ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
「させていただく」は正しい? 現代人は相手を敬うためでなく、自分を丁寧に見せるために敬語を使っていた。明治期、戦後、社会構造が変わるときには新しい敬語が生まれる。言語学者が身近な例でわかりやすく解説。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
大変面白かった。会社の営業があまりにもさせていただくメールばかりを書くものだから手に取ってみた。 敬意漸減の考え方や実例、新しい敬語の5分類、言葉の近接化作用と遠隔化作用、これだけでも大変勉強になった。適切なさせていただくの使い方に関しても納得。確かに謙譲語がない時など便利な場面があるのは認める。...続きを読むそしてなぜ自分がさせていただくが好きじゃないのかについてもよく分析できた。「させていただく」は「私ってちゃんと人と丁寧に話すことのできる人間でしょ」と言うポーズを示す自己愛的な敬語なのかもしれない、って記述があってめちゃ腑に落ちた。これが違和感の一部なんだろな。使われすぎな点、定型的な表現な点、と合わせてそこが好きじゃないのがわかった。 俺としては多彩な敬語の語彙があって自在に使いこなすのが美しいしそれが日本語の楽しさなわけであって、何でもかんでもさせていただくのは何しろ思考停止しててアホっぽい、とは引き続き思う。けどこれも世代の差かも知れない。最後の章のまとめで面白かったのは、なんというかそもそも敬語は相手と自分をいわば上下の関係として取り扱ってきたものだと思うんだけど、させていただく、に関して言えば丁重にやってますよ、が効果であり、日本語のコミュニケーションや敬意や丁寧さのスタイルが変化してるってことまで考えさせられた所。良書。
身の回りに溢れた「させていただく」を敬語の変化、意識の変化から探る本。統計もしっかりしています。言葉は常に移ろいゆくものですがこの言葉もまたその過程にあるのだなと感じました。面白くためになる本です。おすすめ。 「させていただく」も敬意漸減が生じているとしたら次にくる敬語はどのようになるのか?その点...続きを読むについてはこの本では問題提起のみです。わたしの予想では再度「いたします」が復権するのでは?と考えています。文字数も少なくスマートなので「いたします」が増えて欲しいなあという願望もあります。 芸能人は受賞すると「受賞させていただきました」と言いますがこれは「名誉ある賞を頂きました」の方がスマート。その後に「監督やスタッフ、その他全ての人に感謝します」と文を分ければよい。
■「敬語の欠陥」とは謙譲語がなかったり、へりくだった表現が作れなかったりすること。具体的には「帰る、使う、参加する、変更する」などのように「お…する」を使って謙譲語が作れない場合があること。そのようなとき動詞に「させていただく」をつけるとへりくだる言葉が作れる。 ■「させていただく」を平和に使うため...続きを読むには2つの使用上の注意点がある。 ①謙譲形のある動詞はそれを使うこと ②へりくだる必要のないところで使わないこと ③なるべく繰り返しを避けること ■敬語は以前は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三つに分類されていたが、今はそこに「丁重語」「美化語」が加わり五つに分類されている。 ■敬語には敬意が込められているが言語的には距離感として表現されている。これは一種の隠喩(メタファー)でる。相手の行動を「書く」と直接的に表現せずに、そこに補助動詞を加えて「書いてもらう」とすると自分がもらう側になり下位に位置付けられ、へりくだることになる。「てもらう」によって自分と相手との間に一時的に虚偽の上下関係ができて距離感が生まれ、直接性が薄まって丁寧さが醸し出される。 授受動詞について押さえておくべき重要なポイントは、やり取りされるものが何であれ、やる側が上位に、もらう側が下位に位置付けられること。 ■授受動詞とはもののやり取りを表わす動詞のこと。モノ或いはその所有権がある人から他の人に移動することを示す。「やりもらい動詞」と呼ばれることもある。 授受動詞には普通系(非敬語系)と敬語系があり三系列七語で一つの体系を構成している。 ・ヤル系 ~ やる、あげる、さしあげる ・クレル系 ~ くれる、くださる ・モラウ系 ~ もらう、いただく ヤル系だと自分から遠ざかる方向へとモノが移動する。これを「遠心的」という。 クレル系とモラウ系は自分に近付く方向にモノが移動する。これを「求心的」という。 三系列であるが、ヤル系だけが「遠心的」で他の二つは「求心的」な授受動詞である。 ■日本語の授受動詞の場合、他の動詞と一緒に使われるものを「助動詞」ではなく「補助動詞」とよんでいる。文字どおり他の動詞を補助しているという意味。補助動詞と一緒に使われている動詞は本来の意味や機能で使われているので「本動詞」と呼ばれる。 ・答え[本動詞]て[連結]もらう[補助動詞] ・答え[本動詞]させ[助動詞(使役)]て[連結]いただく[授受動詞] ■敬語の「乱れ」は変化の兆し 戦後の日本社会は人の上下関係を重視する縦社会から人々の繋がりを重視する横社会へと変わった。社会が変わると人間関係も変わる。それに伴って使われる敬語も変わってきた。「敬語の民主化」とは縦の関係を重視する敬語から横の繋がりを重視する敬語へと変化していることを巧みに捉えた言葉である。 また、人は社会に出てから敬語を学ぶものだとする「敬語の成人後採用」は、若年層がうまく敬語を使えないのは敬語の乱れではなく身についていないだけだと捉えている。 「尊敬語」や「謙譲語」は動作主である相手、自分の行為が向かう相手に敬意を向けるタイプの敬語。 「丁寧語」はコミュニケーションにおいて聞き手であるあなたに対して丁寧に話をしようとしている。これらは他者に敬意を向ける敬語である。 「丁重語」は自分の行為を丁寧に述べることにより自分の丁寧さを示す敬語で結果として、間接的に敬意が相手に向いていく。同じように「美化語」も特定の人に敬意を向けるものではなく、述べる事柄を丁寧に言う敬語。このように考えると「丁重語」と「美化語」は自分を丁寧に見せることで敬語意識を示す敬語とみることができる。 ■用法が変化している「させていただく」の使用状況を観察するには敬語全体の時代的変化も関連付ける必要がある。私たちの敬語使用が動作主や動作の向かう相手に対して敬意を示す従来の伝統的な敬語からコミュニケーションの相手、つまり聞き手を意識して自分が丁寧に話していることを示すタイプの敬語へと傾いてきているのではないかということ。 ■もともと語用論と社会言語学は相補的な関係にある。基本的な違いは人間を集団として見るか個人として見るかという視点、或いは視野のサイズにある。人間を集団として見たときの行動のパターンや変化を見るのが社会言語学で人間を個人として捉え、その意図の反映として言葉の使い方を見るのが語用論である。 その結果観察するタイムスパンも異なってくる。社会言語学はどちらかというと長いタイムスパンで言語を常態としてスタティック(静的)に捉えるが語用論は比較的短いタイムスパンで刻々と変わるコミュニケーションを流動体としてダイナミック(動的)に観察する。二つを組み合わせた「社会語用論」という領域もある。 ■「させていただく」は「させて」と「いただく」の連語ではなくワンフレーズとして認識されるようになってきている。言語学ではこのように単語の語彙的意味が希薄化し、もっぱら文法的な機能を負う語句になることを「文法化」と呼んでいる。 ■「させていただく」は敬語の種類としては謙譲語と分類されている。謙譲語は行為が向かう相手に敬意が向けられる敬語であるが「恩恵性」が認識されず「使役性」も薄らいでいるので敬意は相手に向けられているとは言えなくなっている。むしろ自分の丁寧さを示すようになっていると言える。つまり謙譲語というより丁寧語になりつつあると考えられる。ただ、実際に使うときには前に来る動詞の近接化効果も含むので「新・丁重語」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。 ■敬語とはそもそも尊い他者に対して敬意を向けるものであった。それが今や人々は敬意を他者に向ける代わりに謙虚な自分を示すことにひたすら注力している。その先にあるのは自分の丁寧モードと普段着モードの切り替えだけでコミュニケーションが済まされる敬語の世界ではないか。現代日本語の敬語が行き着く先にあるのは、敬意が他者へ向かない敬語、他者を必要としない敬語かもしれない。
違和感を覚える人も多い「○○させていただく」について(自分も場面によっては強く違和感を覚える)、語用論の観点から分析している本。 著者が以前に出版した学術書の内容を非専門家向けに噛み砕いて解説しているため、内容の妥当性を保ちつつ、非常に読みやすい。 敬語に遠隔性と近接性があって、これらの調節の自...続きを読む由度が高いために「させていただく」の人気があることや、「させて」と「いただく」が統合的に運用されており、その後に続く語の多様性が損なわれていくことが平板的な表現を招き、特に働き盛りの世代からの人気が少ないこと、そもそも全ての敬語は「敬意の漸減」を免れ得ないことなど、興味深い分析結果がたくさん披露されている。 また、「させていただく」の運用についてのみならず、語用論のアプローチ自体の概説書になっているのも面白い。「言葉は生き物だから」という言葉自体ももはや耳慣れすぎて若干食傷気味だけれど、語用論アプローチがこれほどまでに丁寧に言葉の運用のされ方や変遷を描くことができるのか、ということを発見できて感動した。 さらに、ゴフマンの理論が用いられており、社会学を専攻していた身からしても親近感を覚えた。 言葉の運用について、それを排他的に扱うでもなく、称揚するでもないような眺め方は、人間をよりよく理解しようという人文学・社会科学の根幹に適切に則ったものだな、と感じた。
敬語に含まれている敬意が使われるうちに少しずつすり減っていく「敬意漸減の法則」というのがあるそうだ。 敬意が減っていくその法則により、言葉は敬意を付け足すように形を変えていくようだ。 そして、このことは今に始まったことではなく、江戸時代から明治時代にかけても敬意のインフレーションは起こっていたそうだ...続きを読む。また、戦中から戦後になった時にも起こっている。それは社会構造の変化が動因になっているのではないかと著者は推測している。 つまり、身分制度がなくなって、相手にどのように接したらいいのかわからなくなり、それゆえ「させていただく」を使ったのではないかという。 また「させていただく」という言葉の違和感には、それが本来は「許可」を求める言葉だからであるということには本書を読んで初めて気付いた。 しかし、実際の使用場面を見てみると、それは許可を求める目的で使用されているわけではないことは、一緒に使われる動詞が示している(そのために違和感を感じるのだろう)。 他にも様々な分析がなされているので、「させていただく」の使い方が気になっている人は読んで納得できるのではないかと思う。
「させていただく」使用の理由や歴史的経緯について。著者はこの言葉について中立的あるいはやや肯定的な立場で説明している。文法とか元々の意味から言葉遣いを考えるというよりは、今よく使われているのは理由があるからだ、という立場。させていただくというのを、文法的に謙譲語だと言うのでなく、使われ方からもはや丁...続きを読む重語だと分類している。 敬意漸減というのは初めて聞いたけれど、納得感が大きかった。かつては適切だった敬語が、時代とともに敬意がすり減って、失礼に聞こえるようになる。自分自身、「させていただく」を使うのは、敬語を使っているはずだけど何となく失礼に聞こえる気がする、というときに「敬語の上乗せ」として使うという感覚がある。 敬語は、相手への敬意とか自分のへりくだりという上下の位置調整のほかに、相手との横方向の距離感調整という機能もある。 調査に関しては、比較の仕方や解釈に疑問を覚えるところもあった。ただ、これは新書だからということで説明が省かれている面もあるのかもしれない。 敬語に対するこのような感覚を、私たちがどうやって身につけるのかに興味がある。学校で習う敬語はたぶん時代ごとにそう変わらないだろうに、なぜ私たちは敬意漸減を感じ取って、させていただくのような新しい敬語をちょうど良いと認識するようになるんだろう。不思議だ。
言葉は生き物。変わっていく。今空前の(?)「させていただく」ブームかな。 全て間違いではないが、聞いていて違和感があるものがある。しかしそれも時間がたてば普通になるのかもしれない。
1990年代から拡大した「させていただく」という敬語。 それがどのような背景で広がったのか、言語的に何を意味するのかを追った本。 「『させていただく』の語用論」という本を新書むけにリライトしたものであるようだ。 私にとって勉強になったのは、敬語の体系の整理。 いわゆる伝統的な敬語の体系(尊敬・謙譲...続きを読む・丁重・丁寧・美化)に加え、授受動詞(やる、くれる、もらうのやりもらい動詞)により、相手との距離をコントロールするというところだ。 ただ、伝統的な敬語が、身分の差を前提にしていて、授受動詞の方は現代のその場限りの上下関係の表現に即しているというのは、実感としてわからない。 そのやりもらいの動詞、主要なものはおおよそ、次のような形で登場したという。 中世 ~てくれる 中世~近世 ~てくださる 中世末 ~てもらう 近世末 ~ていただく 近代 ~させていただく 交代は、敬意漸減(使い過ぎにより敬意を感じられなくなること)による。 おもしろいのは、「~させていただく」の用法の変化。 前節部(「~」の部分)に入る言葉は多様化している。 一方、後接部の表現は、ほぼ「ます」が続くだけの、言い切り形に収れんする方向に変化していっているという。 一言でいえば、用法がワンパターンになるということだ。 これは、本書には出ていない言葉だけれど、要はコンビニ敬語と同じで、作り方が簡単な形一つに特化して使用が集中していったということだろう。 なぜ違和感を感じる人が多いかという分析もある。 筆者は、この表現について、使われる必然性を説きつつ、人間関係の疎遠化による自己愛的な敬語とみている。 自分の感じる違和感が少しわかった気がする。 私自身は、敬語のバリエーションを重視する傾向がある。 一つの言い方で押されることで、一つの関係性に閉じ込められる気がして、息苦しい。 また、一つの敬語のパターンで語られるとすれば、ある意味ぞんざいに扱われている気がしないでもない。 すでに、「~させていただく」は私の中で敬意漸減が起こっているのかもしれない。 新書ということを意識して、きちんと用語の定義がなされているところがよかった。
よく耳にし、意識せずに使用している「させていただく」という表現と背後にある敬意漸減という語の宿命と、それに対応する話者の対応としての敬意のインフレ。 「させていただく」の本来的な意味の要素であった使役性、恩恵性、必須性が、使用とともに任意的なものになり、その最先端がおのののかの「しっかり整わせていた...続きを読むだいた。最高!」。そして文末表現調整に見える、「させていただく」の敬意漸減の兆し。まさに変化の只中にある「させていただく」についての言語学者のライブレポートとしておもしろかった。終盤は言語の社会学的な視点の印象。Brrown&Levinsonのポライトネスの概念より、そのもとになったGoffmanの「表敬」と「品行」に対応した見方が「させていただく」と他の敬語の捕捉にマッチする様がどこかアツイ。 自分としては、本来的な用法を基本にしながら、状況をうかがいつつ、本来の要素を外して用法を拡大する運用としてみたい。 言語学について理解のある人であれば問題ないだろうけど、「使い方」という表題は”正しい”使用法を求める人に勘違いされないか少し不安…。これは言語学自体の問題のような気もするけれど。
ゆる言語学ラジオのさせていただく回の監修をされた椎名美智先生の著作。 なぜさせていただくは嫌われているにもかかわらず、ずっと使い続けられているのか?という問いは、言われてみれば確かに不思議だなと感じる。 自分もさせていただくは違和感を感じるので出来るだけ違う言葉で表現しようとするも、させていただく...続きを読むでしか敬意を表せないことが多く結局1日1回以上は使っているといえる。 そういう点でも我々は「させていただく」を便利に使っているし、「させていただく」により絶妙な距離感を保っているはすが、使われすぎることで、気遣いをやりとりしていたはずが、慇懃無礼になっている。 元々は「いたします」でよかったものが「させていただきます」でないと敬意を感じられなくなっているように、敬語は敬意漸減の作用により敬意不足に感じられるようになり、すり減った経緯を補うために敬意を加える。こうして敬意のインフレが起きている。 今後「させていただく」の敬意が漸減したときに代わりとしてあろう新しい敬語を妄想するのも楽しい。 4回にもわたるゆる言語学ラジオの解説を聞いてから読んだので入りやすかったが、言語学的な解説が深い部分は難しい気もしつつ、この議題に興味があったので面白く読むことができた。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ
新刊情報をお知らせします。
椎名美智
フォロー機能について
「角川新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
一覧 >>
▲「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ ページトップヘ