あらすじ
ユダヤ人とは誰か。民族共存とは何か。今こそ知りたい中東の日常と一神教の手触り。イスラエルの大学で教鞭を取る著者が、政治状況が急速に悪化するなか、ユダヤ人の家族やアラブの隣人たちとの交わりを通して、追求した問い。批評精神とユーモアを交えながら、複雑な現実の重層性を明らかにする!【内容】ユダヤ人とは?◆乾いた夏と恵みの雨◆男と女◆安息日の過ごし方◆だれでも話せるヘブライ語◆二〇〇〇年後の帰還◆ユダヤ人から見たキリスト教徒◆キブツの危機◆日本と出会うイスラエル人学生◆憎悪に抵抗する記憶◆ユダヤ人とアラブ人◆安全と防衛 テロと選挙 兵役の意味◆改宗への道◆二つの成人年齢◆家族の意味◆公教育の役割◆産めよ、増えよ、地に満ちよ……◆不安とオプティミズム◆割礼という契約◆死と葬儀◆ユダヤ人であることの困難◆ユダヤ人と日本人【著者】1960年、大阪生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期過程修了。博士(学術)。現在テルアビブ大学人文学部東アジア学科講師。著書『ヘブライ語のかたち《新版》』(白水社)、『古代イスラエルにおけるレビびと像』(国際基督教大学比較文化研究会)など。訳書多数。
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ローカルからの視点
著者はテルアビブ大学で教え、イスラエル人を夫に持つ。イスラエル側の視点に偏向することもなく、長年暮らした人にしか分からない「日常生活」を軽やかに伝える良書。
Posted by ブクログ
(よしもとばななの「とかげ」では)日常生活の細部を神に捧げることに心を砕き、それを幸福の基盤とするかつてのユダヤ人のあり方が、人の羨望をかき立てるほどの仕方で確かに示されている。(略)
一方イスラエルというユダヤ人国家が建設されてからは、ユダヤ人が日常生活の諸規定を自らのより所としなくてもよくなったのは事実である。そればかりか宗教的な人々からの規定を押しつけられるのを嫌う人々も数多く出てきた。様々な規定は、もはやユダヤ人と非ユダヤ人を分けるアイデンティティの基盤という意味を担っているだけではない。何を食べ、何を食べないかに対して個々のユダヤ人が下す態度決定は、ユダヤ人社会の中で自らが宗教や伝統、あるいは政治的側面でどのような立場をとるのかに関わる問題となった。
執筆に当たっては、過度のセンチメンタリズムとも私怨とも極力距離を置くようにつとめたつもりだが、それは私がいわゆる「中立的」視点に立とうとしているという意味ではない。私は、一人の人間は確かに様々な立場を理解しうるが、やはりいずれかの立場にコミットせざるを得ないのだと思っている。いったん選んだ立場に永久に固執する必要はもとよりないが、自らの立場を引き受ける用意のない人間は、「中立的」であれなんであれ、どのような視点も持ち得ないのではないかと思うのである。