あらすじ
支援が必要な人は「困った人」じゃない。元気な人も誰かの助けが必要になることもある。私やあなたを追い詰める自己責任論を超えてケアし合える社会を目指そう! 【目次】第一章 あなたの一段は他人の十段?/第二章 なぜ人は追い込まれていくの?/第三章 家族が支えるのが当たり前?/第四章 ともにケアし合う社会とは?
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Posted by ブクログ
著者の「ケアしケアされ生きていく」「能力主義をケアでほぐす」と読んできたが、本書はそれをさらにバージョンアップした書であった。署名の福祉という文字に惑わされるが、最終章にその意味が分かるが、つまりは誰もが生きやすい社会、それはトロントに通じる、ともにケアする社会ということだが。コロナによりケアについて関心が高まったが、コロナ後は予想通り何もなかったように社会は動いているが、激動の社会は何も変わってないわけではなく、だれもがこのままではいけないとうごめいている社会と思う。そうした今後の社会を見据えるうえでの羅針盤ともなる書と思う。ケアの定義で小林氏の「ままならぬものに巻き込まれること」ということに深く共感した。間主観性ともいうし、中動態にも通じることだと思う。
Posted by ブクログ
いかにも講義風のお話より自身の子育てでの煩悶から、やっと奥様の「黙って聞いて」という怒りの意味が理解できるようになったという体験談が実感がこもっていて面白かった。自身でも言っているように臨床の場に身を置いたことがなく、傾聴を実践する機会がなかったのだろうなと思う。
Posted by ブクログ
特に、今誰かのケア(ままならぬものき巻き込まれること)に携わっている人に響く本だと思う。
「困った人」ではなく、「困っている人」。
確かにそうだ。ガツンと喰らってしまった。
自分のケアが、この本で著者が言っている「強者の論理の強要」になっていないかと自問自答。
学校教育法の解釈のなかで、障がいを持つ子どもの環境をどう捉えるかなど、ふむふむなる程と考えるさせられる。また、日本人特有の、ある意味では美学と捉えられる「人に迷惑をかけてはならない」という規範が悪影響を及ぼしたものなど。
他者に助けてと言えず、一人で抱え込むことで最悪の結果をもたらせた事件はこれまで多くあったし、今も現在進行中の人もいたりする。
生まれてから現在まで、その精神が骨身に染み込んでいる人はすぐに考え方を変えることは困難だし、それを直ちに矯正することは、その人の「他者の合理性」を理解したことにはならない。ただの否定で終わってしまうリスクがある。だから、時に時間が必要なことがある。
「後ろ向き責任」と「前向き責任」の考え方など、とても面白い内容を例を交えて説明してくれている。
福祉ってなんだろ、と改めて考えさせてくれる内容だし、定期的に読み返したいなと思う本。