あらすじ
日本を取り巻く困難はより深いものになっており、私たちは先の見えない日常を送っている。だが、このようなときにこそ、人間の脳が持つ「挑戦」の素晴らしい能力が生きてくる。脳はオープンエンドなシステムであり、試練に直面したときにこそ新たな力を発揮するのだ。私たちの日常の中に「挑戦」は偏在している。人間は誰もが、経験したことのない新たな世界と出合い、自分の存在を確立しようと奮闘して生きている。困難さを力に変えて生きるために、私たちはどうすればよいのか?さまざまな事象をもとに論じる、著者渾身の書。【目次】まえがき/1 暗闇の中を手探りで歩く/2 発見の文法/3 「挑戦」の普遍性/4 非典型的な脳/5 誰でも人とつながりたい/6 偶然を必然とする/7 盲目の天才ピアニスト/8 欠損は必ずしも欠損とならず/9 脳は転んでもただでは起きない/10 笑いが挑戦を支える/11 日本人の「挑戦する脳」/12 アンチからオルタナティヴへ/13 挑戦しない脳/14 死に臨む脳/15 臨死体験/16 自由と主体/17 「自由」の空気を作る方法/18 地震の後で/19 できない/20 リヴァイアサン
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Posted by ブクログ
記録的な巨大台風が日本列島を襲う最中この本を読み、少し前に出版された本ではあるが今ここに生きた思想であることを感じた。
個々人の人生のみならず社会は予測できない物事で混とんとしている。過去もそうであったのかもしれないけれど今の時代は地球規模での出来事に社会も個人も巻き込まれている。「待ったなしの暴風雨のような状況に、私たちは置かれてしまっている」。同じ文脈にとどまっていては対処しきれない。新しい文脈に自らを置き、直面する課題や苦境を自らの必然と受け止め、そこから新たな対処法を創造し続けなければならない。これが「挑戦する」ことであり、有限で不完全な生を備える私たちは、この「挑戦する」という行為をもって自らの脳のメカニズムを最大限に活かし、声明を輝かせることができる。
本書の中では「自由」についても問うている。脳科学からいうと、私たちのいう「自由意志」はほぼ幻想。しかし認識上、自由という感覚が自分自身の主体性を保持することに欠かせない。
文脈の外に出ることがまだまだ抑えられがちな日本社会で、そこにはびこるマインドセットの変革を求める一冊。
Posted by ブクログ
人間の脳は「オープンエンド」p13
サヴァン p47
Cf. キム・ピーク、『僕には風景が数字にみえる』
「偶有性忌避症候群」(contingency avoidance syndrome)p111
アンチからオルタナティブへ p121
踊ることが、生きることの偶有性に対する、最も「強靭」な答えであり得る。p190
Posted by ブクログ
人間は本質的に偶有性を持つ。
その一方で制約を付し、偶有性を拒否する傾向が強い。
敷かれたレールは安全であるから。
しかし、偶有性は楽しむべきである。
新しい地平に立つため挑戦し続けられるか。
刺激を求め、偶有性に挑戦し続けることも人の本質である。
凝り固まった、安全なシチュエーションから、柔軟な発想は出てこない。
自分を爽やかな、自由な環境に置き、たった今を楽しもう。
Posted by ブクログ
散文形式の文章を読むのは苦手である。構造のない論理を主張として捉えるのが得意でない。一方で、一見して散漫とした文章のなかで、螺旋状に議論を深めて行くことで、近づける領域もあるらしい。
本書は後者で、「挑戦する脳」という主題から想像される(私の場合は)、体系だったサイエンスの本というよりは、挑戦するという思考を主たる手段とした、哲学の本に近かった。
アンチからオルタナティブへ。は非常に胸に刺さった。また、リヴァイアサンとしての国家、社会集団の定義も新しい。
全体を通してあとがきが一番面白い。
やはりクオリアや偶有性と幻想としての自由意志の話、とかになると、格段に筆致が瑞々しい。この本は実践的哲学書だが、茂木さん自身はやはり科学者だなと思う。
Posted by ブクログ
・何度も同じ刺激を提示されると、次第に「馴化」が起こり、活動レベルが低下してしまう。一度目が一番大きく活動する。二度目、三度目と同じ刺激を提示されると、一度目ほどの活動を見せない。
・オープン・エンドで学び続けるという脳の潜在的能力を十全に発揮するためには、「新しい風景」の中に身を置き続けなければならない。
・「感動するのを忘れた人は、生きていないのと同じである」