日

Posted by ブクログ

「させていただく」new wordかと思いきや、1871年の落語のその使用が確認されていると言う。
しかし1990年代に使用が増加したのは確か。
聞くたびに違和感を持っていたのだが、大学教授がコーパスを使用した「させていただく」等の使用例と多くの人から取ったアンケート結果から、その言葉の使用について深く解析をしていることから、やはり一般的にも気になる語用法だったのかがわかる。
面白いのが、言葉から人間関係の変化を理解しようとする試み。
本書によると、敬語が相手に対してより自分の丁寧さを示す表現へと変化していると言う。
「させていただく」は「させる」(許可)と「もらう」(恩恵)の敬語形「いただく」からなる。先につく動詞(前接部)は多様性に富むが、聞き手が関与できるものかどうかで違和感の大きさに通じる。そして後の言葉はそれほどのバリエーションがなく、
「させていただきます」と言う言い切り形が増加し定型化したので、場合によっては「俺に許可を求めとるんとちゃうんかい」と腹を立てるおっさんも出てくる。
「させていただく」ブームは「丁寧な自己」で自分を守り、他者と繋がることを避けるコミュニケーションが増加している表れと言える。
違和感を数式を用いて解くがごとく、みごとに説明してくれていると思うが、やや冗長すぎたかな。

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2022年04月06日

Posted by ブクログ

使われている理由はなんとなく分かっていた事だったけど、言葉というのは徐々に進化したり劣化したりするんだというデータがあり面白い。文法的な説明が沢山あり、苦手なのでこんがらがる

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2022年03月04日

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