あらすじ
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』は、生物の進化がなぜ起こるのかを自然淘汰で説明し「神が天地創造の際にすべての生き物を完璧な姿でつくった」というキリスト教の世界観を覆した。コペルニクスの地動説と並び、人類に知的革命を起こした大名著である。
しかし、『種の起源』はかなりわかりにくいので、内容がきちんと理解されていない。「ダーウィンは『種の起源』で、人間の進化については一切述べていない」とか「『種の起源』によって神を否定した」など、もし読んでいればすぐに間違いだとわかるコメントが、後を絶たない。
日本でいえば江戸時代に書かれた本なので、現在からみれば間違いがたくさんある。けれど、専門的な知識がないと、どこが正しくてどこが間違いかを判断するのは難しい。これが、小説や哲学などの古典と科学書の古典を読む際の大きな違いだ。
本書は、そんな『種の起源』の重要なポイントを押さえながら、最新の生物学の知見も身につく本。
主な特徴は以下の5つ。
1)『種の起源』より薄くて、短い時間で読める。
2)現在の科学からみて、正しいか正しくないかを明記する。
3)最新の進化学の知見も、読み物として楽しく解説する。
4)『種の起源』を読んだ人の記憶に残るであろう部分は、科学的に間違っていても省略しない(もちろん間違いであることは明記する)。
5)『種の起源』を読んだときに記憶に残らないであろう部分は省略する。
つまり、読者の頭の中に、実際に『種の起源』を読んだ後と同じ記憶が残るような本、一言でいえば、『種の起源』を読んだふりができる本を目指す。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
タイトル詐欺。
ふざけた内容かと思いきや、読んだフリが出来るくらいの理解度になる事を目指した本で、内容は至極真面目です。
さらに、当時の時代背景など、種の起源だけを読む以上の知識が得られるよう構成されていますので、満足度は高いです。
種の起源の、科学における意味付け、つまり何が革新的だったのか、現在の進化生物学とどういう関係にあるのかがよく分かります。
あえて悪い点を挙げるなら、電車などで読むときにタイトルを見られると恥ずかしい事でしょうか。
自分はブックカバーをかけて読みました。
Posted by ブクログ
タイトルの通り、ダーウィンの「種の起源」を読んだふりができる本です。
非常に気になる一冊だったんですが、なんだか装丁が豪華で、タイトルもふまじめな感じがするし、値段も安くはないしで買うのをためらってました。
結果、読んで大正解の良本でした。
私もご多分に漏れず、種の起源を買ったのははや6年ほど前、そして読んでる途中で匙を投げて放置している人間の一人。
積読ではなく、こりゃ分からねーやと断読しているというありさまです。今後も読まねーだろなと小声で思っています。
この本を読んだ今、オリジナルをあきらめた私の判断は正解だったと思っています。
ダーウィンの種の起源の何が画期的だったのか?現在の知見から見るとどのような記述が誤りなのか?当時の他の学者たちや大衆の反応はどうだったのか?という点が専門家の知見をもって解説されており、しっかりとタイトルを回収しています。
著者によるダーウィンの人柄や性格についての考察も、最小限ですが印象的でした。
一般人の98パーセントくらいまでは、種の起源そのものよりこちらの本から読んだ方が良さそうです。
ダーウィンという人物、種の起源という書物が、歴史上のレガシィではなく、リアルで立体的なものとして浮かび上がってきます。
著者の深い読みと知識、プレゼン能力にも脱帽です。
Posted by ブクログ
スティーヴン・ジェイ・グールドのエッセイを通して、ダーウィンの考えはおぼろげに知っていたけれど、いつかは読んでみようと思って(内心ではきっと読まないだろうなとも思って)いた「種の起源」。こんな美味しい本があるじゃないの、と、手に取ったら本当に美味しかった。
おススメ。
Posted by ブクログ
クリプトビオシスからの復水時に他生物のDNAを取り込むヒルガタワムシという存在に8~9%くらい持っていかれた
ちゃんと『種の起源』を読んだふりができそうな感覚がある。
そもそも種の起源がかなり体系的に自説の正しさを説明する構成になっていることに加え、筆者が現代で分かっていることや元の論旨にあった補強を足してくれているおかげで、それまでに信じられてきた個別創造説を自然淘汰による進化論で論破する過程がよく理解できた。
ダーウィンの凄さは、反対論者の主張に真摯に向き合って咀嚼しつつ、ひたすらに膨大な量の観察を続け、当時の科学の限界ギリギリまで進化論を高みに持ち上げたことなのだとよく解った。
個別創造説を否定しキリスト教信者たちの猛烈な批判を受けたダーウィンでも、元々は信仰を持って「神がすべての生物の始祖だけを創造した」という考えのもと進化論を積み上げたわけで、科学と宗教の切っても切れない関係を改めて認識させられた。
また、一度も金のために働くことなく圧倒的な研究力を支えた実家の太さを、ウェッジウッドの陶磁器を見るたびに感じたくなった。
科学史のifとして、ダーウィンにメンデルの遺伝の法則と突然変異の仕組みや計算機工学の知見と技術、あるいはSFの名作と執筆意欲を与えて、どれだけ科学と文学に貢献できるかも見てみたいと思った。
生物の進化と自然言語の変化の間には、そっくりな形の系統樹が表すとおり、強いアナロジーが見えた。
実際に比較言語学と生物学は相互に影響を与えながら発展した側面があるようで、ダーウィンの他の著作でも自然言語と生物学の類似に触れているらしい。
自然言語においても共通祖語の存在による「相同」と収斂進化や借用による「相似」、自然淘汰や痕跡器官のような事象が見られたり、地理的条件による進化の違いがあったり、過去の化石と現在の子孫から祖先について考える歴史言語学があったり、とにかく似ていて興味が尽きない。
来年は『利己的な遺伝子』を読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
もともと、種の起源は、科学書ではなく神学書として書かれた=神の創造を否定していない。最初の生物を神が作った。
自然淘汰=性淘汰と環境淘汰
要不用=現在では誤りとされている
生活条件の直接作用=基本的には誤り
習性=後天的に獲得された習慣的な行動=生活条件の直接作用と、要不用に重なる。
ビーグル号にナチュラリストとして乗船した。
進化は進歩ではない。絶対的な意味の進歩はない。
Posted by ブクログ
読んだフリができる気は全くしない。。。
種の起源は、神学書。
最初の生命は神が作ったとしているから。
ただし、神学書の部分はそこまでで、
生命の多様性の説明は科学として進化で説明ができるとした。
従来、個々の種は全て神が作ったとされてきた。
そうではなく、変異が生じ、それが自然淘汰され、異なる種に文化していく。
ダーウィンは、変異の原因こそ誤ったが、
そこから得られる結論は正しかった。
ダーウィンの説は、極論すると、全ての生命には起源となる種がある、と。
中間種がないのは、両極の種と競争したときに、どちらと比べても中途半端なので絶滅してしまうから。