あらすじ
麻田雅文氏(10万部/読売・吉野作造賞『日ソ戦争』著者、成城大学教授)推薦! 「日本降伏の真因は米国の原爆投下か、ソ連参戦か。本書により、“原爆神話”は解体された。終戦史を再考し、通説を覆す新解釈」第二次世界大戦で日本が降伏した要因は何か。著者は、米国の原爆投下ではなく、ソ連参戦の効果のほうが大きかったと分析。背景にあったのは、和平に向けてソ連の仲介に頼った日本指導層の過信と誤算だった。また、米国は戦争の早期終結をめざしたが、二発の核使用は結果的に正当化できない選択だった。戦後80年、我々は何を教訓とするべきか。戦争終結研究の第一人者が長年の論争に挑む。 【本書の要点】●「ポツダム宣言は核使用の口実だった」は誤り ●戦争終結のために原爆投下以外の選択もありえた ●日本は希望的観測から、ソ連の仲介に頼った ●昭和天皇が東郷外相と面会した本当の理由 ●日米の真の同盟のため、史実を探求するべき 【目次】●第1章:戦後日米は二発の核兵器使用をどう捉えてきたか ●第2章:米国はいかにして核兵器の使用に突き進んだのか ●第3章:核外交かコスト最小化か ●第4章:日本はいかにして降伏を受け入れたのか ●第5章:核要因かソ連要因か ●第6章:「妥協的和平」より「根本的解決」を選んだ米国 ●終章:忍び寄る現代の核の危機
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Posted by ブクログ
原爆を投下され、和平交渉の望みとしていたソ連が参戦し、聖断へ。アメリカとしてはソ連に対する牽制もあり、原爆を使いたかったのであろう。6日に投下し3日後の9日2発目を投下。日本は相変わらずの外交下手でソ連に和平交渉を。しかしソ連は日本侵攻への時間稼ぎもしたかったのであろう。日本としてはソ連参戦が一番きつかったのかと思われる。もっと早く終戦を決断できなかったものなもか。最終的にはアメリカ陣営の傘の中に入ることで今に繋がっている。アメリカとしても共産圏に対する壁として必要だったのであろう。
Posted by ブクログ
日本が第二次対戦で降伏したのは、何が原因だったのか?まず原爆使用が、戦後、アメリカがソ連に優位な立場にするための「核外交説」とその後の本土決戦を見据えての「コスト最小化説」なのかを論じる。トランプは後者を信じているようだが、そんな単純ではない。さらに日本が降伏を決めたのは、核使用かソ連参戦かに進む。甘い見通しに縋った日本と、慎重さを欠いたアメリカ、国際法を破ったソ連。一般の日本人の命は、当時は頭になかったのだろう。スターリンにもトルーマンにも、そして日本の指導者たちにも。
Posted by ブクログ
原爆に依って戦争が終結したと学んだ・理解している日本人が多いであろう中、ソ連参戦などの複合的要因も含めて、なぜ日本が降伏したのかを論じる本書。
どの要素が最も効果的だったのかを論じている章は、タラレバ論過ぎてちょっと不毛で退屈だったが、各国の思惑が詳細な時間軸を通じて、生々しく追体験出来たのは良かった。
Posted by ブクログ
日本が敗戦した1945年8月。広島、長崎と相次いで原子爆弾を投下され、更には不可侵条約を締結していたソ連が満洲に攻め入るなど、8月15日の終戦に向けて直走る日本の姿がそこにはあった。現代史では日本の敗戦理由について、ソ連の日本進出、赤化を恐れたアメリカによる原子爆弾の投下が、ソ連に対する威嚇行動であったとする旨の内容で教えられるそうだ。私の勉強した頃がどうだったか、という記憶はないが、ソ連がヨーロッパでの対ドイツ戦を終わらせて、東へ進出するとなると、強大な兵力により日本が脅かされる事は間違いない。それまで太平洋を中心に日本と激戦を繰り広げながら多大な人的被害を出したアメリカがソ連の参戦を許してしまうと、すでに弱りきっている日本はそれに対抗することもできない。そこまで日本を追い詰めたのは米軍の犠牲に成り立つのに、後から来たソ連が、掻っ攫っていく状況をアメリカは阻止する必要がある。このようなストーリーはアメリカが日本との戦いの最中も、将来のソ連=共産圏の進出防止に向けた闘い(所謂、冷戦時代)を見据えていた事は間違い無いだろう。だからアメリカは自国が世界に先駆けて開発した核兵器の威力を、共産圏であるソ連に見せつけ、威嚇する必要があった。これはその後の世界情勢の流れを見ても間違っていたとは言えない。
では、日本を屈服させた要因はなんだったのであろうか。そこに言及するのが本書の内容だ。文字通りタイトルは『誰が日本を降伏させたか』である。基本的には原子爆弾投下という手段が「何故」用いられたのかについて、その時代的背景や戦況を踏まえて分析した内容となっている。現在のアメリカの主流の考え方となっている、原爆を使わなければ更なるアメリカ国民の犠牲が増える、という戦争の人的コストを中心とした考え方。これは、アメリカで一般的に考えられている、原爆があったから戦争が早く終わった(=被害が少なく済んだ)という考えである。一方で日本の歴史学習で教えられる、ソ連の威嚇=外交的な側面としての考え方も存在する。更にポツダム宣言受諾を迫られ、天皇陛下を中心に受諾の是非を検討する最中、ソ連が条約を破り日本に攻め込む事態に。これによりソ連を仲介者として和平を検討する日本の頼みの綱は失われる。実際にはヤルタ会談でソ連の参戦はとっくに決まっていたから、ソ連からすれば、これから戦争をしようとする日本の意見を聞き入れるはずもない。こうした各国の思惑を見誤った日本の失敗とも言えるが、このソ連の侵攻は残された唯一の和平に向けた手段すらも無くなり、絶対絶望の危機へと日本を突き落とした。こうなると、日本の敗戦の決断が、原爆投下のタイミングにあったのか、ソ連の参戦にあったのかで、「誰が日本を降伏させたか」の議論につながるのである。歴史とはある特定のタイミングだけを見てもわからない。また歴史自体が既に過ぎ去った時間であり、そこに居た人々の心理や考え方を正確に掴むこともまた不可能だ。となればそれに続く流れを読み、推測の重ね合わせにより、より事実に近い論を展開していくことになる。戦争開始を1941年12月3日の真珠湾攻撃としてしまうと、アメリカとの戦争に入った事実だけを見てしまい、アメリカが果たさなければならない戦争目的、アメリカにとっての戦争終結のゴール感を見誤ってしまう。よって少なくとも日本が中国に進出した1931年まで広げて、その終わりを原爆投下よりも後の、ソ連の侵攻に広げてみる必要がある。
本書を読み日本敗戦の理由や、各国の思惑を一緒に学んでいく事は、これからの日本の在り方を模索する一つの手掛かりになりそうである。