あらすじ
まずは、鏡に映る男から変えないか。
なぜ女性や少数者を見下し、なぜ父親を憎みつつ強者に服従し、なぜ他者を攻撃したくなるのか? 男性中心社会を強固に形づくる「男らしさ」の呪縛について著者の個人史から考察する、愛と迷いのジェンダー・エッセイ。英国の人気コメディアン/文筆家、ロバート・ウェッブの半生記を邦訳。
「恐れはダークサイドに通じる」――かつてヨーダはそう言った。
男たちは何を恐れて「男らしさ」の暗黒面に逃げ込み、人を傷つけるのか。
ある時は剣に、ある時は盾にもしてきたその言葉から自由になる勇気を、今こそ。
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Posted by ブクログ
コメディアンであるロバート・ウェップの自伝。
作者はイギリス、リンカンシャー生まれの男性だが、日本人男性の自分でもこれ経験あるぞと感じるものが結構あった。
まだ男らしさを抱いていない男の子が学校や友人たちの関わりのなかでいかに男らしさを身に着けてしまうのか、という部分は読んでいると日本やりも、より激しそうであった。
その後も彼が大学卒業までにさまざまな、悪い意味での男らしさを内面化するようなイベントを経験していく。
そうした過程を通して立派な男らしさという価値観を受け継いでいく人間が出来上がっていく。
だが大事なのは自分らしさであって、画一的な枠に落とし込む男性らしさや女性らしさではない。
作者はそういった男らしさに違和を感じ続けてきたらしいが、いざ男の子の子供が産まれて子育てするってなったときに男の子らしいを押し付けようとしてしまったらしい。
自分もそういった男らしさに違和を感じているが、内面化してなかなか見えない男らしさのようなものを抱えているのかもしれない、と感じた。
そしてエッセイとしてもとても面白く、期待してた以上に残るものが多かった。
Posted by ブクログ
感動した。
400ページを超えるエッセーであり、途中で挫折しそうになった。特にイギリス風ジョークはなかなか共感できなかったり、時代的・地理的にもその文化に精通していないと理解のしにくい単語が出てきたりと、読みにくいエッセーだったと思う。しかし、人生のいろんな反省や失敗や成功や云々を描いた400ページを経て、「(男らしくないなんて関係なく)私はもっと人を大切にしたり、泣いたりして良いと思う」という、ややもすればありきたりな結論に至る過程に非常に納得感があった。
また、上記の話に直接はつながらないが、彼の自己承認欲求が高く、そのせいでちょっと褒められたくらいじゃ満足しなかった大学時代の反省が自分に重なり響く。人と一緒に何かを成し遂げるという意識の欠如を反省するウェッブ(著者)にも感動した。
Posted by ブクログ
英国のコメディアンである著者の生い立ちとともに、彼のその時々感じたこと、特にジェンダーやセクシュアリティに関する悩みが綴られている。
女の人も大変だけど、男だって大変なんだよ!という本ではない。どうやったら、女性が抱えているような課題を男も一緒に考えていくことができるか、つまり、「フェミニズム」としてフレームされている問題群を男性も対象に拡大するにはどうすればよいのだろう、ということを考えさせられる。
こういった課題を考える際に、個人的には、先人が勝ち取ってきた価値を尊重しながら、対象を拡大していきたいなと思う。例えば、「フェミニズム」ではなく人間全体を対象にした「ヒューマニズム」という拡張概念を使うことはできるかもしれないが、その際であっても、フェミニズムの歴史で勝ち取られた価値を適切に内在化しながら新たな用語法を用いないといけない気がする。
Posted by ブクログ
主題はジェンダー論だと思うけど、それよりもリアルな青春小説として楽しめた。
特に幼児期の視点(世間の常識というトリックにはじめて触れる時)、ティーンの視点(世間の常識をはやく取り入れたいともがく時)をこれほどリアルに描いた作品はないと思う。
ただ、そのみずみずしい筆致は大学を卒業すると同時に色褪せていく。
これは「現実に適合していく」事へのアイロニーなのか?赤裸々に描かれた青年期と違って、仄めかすだけで伏せられている内容が多かった。
なので最終章で唐突にジェンダー論?として総括してしまったのは残念だった。
たしかに誰もが昔の事は語ることができても近しい事には口が重くなってしまう。
その繊細な文体に魅了されただけに最後は残念、というか肩透かし感が強い。
人類は染色体の差異を長年積み上げた物語によって「決定運命論」として神格化しシステム化してきた。
本文で語られているように、客観視すると愚かしい仕組みであるが、システムに沿っていると表面的には安楽ではある(これゆえのシステムなのだが)
これは進歩的なアクティビストであっても完全に脱却するのが難しい。幾何学と違って証明不可能な「ものがたり」なのだ。
文明と共に積み上げられた「ものがたり」から自由になるには自分達で新たな「ものがたり」を紡ぐしかない。
その物語はディズニーやハリウッドには作り出せないだろう。彼らは実態としては古いものがたりこそが利益の源泉なのだから。
ただ、少しづつ、ほんの少しづつではあるが、ノイズとしてのあたらしいものがたりの息吹を感じる。
そしてあたらしいものがたりは、決してエスタブリッシュメントからは生まれないのだ。