あらすじ
2022年本屋大賞翻訳小説部門第1位!
ベストセラー『アーモンド』の著者が放つ、すべての人に勇気をくれる傑作。
『アーモンド』が人間という存在そのものへの問いかけだとすれば、『三十の反撃』は、どんな大人になるかという問いへの答えである。
ーーーソン・ウォンピョン
1988年ソウルオリンピックの年に生まれ、三十歳になった非正規職員のキム・ジへ。
88年生まれに一番多い名前「ジヘ」と名付けられた彼女はその名の通り、平凡を絵に描いたような大人になっていく。
大企業の正社員を目指すジヘの前に現れたのは、同じ年の同僚ギュオク。
彼の提案する社会への小さな反撃を始めることになったジヘは、自信を見つめなおし、本当にしたかったことを考えるように。
そして、ついに「本当の自分」としての一歩を踏み出すことになるーー。
世の中という大きな壁と闘うすべての人に贈る、心温まるエール!第5回済州4・3平和文学賞受賞作品。
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Posted by ブクログ
不条理な社会の中で、なんとか辻褄を合わせて頑張ろうとする普通の人々。その想いが、三十歳の女性の視点から描かれている。世の中ますますおかしくなりつつあるが、希望を捨てずに頑張りたいし、若者たちにも前向きに頑張ってほしいと思えた。
Posted by ブクログ
「世の中に変化を引き起こすために必要なのは、いたずら、あるいは遊びだ。遊ぶように、不当なところに一針を刺す。そうすればいつかは何かが変わり、だんだん広がっていくだろう。」と、自分たちを傷つけた人に、ささやかな反撃をしていく主人公たち。
最終的に韓国社会は変わらないし、主人公たちの境遇も激変はしない。それでも「多少なりとも世の中を変えたい」と動くのっていいな、と思える読後感。
ゴンユンとのエピソードは特に辛かったが、主人公が「心の中を隠さずにただ表に出すだけでも、何かを変化させることができる」と思えたことに勇気をもらった。
挿入歌のように作中に登場する、明るく時に切ないジャズスタンダードと共に、映画化してほしい作品。
Posted by ブクログ
凪いだ海を眺めているような文章。春の冷たくもほんのり暖かい風を受けているような気分になります。もがき苦しむ30歳の女性が少しずつ、少しずつ成長していく物語。嫌なことを言われ、意地悪されても次の一歩がなかなか出ないもどかしさと、出合いによって殻を破っていくたくましさが良いバランスで表現されていました。最初はちょっと苦手な感じかなあと思っていましたが、小さな出来事と小さな反撃にのめり込みました。独特の構成でしたが、しっかり繋がっていて、最後はふわっと温まるお話で面白かった。大好き度❤️❤️
Posted by ブクログ
主人公ジヘの行動力が変わっていく姿が印象的で、
読んでいくにつれ面白くなり、結末も素敵で圧倒的だった。
印象的なセリフが多く、心に残る素敵な物語に出会えて良かった。
面白かったのです。時間をおいて読んでみると、いろいろと感想が変わりそうな作品。
タイトルから感じるような痛快さはそれほどないけれど、考えさせられる内容でした。
Posted by ブクログ
注!
ネタバレ設定にはしていないですけど、ところどころ内容に触れているので。
気になる方は読まない方がいいかもしれません。
生きることに疎外されてきた……、というより、自らを生きることから疎外されていたと思い込んでいる……、ていうかーw、ずっと生きることから阻害されてきたと思うことで、自らの不甲斐ない日常を「社会が悪いんだから仕方がない」とやり過ごしてきたが故に、自分しか見えなくなってしまった主人公の一歩前進二歩後退的な成長物語。
……と言ったら、怒られるんだろうか?(^^ゞ
一歩前進二歩後退の成長だから、読んでいていろいろ苦い。
でも、そういうエピソードは、読んでいるて意外にわるくない。
というのは、苦いというより、狡っ辛いエピソードもあるからだ。
そういうエピソードは、「うげっ! イヤミス並w」と結構キツい(ーー;)
でも、生きるってぇーのは、誰しもそんなもんだ(爆)
日本も韓国も、どこの世界に行っても、それは死ぬまでずっと変わらない(^^)/
主人公は、そんな泣きたくなるようなこともある毎日を心のなかで毒づいてやり過ごしているけど、それは上司のユ・チーム長やキム(元w)部長も同じだ。
二人とも、おそらくは泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて……、さんざん泣いた人生経験の果てに自らの立ち位置を見つけた人なんだろう。
だから、二人とも主人公にキツく厳しくあたるようで、実は主人公の働きっぷりをちゃんと見ている。
だから、「人生、捨てたもんじゃねーじゃん!」って、主人公の肩を思いっきり引っ叩いてやりたくなる(爆)
映画には、「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」というお決まりのキャラクター造形があるらしいんだけど、ウィキペディアを見ると、「悩める男性の前に現れ、そのエキセントリックさで彼を翻弄しながらも、人生を楽しむことを教える“夢の女の子”」とある。
「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」は悩めるオトコの前に現れるわけだが、もちろん悩めるオンナの前に現れる「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」というキャラクターもあるらしい。
つまり、このお話の主人公ジヘの前に現れるのがソレ。
ギュオクという名前の「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」だ。
ただ、「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ/ガール」っていうのは、映画「エリザベスタウン」をを見た、(たぶんアメリカ人映画批評家)がこの言葉を発明したみたいなことがウィキペディアにあるだけに、アメリカ人が好む映画のストーリーにかかせないキャラクターという面が強いのかな?
ギュオクという「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」は、アメリカの映画に出てくるそれとはビミョーに何か違う。
もしかしたら、韓国風の「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」なのかもしれない(^^ゞ
というのも、ギュオクという「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」は、”悩める女性の前に現れ、そのエキセントリックさで彼女を翻弄”はするんだけど、“人生を楽しむことを教える”というよりは、彼女に自ら大人になる階段を上らせようとする、みたいなところがあるんだよね。
いや、あくまで、”大人になる階段”ね。“オトナになる階段”じゃないから。そこは間違えないように(^^ゞ
自分なりに振り返ってみると、20代から30代に変わるあの頃って、実は人生の中でも結構大きな転換点だったなぁーって思う。
例えば、第二次性徴の頃とか、学生から社会人になる時とか。
ま、その後も、結婚とか、子どもが生まれる等々、人生の転換点はいろいろあるんだけどさ。
20代から30代に変わる、あの時期って、それらの人生の転換点と比べて、目に見える変化はすごく地味だし、イベントっぽい出来事も特にないんだけどさ。
実は、あの時くらい、あらゆるものが変わっていく時期ってないんだよね。
社会的な立場が変わってくるし、家族の中の自分の立ち位置というのも変わる。
結婚や子どもが生まれたりすれば、もちろん大きく変わるわけだけど、そうじゃなくって。
学生の時の友だちが一人、二人、三人…、と結婚したり、子どもが生まれたりで、それまで通りのつき合いが出来なくなっていくという変化、実はあれがかなり大きかったりする。
男なんかだと、ハイティーンの頃から20代にかけてくらいの頃って、友だちがやたらと多いから。友だちづき合いが忙しくて、「寂しい」という感情を忘れている人が多いように思うんだけど。
友だちが次々と結婚したり、子どもが生まれたりすることで、今まで通りのつき合いが出来る友だちが1人、2人…といなくなっていくことで、生活の中にポカっと空間が出来る。
そんな、生活の中にポカっと空いた空間に、ふと気づいた時、「あ、オレ、今寂しいんだ…」みたいに、久しぶりに寂しいという感情を思い出すんだよね。
20代から30代に変わる時っていうのは、そういう心の変化があるわけだけど、実は体の変化が大きい時期でもある。
たいがいは、20代の時は全然平気だった徹夜仕事が、30代になって、20代の頃と同じ感覚でやったら、次の日全然使い物にならない自分を思い知らされることで、「20代の頃とは違うんだなぁー」って気づくわけだけど(^_^;)
(20代の頃と比べての)体の衰えは他にもあるし。
あと、性的な面での体と心の変化が、実はかなり大きい時期でもあったりする。
それらっていうのは、おそらくは人生の折り返し点に近づいているから、体や本能が年齢の変化に合わせたライフスタイルに変えることを求めているからなんだと思うんだけど。
その一方で、人というのは、基本的に「昨日の自分がずっと続く」と思い込んでいるようなところがある(^^ゞ
だから、30歳の時に「人生の折り返し点」なんて言われても、「10年以上先の話じゃねーか!」って、考えようともしない。
つまり、それはこのお話の主人公も同じ。
30歳の毎日を「昨日の自分」のまま生きている、というわけ。
そこに、ギュオクという「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」が現れることで物語が動き出す。
ハードカバーの本(単行本)って、著者や訳者のあとがきがないことが多いんだけど。
何気に後ろを見たらあったので、お話そのものを読む前に、まずそっちを読んでみた。
まず、著者のそれを読んでいて、印象に残ったのが以下。
“私は、自分に才能があると思っていた時期があった。
大した努力もせずに少しだけ、あちこちで認められていた時だ。
でも私が本当に行きたかったところまでは、決して到達できなかった。”
その後で著者は、自ら書いたものを頭ごなしに書き直しを指示され、できないならやめろという言葉が、著者が会うことのないところにいる誰かから降ってきたという、その頃の自らの状況を明かす。
“私は、彼らに同情することで自分を慰めた。
私のことを知らない、名も知らぬ批評者たちが、
世に出るはずだった貴重な何かを逃しているのだと、ハハハと、
偽善的なことを言って虚勢を張り、絶対認めないと必死になった。
強いて言えば、それが私なりの反撃だった。
しかし私が虚勢に満ちた同情を語ろうが疲れ果てて泣こうが、
世の中は私に全く関心がなかった。
だからむしろ良かったとも言える。
理想に到達するのは難しいもので、
何度も失敗するのは私だけではないということでもあったから。”と。
また、訳者あとがきには、この本が受賞した「済州4・3平和文学賞」の一人の審査評が紹介されている。
“(前略)彼らの抵抗は悲壮的でも英雄的でもなく、ゲームのように軽快に行われる。
そんな抵抗の行動を経験しながら、自分の従順な自我から抜け出して、
主体的な自我を取り戻していく主人公(後略)。”
…って、まるっきりネタバレだろーっ!(爆)
このお話では要所要所で、その場面にBGMが流れる。
もちろん、本だから音楽は自動的に流れない。聴くにはネット等で聴くしかない。←当たり前だ(^^ゞ
それらの曲が、ちょっと意外で。
まぁ著者の趣味なんだろうけど、全部昔のアメリカのジャズやポピュラーミュージックなのだ。
ベニー・グッドマンとか、ハリー・コニック.Jr、フランク・シナトラ等々。
それらは昔のアメリカのポピュラーミュージックだから、聴いてロマンチックと言うならロマンチックなんだろうけど、でも、それらは韓国人が好みそうなロマンチックさではない(ていうか、日本人だって、その手の音楽をロマンチックと感じるのはリアルタイムで聴いていた人たちだけなんじゃないだろうか?)。
いかにも昔のアメリカっぽいバタ臭さのある乾いたロマンチックさで、韓国人の好むウェットさがないのだ。
なのに、そのBGMで語られる物語は、まさに昔ながらの普通の韓国人なのだ(普通の東アジア人と言ってもいいかもしれない)。
(個人的には)そのチグハグさが面白かったんだよね。
「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」的な存在であるギュオクと、昔ながらの普通の韓国人である主人公の関係性を表しているようで。
物語の中で、主人公は「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」ならぬ、「ナイトメア・ウィッチ(?w)」的存在であるゴンユンという女性とも出遭うことになるんだけど、彼女は一種の西欧風の自己中心的な自由主義者(エゴイスト)だ。
その反面、(おそらくは)昔からの韓国社会の悪しき人間関係のドロドロを心の中に抱え込んでいる人間でもある(いや、こういう人は万国共通に存在して。決して韓国社会特有ってことではない)。
つまり、昔ながらの韓国の価値観を引きずる普通の韓国人である主人公と、従来の韓国にない西欧風の自由主義の価値観で生きる「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」のギュオク。
価値観の並びで言えば、その二人の間に位置するのが「ナイトメア・ウィッチ(?w)」であるゴンユンなのだ(^_^;)
そのゴンユン(名前からしておどろおどろしいw)の出現によって、主人公は中二病をさらにこじらせてイジけるw
とはいえ、これは「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」物だから(^^)/
主人公は、「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」の助けを借りつつも、自分の力で大人への階段を上っていく。
その、いわゆるアメリカ風の「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」物ではない、韓国風(?)の「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」物とも言える展開が清々しくていい。
確か、最後のシーンは夏だったと思ったけど、3月という季節のあの感じを思い出すのだ。
ちょっと寂しく、ちょっと怖くもあるんだけど。
自分が向かおうとしている新たな世界でどんなことに出逢えるんだろう?みたいに茫洋とした希望を感じつつ、まだ風が冷たい3月の空気に思わず背筋をシャンとさせる、あの感じ?w
ていうか、ここのBGMは、ナタリー・マーチャントの「7 years」だろー!(^^ゞ
ただ、その展開…、だから、訳者のあとがきで紹介されていた賞の審査評にあった、“主体的な自我を取り戻していく主人公”という展開って、いわゆる韓国の「恨」と相反することなわけじゃない?
「恨」というのは、自らが強いられた圧倒的な理不尽を自らがはね返せないことを「恨」として自らに溜め込むことだと思うのだ(いや、韓国人は韓国人だからこそ、それは絶対認めない。なぜなら、それを認めたらアイデンティティが崩壊してしまうからだ)。
つまり、「恨」というのは、強いられた理不尽という受動的なものを自らに取り込むことで、主体的な自我に変換することだ。
なのに、“主体的な自我を取り戻していく主人公”と賞で審査評されたということ、さらには、著者が主体的な自我を肯定する小説を書いたということは、現在の韓国社会には「恨」というものを自らの社会にネガティブな作用をもたらすものとして捉えている人が存在するということになる。
……みたいなことを書くと、韓国の人たちは「日本人に“恨”が理解出来るわけないじゃん。だから、それは間違いだ」と言うんだろうけどさw
でも、自分は韓国人だからこそ、自らにある「恨」というものを客観的に見ることが出来ていないように思えるんだよね。
「恨」というものの根本にあるのは感情だ。
感情というのは、その場その場瞬間風速的な状況によっていかようにも変わる。
また、人によっては相手の好嫌で無意識、あるいは意識的に感情の強弱を変えることだって出来る。
そういう感情であるものを「恨」という漠然とした概念で固定化することで、それをナルシシズム的な哀感に変換して。その「哀感を抱え続けるオレ/わたし」をロマンチックさに昇華させることで辛さを乗り越えるが「恨」なわけだよね?
でも、それは、お話の最後で主人公が見せた、自らが選んだ成長とは異なるものだし。
「マニック・ピクシー・ドリーム・ボーイ」のギュオクは、さらに違う。
もっとも、ギュオクはこれまでの韓国の価値観とは違う新たな価値観にこだわりすぎることで、それを「恨」にしてしまっている可能性もあるんだけどさ。
ま、それはそれとして(^^ゞ
現在の韓国で「恨」というものを自らの社会にネガティブな作用をもたらすものと捉えている人がいて。
さらに、(日本人である自分から見て)おそらくそういう人が増えているんじゃないか?という気がするのは、現在の韓国で様々な状況が良い方に変わってきたことで、韓国の人たちの中に「“恨”がない方が生きるのが楽だし、何より自由だ」と気づいたからなんじゃないだろうか?と思うのだ。
この本の前に読んだ韓国本である、『小説 韓国・フェミニズム・日本』の中の韓国人作家の小説とこの著者のお話がどこか違うように感じたのは、もしかしたらそこなのかもしれない。
その意味で言うなら、★は5つでもいいんだろうけどさ(^^ゞ
一つ減らしたのは、もう少しハッチャケた展開があってもいいかなぁーと思ったから。
いや、うん。
そのハッチャケないところが韓国風なんだよね? たぶん。
その辺りで言うなら、この小説も韓国の伝統を踏襲していると言えるんだろう。
でも、今の韓国は、もう今までの韓国じゃないんだから。
なら、ちゃんとハッチャケちゃった方がいいんじゃない?って思うのだ(^^)/
あと、これは個人的な感覚だけど。
このお話の中で主人公がやった「反撃」は犯罪なんかではないと思う。
もし、あれをユーモアとして読まない感覚が今の普通なんだとしたら、今の世の中は相当危ういところまで行っちゃっているような気がするかな?
以下は本の感想とは関係ない話。
去年くらいから「流域面積世界最大の川」の古本がやけに高くなったこともあり、最近は本屋で買うことが増えた。
e-honで買えば新品だし。カバーもかけてもらえる。
本屋受取りで買えば送料とられないし、地元の本屋に貢献も出来る(^^)/
…と、いいことだらけなんだけど、ただお財布にはキツい(爆)
「世の中インフレだし。古本屋さんも大変だろうから、仕方ないのかな?」とは思いつつ。
新品より100円くらいしか安くないのに、今まで通りに「見るからに古本!」って状態の物が送られてくると、ちょっとムカッとくる。
かと言って、★の評価を下げるのも、なぁ〜んかちょっと申し訳ないよーな。
古本の値段が急に上がったのはなぜなんだろ?
もしかして流域面積世界最大の川としては、もっとキンドルを普及させたいから、古本屋さんに値段を上げるよう要請してるのかな?、みたいなことも思ったりもするんだけど、どうなんだろうね┐(´д`)┌
ていうか、妥協してそれなりの価格で買った本を、再度流域面積世界最大の川で見てみるとずいぶんお手頃な価格に下がっていることも多くて。
あー、これは、人によって自動的に価格を高くしたり安くしたりしてるってことなのかな?なんて思ったりもして。
いっそ、以前のように「本は本屋で買うもの」としちゃえばいいんだろうけど、とはいえ、最近の本は馬鹿みたいに高い(゜o゜;
高くても、その価格に見合った面白さがあればいいんだけど、最近の本ときたらまぁ……
かくなる上は、嫌な世の中に反撃だ!(爆)
Posted by ブクログ
まずは小さな反撃でいい。
何も変えられないと思うのではなく、声を上げるところから始めなければ何も変わらない。
特に日本人は多くの人が(私を含めて)、違うと思っても嫌だと思っても何も言い返せないように思う。
周りが変わらなくても、世界を変えられなくても、小さな反撃をすることで「本当の自分」を守ってあげることは出来るかもしれないし、もしかしたら何かを変えるきっかけになることもあるかもしれない。
何だってやってみないと分からない。
ついいつも我慢しがちで耐えることしか出来ない私は、小さく声を上げることから頑張りたいと思うことができた。
Posted by ブクログ
アーモンドに続き、2作目のソンウォンピョン作品。
アーモンドは成長譚であり、ワクワク感があったが、本作は平凡な人生をどう生きるかという少し哲学的な物語となっています。
主人公の理不尽な社会への不満に対する機微に触れることができ、物語に引き込まれました。
Posted by ブクログ
普通の人にスポットを当てたものだからこそ主人公ジヘを身近に感じました。ジヘがこうありたいと理想を追求して行動を起こしたように、自分はどんな大人になりたいのか、そんな大人になるために今するべきことはなんなのか考えるきっかけになりました。
ジヘのように私も1人になりたいと思う瞬間はあるけどなった瞬間、これでいいはずなのにこれを望んでいたはずなのに憤りを感じたり寂しいと感じたり。結局私も1人じゃないよと誰かに手を差し伸べてもらうのを待っているんだろうなと納得しました。
Posted by ブクログ
最後の「作者の言葉」まで読んで、この小説が実は、最初「普通の人」というタイトルだったことを知った。この作品のなかで「普通の人」とは、どういう人たちのことを言うのだろう。
さぁっと読んだだけでは、主人公とその仲間たちは「普通の人」たち以下、或いは未満のように思えた。
半地下、或いは子供と暮らすには絶対適さないような場所でしか住めない人たち。他人にいいように使われたり、調子のいい奴に騙されたり、盗まれたり、それでも黙って何事も無かったように働き、でも陰では泣き、愚痴や陰口を言い、そして自分自身を諦め否定しながら生きていく人たち。
この小説の中で「普通の人」とは、例えばユ・チーム長、キム部長のような人たちかも知れない。下の者には傍若無人、マナー無視のキム部長とか、また雑用、面倒臭い事は全て非正規職インターンに押し付けるユ・チーム長みたいな。でも明らかに分かることは、彼等は少なくとも主人公たちよりは成功しているように見える。少なくとも彼等は正社員、主人公は非正規職インターンで、主人公の仲間たちも同じようなものだ。何より彼等も、そして主人公たちもそう思っているから。
本当はキム部長やユ・チーム長も、彼等なりに非常に重くかつ逃げられない悩みや辛さがあり、そしてやはり世間のしがらみに囚われて生きているのだが。
「虐げられた」人たちであり、そして「騙され、奪われた」人たちである主人公とその仲間たちは、このまま自己を否定しながら生きていくのか?と言うところで同僚のイ・ギュオクの提案にのる。つまり「成功した人」たち、「普通の人」以上の人たちに他愛もないイタズラを仕掛けるというもの。犯罪と言えば犯罪かも知れないが、大物なら、大物でなくとも普通の人なら笑って済ませる程度のイタズラ。社会も人も、何も変わらない、ただ主人公たちの胸がちょっとだけスカッとするそれだけのこと。事実、イタズラされた「普通の人」以上の人たちにとっては笑い話以外の何物でもない。そのイタズラで何か影響があった人はキム部長のような小物くらいなもの。
でも、このイタズラが無かったら主人公たちの人生は「騙され、奪われた」だけの人生で終わったかも知れない。良いか悪いかはいざ知らず、このイタズラが主人公たちの人生を変えたのであれば、少なくとも主人公たちは「特別な人たちではないかもしれないが、でも『普通の人』で収まる人たちでもない」ということだと思う。
自分勝手の感想だが、この小説のタイトルやっぱり「三十の反撃」で良かった思う。少々、他愛のない反撃だが。
Posted by ブクログ
周りに合わせて、空気を読んで、なんで?と思っても仕方ないと言い聞かせて。
その上、自分のやりたいこともわからずとりあえず生きるために働く。
私はそんな自分を少しでも変えたいと思ったし、また勇気をもらいに戻ってきたいと思えた作品だった。
Posted by ブクログ
30歳の非正規社員キム・ジヘ。平凡に生きている彼女が同僚と出会い、やり取りがキッカケで小さな反撃をしていく。
ジヘと自分は年齢は違えど共感する言葉がたくさん出てくきた。
理不尽な事に立ち向かおうとする姿に勇気をもらえる。
大きく変わらなくとも何かを変えたいと気持ちを表し反撃をし、以前はただ平凡に生きようとしていたジヘの心の変化がとても良かった。
Posted by ブクログ
なんだか『逆ソクラテス』を思い出しましたよ。
男性の実家が裕福で、女性が厳しい生活状況というのが韓国あるあるな感じがしたけれど、韓国社会の実情が良く見える小説だった。
日本も似たような感じだけど、本当に締め付けの強い社会になってしまっているなぁと実感する。
身を守るために嫌なことに目を瞑り続けていても、結局守られることはないのだ。
2024.3.10
Posted by ブクログ
人生はいつも競争で、上を目指し続けるしんどさ。
見下したり見下されたり。
生き苦しそうな社会で、諦めることや我慢することに慣れてしまった30歳の主人公が、偶然の出会いと仲間との行動をきっかけに小さな反撃を始め、最後には自分らしく踏み出していく姿に私も背中を押される思いでした。
Posted by ブクログ
財閥系企業への就職を願いながらも、カルチャースクールで非正規社員で働き、コンビニ食と半地下の部屋で食いつなぐ日々を送るミレニアル世代で30歳のキム・ジヘ。
職場では単調で無益な雑用に幻滅しながらも、現状打破の糸口を見いだせず出口のない閉塞感に苛まれる。そんな中、後輩のイ・ギュオクの影響で、鬱積した不満をマイクロアグレッション(些細な攻撃)で晴らす様子が、ユーモアと哀しみを交えて描かれる。背景にある現代の韓国社会(日本も大差ないけれど)の構造的歪み、格差と分断という非情な現実について考えさせられる一冊でした。
Posted by ブクログ
特に印象に残ったのは、ユ・チーム長の存在。
彼女はいろんなことを諦めさせられてきた人なのだと思う。
納得できないことやおかしなことも、「それで物事が回るなら」と受け入れて働いている。
ギュオクのように声を上げる強さもあるけれど、ユ・チーム長には“黙ってやる強さ”がある。
その姿が、妙に心に残った。
Posted by ブクログ
「ジヘ(知恵)」を「ミスワイズ」って呼ぶのがとてもいいな
9ヶ月で正社員打診が来るのか。いいな。私5年かかったぞ
ジヘの非正規ならではの切なさはよくわかったけど、最終的になんか素晴らしい会社に入社できてチーム長になってたしで、いいなぁ
あとは英米の小説よりよほど「わからんこの風習」みたいなのがぼこぼこっとあるのが韓国の小説。留置所から出てくると豆腐食べるとか
ウクレレ教室のささやかな発表会は良かった
「舞」という字を指してムインが説明した内容
「・・・舛という字で、入り乱れるという意味です。つまり燃え尽きて残った灰が、再びめまぐるしく乱れ飛ぶのが舞いなんです」
Posted by ブクログ
閉鎖的な日々と息苦しさから出ていきたいのに変われない主人公が少しずつ変わってゆく。3年半前に職場で戦いぬいた自分と重なり、その先で充実していると思えるキャリアに切り替えられたので行動の大切さが身に染みる。あの時の私を励ましてくれるようだ。
Posted by ブクログ
観客でしかない人も尊重しつつ、それでもどこかでステージに上がるのだ、ということがメッセージなのかなと感じた。
「反撃」の爽快さ、その成功体験から人間がガラッと変わる、ということを、ストーリーとしては求めがちだが決してそうではない。もっと波のある、挫折と小さな喜びとを繰り返すそんなプロセスで、複雑な世界の中で人が変わる、そんな印象を持った。
Posted by ブクログ
初の韓国文学。
正直韓国の情勢とかその時代背景とかを知らないので、中々入ってこなかった。
言うことで変わることはあるかもしれないけど、やり方とかがあまり好ましくはないかな。正統にいってダメだったからなんだろうけど。
Posted by ブクログ
NOを、YESを、言おう。
ありふれた名前のジヘはインターンをしている。ある日コーヒーショップで有名人に啖呵を切っていたギュオクが会社にインターンとして現れて、2人は会話をするようになる。ギュオクは遊びと言いながら、言いたいことを言い、ちょっと騒ぎを起こす活動を持ちかけてきて——。
よくならない社会に、価値を見出せない労働、気の合わない同僚、わかってくれない家族、だんだんと気持ちが離れていく友人。受け流すのは難しくないけど、そんな人生でいいのか。声をあげても変わらないかもしれない。相手に与える打撃は一時のものかもしれない。でも自分を縛る理不尽にNOを言い、自分のしたいことにYESを言えたら、それは確かな変化になる。ちっぽけで他にもたくさんいる人たちのなかの自分だからこそ、自分のために行動するのが大事なのだ。
Posted by ブクログ
1988年に韓国に生まれ、30歳を迎えたジヘ。非正規で働き、面接を受けては落ち続ける。そんな彼女の周りにある「理不尽」な事に、ギュオクと共に小さな反撃をしていく…そして大人になるとは?を考えさせられる一冊
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⭐︎3か4か迷ったけど、個人的に読んでいて自分のものにならなかった感(琴線に触れなかった)があったので3にした。
世の中には理不尽なこととか、ふてぶてしくて横柄で嫌な人とか、いっぱいいる。そういうこととか人に対して黙っているのが一番楽なんだけど、そのまま生きてくのが嫌になることってあるよねえ、っていうのはとても共感。
私はそこそこ正義感が強めな方だと自負してて、生きづらくてたまんなかったこともあったけど、最近は結局人も周りも変わらないし、面倒臭いし傷つくし疲れるし、っていうので、違和感から目を逸らしたり、横柄でやばい人からは極力距離を取っていて、
でもそればっかりが良いって訳じゃないよな。
面倒臭いけどこれだけは言わなきゃ、とか、ここだけは譲れない、みたいな自分の芯を大事にしようと思いました。
Posted by ブクログ
三十歳記念に読んだ本。
疑問をもち、考え、行動することはリスクも伴うし気力と体力がいる。それでいて事態が好転する保証もない。
そんなリアルさが絶妙な加減で描かれていた気がする。
度々登場する曲をBGMにしながら、勇気ある行動に声援を送りつつページをめくった。
最後の主人公の発想、とってもいいなあ〜
そして、こういう注釈の付け方もあるのか!と新しい発見。韓国文化の学びにもなる。
Posted by ブクログ
周囲の圧力や誘いに流されてしまったことに後ろめたさを感じつつ、最後は前に進むことができたヒロイン。
世の中何かしら上手く行かないことも多くて、妥協したり自分を誤魔化したりしてしまうことも多い中、どんなに時間がかかってもそこから一歩を踏み出すこと、踏み出していいのだということを後押ししてくれたような、そんな気がしました。
Posted by ブクログ
正直、そこまで響く内容ではなかった。
社会に不満を持つ、けれど声をあげられない女性の物語でゴテゴテとしたドラマなどなく、淡々としているところには好感が持てるが、イマイチぴんと来ない、というのが本音でした。
Posted by ブクログ
"あらゆる手段と方法を使って、私はほかの人たちとは違うすごく特別な人間なんだと、だからどうか私に注目してくれと、ありったけの力を込めて叫ばなければならない時代がやってきた。"
実は最後まで読み切ることが出来なかった一冊だけど、ただ、この一文がどうしても頭に残り、こういう文章に出会えたことに大きな価値を感じた一冊です。
Posted by ブクログ
やっぱりこの作者さんは、些細な心情表現とか微細な行動の言語化がすごく上手。上手いがゆえにすごくリアルで、第三者の人生をぼーっと眺めているような感覚にもなってしまった。主人公のライフスタイルと情感が私にはほど遠かったせいかもしれない。
世の中に対する不平不満、デモ活動とか、自分の生活への不安感とか、なんとなく生きにくさを感じてる人たちにとってはものすごく共感できる話なんだと思う。
30歳になったらもう一度読んでみようかな。