あらすじ
国家に親代わりを求めた男。
法廷で無期懲役に万歳三唱をし、殺人犯なのに刑務所で生存権を主張し続ける犯人・小島一朗。
誰も踏み込まなかったその内面に、異端の写真家が迫る。全真相解明、驚愕の事件ルポ!
犯人はいったい何者なのか?
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【新幹線無差別殺傷事件】
2018年6月9日、走行中の東海道新幹線の車内で男女3人が襲われ、2名が重軽傷、男性が死亡した。「刑務所に入りたい」という動機だったため、一審で無期懲役となった際に小島一朗は法廷で万歳三唱をした。控訴せず20年1月に刑が確定。小島は刑務所内で生存権を主張し続けている。
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2008年以降の無差別殺人事件の犯人は前科前歴なし、両親は揃っており、貧困家庭でもなく友人関係に問題もない、「普通」の者が多い。
だが、「死刑になるため」「刑務所に入るため」と彼らは犯行に及ぶ。
約3年にわたる取材で理解不能な動機、思考を浮き彫りにする驚愕のルポ!
【目次】
序章 鞘――刑務所に入る夢を叶えた男
第一章 心――写真家が人殺しに興味を持つ理由
第二章 偏――歩み寄る難しさ
第三章 記――「むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった」の真相
第四章 凶――餓死することを止め、生きる選択をした
第五章 会――アクリル板越しの作り笑顔
第六章 家――浮かび上がる“いい子”
第七章 迷――食い違う家族の言い分
第八章 裁――真実が語られない虚無な裁判
第九章 答――刑務所でしか手に入らないもの
第十章 辿――犯行時のシミュレーションから感じること
最終章 刑――自傷行為を通して得られる愛
あとがき
主要参考文献一覧
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Posted by ブクログ
2018年、東海道新幹線内で男女3人が殺傷される事件が起きた。男性が女性二人を庇う形で死亡したというニュースを覚えている方も多いだろう。犯人小島一郎の動機は「刑務所に入りたい」というものだった。よくある貧困から衣食住を得るための犯行かと思っていたが、本書を読み、小島の言う「刑務所に入りたい」はもっと深い意味があったことを知った。
小島が生まれたのは愛知県岡崎市。この頃、両親は仕事の都合で別居していた。母方の実家である岡崎には小島が生まれた年に、大工をしていた祖父が記念にと建てた家があった。小島はこの「岡崎の家」に最後まで強い執着を見せる。3歳の時、両親は再び同居し、一宮に引越すが、この一宮で父方の祖母に「お前は岡崎の子だ、岡崎へ帰れ」などと言われ(小島の話を信じるならば)酷い虐待を受ける。
小島にとって、岡崎は自分の居場所であり、決して追い出されない自分のための場所であるはずだった。しかし、就職後体調を崩し、岡崎へ戻った際、同居の叔父からは出て行くように言われてしまう。
決して追い出されないはずの「岡崎の家」から追い出された(と感じた)小島は刑務所にこそ、その代償を求めるようになる。刑務所はいくら反抗しようと、「出ていけ」とは言われないからだ。著者も書いているが、小島は家庭の代わりに国家に養育を求めたのである。最終章で描かれる、小島の刑務所内での様子はまさに「幼児帰り」と呼べるような行動で、彼の面倒を見る羽目になった刑務官たちが育て直しをさせられているかのようでもある。法律は条文通りに彼の生命を守り続ける。ガラス張りの観察室に入れられ、徹底的に保護されることで、彼は一応満足しているようだ。しかしそれは所詮満たされなかった家庭の代替行為に過ぎない。無期懲役の判決を受けた小島はこれから何十年も先、刑務所ですごさねばならないだろう。その間に、その代替行為の虚しさに気付くことはあるのだろうか。それともそれでもなお、刑務所にいることを望むのだろうか。
小島には元々発達障害があり、言われたことをそのまま受け取る特性があった。アスペルガー(今日ではASD)の得点は低く、ADHDと診断されるが、この物事を言われた通りに受け取り、融通が効かないという点はむしろASDに該当するのではないかと思う。「元息子」などと発言し、ネットで叩かれた彼の父もまたASDであるように思われる。母親はホームレスの支援活動などに精を出し、あまり息子の様子を気にかけていなかったようだが、幼少期にもっと適切な療育を受けることができたならば…と思わずにはいられない。
父性・母性の不在
加害者本人が問題ではなく、その家族が問題ということがよくわかる内容だった。
ここまで取材を続け、事情を明らかにした著者に大きな称賛を送りたい。
Posted by ブクログ
どうしてこういう異常な事が起こってしまったのか。
どうしてこういう異常な事になってしまったのか。
被告は電気工事士の資格も取得しています。本来なら知力的な力もかなり身につけられて、大げさではなくても、他の生き方がいくらでもできたはず。
被告は精神不安定で、発言は自己正当化です。
Posted by ブクログ
2018年6月9日に走行中の新幹線車両で、隣の席の女性と近くの席の女性に鉈で切りつけ、二人を庇った男性を襲い、死に至らしめた小島一朗への取材ルポタージュ。動機が「刑務所に入るため」で「無期懲役がよい」とのことで、無期懲役の判決に万歳三唱をしたことは話題になった。
小島被告には発達障害があり、ADHDとのこと。また猜疑性パーソナリティー障害があるとの診断だった。
著者は随分根気強く取材を行っていたのだなあ、とよく分かる。本人の中では理路整然としているのだろうが、他人からしたら支離滅裂だし、自己中心的としかいいようのない考え方。
人に迷惑をかけたくない、のに 殺人により刑務所に入ることは優先される、という。刑務所内の人権を向上しようとしているとことだが、他者の人権を制限したから刑務所に入ることになった人が大半ではないだろうか。その制限された他者の人権はよいのだろうか。
特に殺人は取り返しがつかない。どうやったって、失われた命は帰ってこない。自分が理不尽に命を奪われるようなことになったら、許せないと、小島被告は言う。でも、自分が奪った命については「自分が刑務所に入ることが(他者の命より)優先されると思った」と。反省もしないし、謝罪もしない。
母親や祖母が言ったという言葉を細かく記憶し、それに拘って、嘘をついている、とか、理不尽だと言う。
小島被告が受けた虐待の数々も家族からの暴言も、本当であるかもしれないけれど、家族にだって言い分はあるだろう。また被告が話を盛っている可能性だってある。事実、祖母と小島被告の証言は全く噛み合っていない部分がある。どんなに虐待を受けていたとしても、新幹線で他人を殺していい理由にはならない。自分の人権が守られなかったからと言って他人を殺していい理由にはならない。
彼に反省をさせることも殺人について後悔をさせることも無理なのだと思う。愛情や教育が人を更生させる、ということもあるだろうが、それらが全く効かないときも、私はあると思う。