あらすじ
私たちの生活に直結する政治思想でありながら、その実態がわかりにくい「保守」「リベラル」とは一体どんなものなのでしょうか?____本書では、世界史的視点で「保守」の成り立ちを読み解きながら、それが明治日本・敗戦後日本の政治体制の中でどのように受容されてきたのか、一つひとつ丹念に追いながら、わかりやすく解き明かします! 「保守・リベラル」の成り立ちと歴史がわかれば、世界と日本の政治・社会で起きていることが見えてくる!
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Posted by ブクログ
保守というと伝統的な価値観や既存の在り方を守り抜くというイメージがあったが、伝統を守りつつ緩やかな改革を進めていくものだと学ぶことができた。
明治維新と第二次世界大戦敗戦が日本にとって大きな転換点であることが再確認できた。
戦争反対という切り口で、憲法改正を止めようとする勢力もあるが、そもそも自国の防衛を外国任せにすることはリスクなんだとこの本を読んで思った。
メディアや労働組合などが組織票を投じていることなど聞いたことはあったが、まさか本当だとは思わなかった。
また、中国やロシア、北朝鮮に傾倒した共産主義しそうがまかり通っていたことも驚いた。(特に北朝鮮)
一方で、戦後から日本は政治的にも経済的にもアメリカの言いなりのようになることが多くあったが、それを踏まえると共産主義を悪、アメリカのような民主主義を善とする考え方ははたして必ずしも正しいものなのかという疑問もある。(私は共産主義は望んでいないが)
同じ自民党でも派閥によって全く政策が異なることがわかったが、支持する政党の支持する派閥をどう応援していくべきかの手段が見えなかったので知りたい。
小泉純一郎が敏腕政治家だったことがとても印象に残った。
筆者が現在の岸田政権の日本の政治や、安倍晋三殺害についてどのように考えているのか聞いてみたい。
Posted by ブクログ
政治は思想によって流行がある。
どんなことを思ってる人が、どんな人と繋がりがあるのかを把握しないと全体像が見えてこない。
保守とは漸進的な変化を求めるわけで、変化をしないわけではない。
世に扱われない人たちがいることを忘れてはいけない。
Posted by ブクログ
全体としては政治史または政治思想史という感じで,保守をストレートに扱っているものではない気がします。しかし,実際に日本の政治の中で保守的選択やリベラル的選択が行われて,その選択が何を引き起こしてきたかを知るには良いと思います。
保守も一枚岩ではなく,それはリベラルも同じようです。史実における保守の実際を確認する本です。
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王が私的に法を定めてはならず,慣習法コモン・ローに従って統治しなければならない,それがイギリスの古き良き伝統である,と[法学者ヘンリー・ブラクトンは]説いたのです。
長く継承されてきた「しきたり」というものは,無数の先人たちが試行錯誤を経て洗練させた知恵の結晶であり,現代人の浅知恵でこれを安易に変えてはならないーーこれこそ,「イギリス保守主義」の根底にある思想なのです。(p.41)
民族交代がない社会では,古くからの伝統,慣習が生き続けます。キリスト教がケルトの多神教を駆逐できなかったように,大陸から伝わった仏教は,縄文以来の日本の伝統信仰である神道を駆逐できず,これと融合する神仏習合の道を選びました。
「お盆」という習慣はハロウィンと同様に日本古来の祖先崇拝の祭りであり,仏教とは何の関係もありません。魂の生まれ変わり(輪廻転生)を説く本来のインド仏教の教えでは「死者の魂がどこかのいて,毎年戻ってくる」という発想はなく,お墓もないのです。お盆でお寺に墓参りに行く,という習慣は,仏教と古来の信仰とが融合したものです。
こういったところにも,古代の日本人が守った伝統と慣習ーー本来的な意味での保守(conservatives)の姿勢が見て取れるでしょう。(p.44)
ちなみに,クロムウェルの死後,穏健派による揺り戻し(王政復古)が起こります。このときはじめて使われたのが「レヴォルーション(revolution)」という言葉です。
「ぐるっと回る」というのが本来の意味で,天体の公転という意味にもなります。ぐるっと回って元の王政に戻ったからレヴォルーション。日本語では「革命」と訳していますが,実は王政への「復古」というのがイギリス史における本来の意味だったのです。これに対して「ピューリタン革命」は,イギリス史では単に「内乱(the Civil War)」と呼びます。(p.55)
イギリス革命とフランス革命は,どちらも国王の先生を倒した同じ「市民革命」であるとして,世界史教科書で扱われています。しかし,イギリス革命が「古来の秩序」への回帰を目指した「保守革命」だったのに対し,フランス革命は「こうあるべき未来社会」を設定し,旧来の社会秩序を徹底的に破壊した「リベラル革命」であったため,方向性は真逆でした。(p.58)
日本国憲法の文言から日本の伝統や歴史がまったく読み取れないのは,この憲法が国家有機体説を否定し,「人類普遍の」社会契約的な国家間に基づいて起草されているからです。中学の「公民」,高校の「政治経済」では社会契約説が自明の理として扱われており,国家有機体説については黙殺されてきました。(p.67)
しかし,ドイツ憲法を軛とする帝国憲法下でイギリス保守思想が日の目を見ることはなく,東京帝国大学法学部でもバークが教えられることはありませんでした。やがては帝国憲法の解釈自体が天皇主権の硬直したものと化していき,日本版国家有機体説である美濃部達吉の「天皇機関説」までもが政治弾圧の対象となりました。「バークは殺された」のです。
敗戦後はGHQの占領下で,自然法思想と社会契約説に基づく日本国憲法が制定されました。ニューディーラーと呼ばれる人々は,アメリカ社会でも特にリベラルな思想を持っていました。社会科教科書にはフランス革命礼賛の記述が踊る一方,その暗黒面を指摘したバークの思想は,今も抹殺されたままです。これは,自覚しているかどうかはともかく,教科書の執筆者がルソー主義者であるためでしょう。(pp.78-79)
日米安保条約によって超大国アメリカの庇護のもとにあり,冷戦の現実を見ずに済んだ日本では,空理空論の理想主義がまかり通ってきました。バークを研究する研究者はいても,ついにバーク主義を標榜する政治家も政党も現れないまま冷戦終結を迎え,冷戦後はアメリカが要求する「日本社会の改革」に翻弄され続けます。
小沢一郎の政治改革,小泉純一郎の構造改革,「改革」「新党」と名のつく政党が乱立しては消えていき,「古いものは壊せばよい」とばかりに,年功序列・終身雇用制度を変え,地名表示を変え,今度は外国人労働者を受け入れ,皇室制度にまで手を加えようとしている現代日本。100年後には,いったい何が残るのでしょうか。
先祖からの遺産を軽んじてきた私たちは,子孫に何を継承しようというのでしょうか。(p.80)
民主主義を疑う。理性より経験を重んじる。激烈な革命を否定し,ゆっくりとした改革を求める,という点で,ハミルトンはアメリカにおける保守主義の原点といえるでしょう。
『the Federalist』をはじめて読んだ日本人は,バークを日本に紹介した金子堅太郎といわれており,金子に勧められた伊藤博文も座右の書としています。ドイツ憲法を軛としたとされる大日本帝国憲法ですが,実際の運用はハミルトン的な保守主義に従ったのです。
ちなみに,高校の世界史教科書では,ジェファソンの独立宣言は挿絵つき,資料つきで特筆大書されていますが,「合衆国憲法」については「三権分立の連邦政府が発足した」でおしまいです。ハミルトンについては名前も出てきません。大学入試でもめったに出題されないから,よく勉強している受験生でも知らない。これが日本の教育の現状です。(p.89)
もし明治維新が半世紀早かったら,近代日本に導入されたのはナポレオン法典に結実したフランスの法体系だったでしょう。フランス革命の成果として,個人・人権・自由の擁護を掲げる思想です。日本の国体や伝統思想とはまったく相容れない思想ですから,維新は血みどろの革命となり,幕府も皇室も倒されて共和政が実現したかもしれません。
しかしナポレオンの時代は過ぎ去り,19世紀の欧州はロマン主義と呼ばれる反動の時代になっていました。
フランス革命を引き起こした啓蒙思想は,伝統や慣習,宗教や権威を「不合理なもの」として一蹴し,全人類共通の理性に基づく自然法,人権思想を掲げました。
これに対してロマン主義は,民族の土着の伝統,慣習,宗教,権威を重んじ,理性より感情に重きを置く風潮でした。(p.127)
伊藤博文には,このような[古事記や憲法十七条,御成敗式目といった]古典の教養が欠けているという自覚がありました。これを補うために井上毅をブレーンとして抜擢した伊藤の懐の深さは,大したものだと思います。(p.131)
のち90年代以降の橋本行革,小泉構造改革で「非効率」「汚職の温床」とやり玉にあがり,改廃された政策の多くが,池田時代の産物だったのです。しかし民間経済が弱いときには,政府主導の経済政策がむしろ効率がいいのは,「開発独裁」と呼ばれた韓国やシンガポール,インドネシアなどの経済政策でも証明されています。(pp.209-210)
消費税3%を創設したのは竹下内閣ですが,バブル経済だったため何も問題は起きていません。橋本はデフレ不況下の97年に消費税を3%から5%に引き上げ,不況を長期化させるという判断ミスを犯します。
その結果,参院選で自民党は大敗。橋下[橋本の誤り]内閣は責任を取って総辞職しました。「財政再建のタイミングを早まって経済低迷をもたらした」と橋本は述懐しています。(p.288)
「ネトウヨ」があって「ネトサヨ」がないのはなぜなのか。「サヨ(左翼)」の言論はマスメディアに満ちあふれており,ネットの空間に逃げ込む必要がなかったからです。(p.358)
小林[秀雄]は,「文学者三島の言葉を読み取れ」「歴史の本当の中身には言葉しかない」と力説した。この対象への共感性こそが,死者と生者を近づけ,過去と現在を線として結んでいく。これこそが「保守の精神」である。(p.381)