あらすじ
「状況芳しくなく、腹は決まっています」
「これが最後の通信になるかもしれません」
「足の悪い者や病人は濁流の中に呑まれて行く」
最前線、爆弾投下、連絡員の死、検閲……
何が写され、何が写されなかったのか?
兵士からは見えなかった〈もうひとつの戦場〉
「太平洋戦争勃発の際、ハワイでの奇襲攻撃は知っていても、その数時間前に日本軍の銀輪部隊(自転車部隊)がマレー半島を南下し、戦争勃発の引き金となった事実は、少なくとも日本では風化された記憶になっている。
一方で、戦争の被害を被ったマレーシアやシンガポールでは、こうした戦争の記憶は、学校や博物館だけでなく、家庭内でも継承され続けている。戦争に関する記憶のギャップは著しい。
世界で戦争や紛争が続く中、私たちにとって「戦後」とは何なのだろうか。
果たして、戦争の記憶を継承することはできるのか。
特派員たちは現場で何を見たのか。
ひとりひとりの仕事と人生を追うことで、知られざる「戦争の実態」が見えてくる」――「プロローグ」より
【目次】
第一章 戦争は報道を変えたか
第二章 特派員の叫びは新聞社首脳の耳に届いたか
第三章 戦時下中国で記者が取材したこととは?
第四章 帝国日本の周縁で何が起きていたか
第五章 南方で軍と新聞社は何をしていたのか
第六章 「不許可」写真は何を写していたか/写していなかったか
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Posted by ブクログ
現代社会は情報に溢れている。テレビやラジオ、雑誌だけではなく、インターネットやSNSからも大量の情報が流れ込み、頭の中に一度溜め込んで一つ一つの情報について深く考える時間などない。同時に情報に飢えている時代にもなっている。それは大半の情報が誰かの主観や狂言、真実とはとても言い難い、ある意味稚拙な偽情報までもが濁流の様にいっぺんに目の前を通り過ぎていくから、誰かとの共感や共通の話題、そして一部の真実の情報に辿り着けずにもがいている状況に見えてくる。下手に安易に流行に流されたりしてしまうと、それは偽情報に惑わされた狂った集団かの如く、情報の真実性を見極められる一部の冷静な集団からは、冷たい視線を浴びる事になる。勿論、そちらが大衆であれば(徒党を組んでいたなら)、まさか正しい側がまるで誤っているかの様に扱われる事すらある。情報分析力に優れ、努力して真実を掴んだ側からすると残念ではあるが、それが現代情報社会の表面だったりする。
今年は戦後80年になるが、太平洋戦争につながる中国大陸での戦いの最中、現代社会とはまるで異なる情報社会がそこには存在した。勿論、情報ソースは限られ、通信手段も現代と比べて遥かに未発達な時代だ。人々は専ら新聞による情報を信じるしかない時代。更には軍国主義に染まり、国政や軍事に対して不利になる様な情報は、権力側の篩にかけられ、都合の良い情報しか流れてこない。そうした意味では現代と同じく、人々は真実の情報に飢えていた点で同じと言える。但し圧倒的に少ない情報量であるから、努力すれば情報の選別は出来た時代かもしれない。その様な時代に戦争を伝えるための戦争特派員がいた。本書はその中でも現在の毎日新聞に繋がる、毎日新聞大阪支社(大毎)、旧東京日日新聞の毎日新聞東京支社(東日)を中心に、戦場に真実を求め、命懸けで戦場を駆け抜ける記者=特派員の姿を追う。
日本が軍国主義一色に染まり、国を挙げて総力戦で戦わなければならない時代。当然の如く、戦場で撮られた写真や描かれた記事には検閲が入る。よって世に出てくる写真を中心とした報道は、相当絞られて読者に届く。ましてやこの様な時代に、日本の負け戦情報を流す訳にはいかない。日々伝えられる敵艦撃沈などの情報は、完全に捏造されたものになっていく。その様な状況下でも、同社は少しでも多くの真実を伝えるために(それが世に出ない事がわかっていても)、多くの特派員を中国や南洋の島々に送り込む。そして戦場の兵士と同じな様に被弾し、爆発に巻き込まれ、そして消息を断つ。戦時中は多くの報道班員があらゆる場所で命を落としてきた。兵士の死だけではない、その真実を伝えながらも、僅かながらに残された写真の数々。更には検閲を抜けて新聞誌面を飾った写真の数々。きっと恐らく、写真を撮ったカメラマンや記事を書いた記者などは、決して全てが公開されないことを理解しつつ、読者に見えない行間を読んで欲しかったのだと思う。切り取られた写真と、動かない文字の背後には、カメラマンや貴社の目に映り、脳裏に焼き付いた様々な戦場の真実と真の恐怖があったに違いない。だから読み手である私たちは、しっかりとその行間について考え、考察をつなぎ合わせながら、訴えたかった真実に迫る努力を怠ってはならない。面倒くさがって入ってくる情報を鵜呑みにして仕舞えば、情報の嵐の下、無惨に大波に飲まれる自分に気づくだろう。
本書はそうした情報を命を危険に晒してでも集めに行った多くの報道関係者がいた事を教えてくれる。そして情報に溢れ、「怠った」私たちに警鐘を鳴らしている。それは二度と戦争を起こさない事、自分の考えを持って、戦争に抗うことこそ、平和を継続するために必要な態度である、という事を教えてくれる。