あらすじ
戦後75年間隠されてきた歴史の真実戦争を煽り真珠湾攻撃を待ち焦がれていたルーズベルト。広島原爆投下に固執したスチムソンは非情な軍国主義者だった
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Posted by ブクログ
勉強になりました!
■ 重要ポイント
①スチムソンの善悪二元論
社会ダーウィニズム的な文明序列観を土台に、幣原外交=「善」、軍部強硬派=「悪」という単純な二元図式で日本を見ていた。
満洲事変では、フーバー大統領の慎重論を押し切ってまで満洲国不承認を断行するほど理想主義に凝り固まっていた。
1930年代後半には対立図式が「中国=善、日本=悪」に転換。しかしこの二元論は結局、東アジアの安定にはつながらなかった(戦後ソ連が関東軍の武器を中国共産党に渡し、共産革命を後押しすることに)
②FDRの参戦欲求からくる日本の締め付け
対独参戦を望みながら世論の不干渉主義に阻まれていたFDRが、対日制裁を段階的にエスカレートさせていった。
ハル四原則は、表向きは普遍的な正論に見えながら、実質的には日本に大陸政策全体の放棄を迫る内容だった。
首脳会談の提案も頓挫し、ハル・ノートが事実上の最後通牒として日本に届いた。
③原爆を作った人たち
きっかけはアインシュタインの署名付き書簡(実際に書いたのはシラードら)だったが、彼自身は開発には一切関与していない。
FDR・スチムソン・軍・科学者が短期間で巨大な組織(マンハッタン計画)を作り上げ、開発を加速させた。
標的選定では「早期使用・軍民複合標的・無警告」という結論が出ており、京都だけはスチムソンの個人的な思い入れで外された。
④そして使ったトルーマン
副大統領時代は原爆計画の存在すら知らされておらず、大統領就任からわずか13日後に全容を知らされた。
ポツダム会談中に実験成功の報告を受け取り、既定路線だった使用方針を追認する形で投下を決定。
戦後は「原爆は本当に必要だったのか」という批判にさらされ続け、スチムソン自身も釈明論文を書くほど悩んだ。
■ 気づき
現実や状況を学び判断できる「リアリスト」ではない人たちが、それぞれの限定的な視点・信念で動いた結果が積み重なって開戦・原爆投下に至った、という読後感