あらすじ
脳腫瘍の後遺症に苦しむ中、引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」。伝説のプレーから4年後、横田慎太郎は28歳でこの世を去っ
た。阪神はその年に38年ぶりの日本一。歓喜の中心で舞ったのは、横田選手のユニフォームだった。人々に愛され希望となった青年の
生涯を、母親の目線で描く。絶望と挑戦、そして絆。感涙のノンフィクションストーリー。
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Posted by ブクログ
慎太郎さんの[奇跡のバックホーム]を拝読して、ここまでまっすぐ生きている男がいるのかと驚きましたが、次に注目したときは、お亡くなりになったときでした。
何で?と、あのまっすぐに生きていた男が何で?と、しばらく思っていたことを覚えています。
感想を言葉にしようとすると、「まっすぐ」の言葉が何度も浮かびます。
僕の語彙力の無さを痛感しつつ、慎太郎さんの周りの方々にこの想いが広がって行く様子には、結末を知るだけに苦しくも温かな気持ちになります。
ご家族はもちろん、阪神タイガース入団後は同期に先輩、監督にスタッフ、病院の方々、大勢のファン…。
その想いは異例の引退試合に繋がり、引退後も慎太郎さんが渾身の力で立たれた講演会で、さらに多くの人に届いたのでした。
僕もいつの間にかその1人に、身内のような気持ちになっていることに気付きます。
慎太郎さんをそばで励まし、一緒に喜怒哀楽を分かち合ったまなみさんをとおしての視点と言うこともあり、その場に僕もいるかのように心を揺さぶられ続けました。
とくに手術で一度失われた視力が戻り始めたとき、窓のブラインドを何度も上げ下げして日差しが見えることを喜んだ場面には、僕まで頬がゆるみました。
そして「最後の港」へと進み、これまでの数々が決してフィクションでは無く、読んでいる今に繋がっていることにハッとさせられます。
慎太郎さんが最後まで前を向いて、まっすぐに、全力で駆け抜けたことに、本文にもあるように拍手を送りたくなりました。
スポニチの遠藤記者は「努力のバックホーム」と評しましたが、それは今も生きる僕が、まるで努力と呼べることをしていないことを意味します。
ありきたりながら慎太郎さんに近付きたい、どんな環境でも諦めず、目標を持って日々に臨もうと強く思いました。
読み終えたのは映画版[栄光のバックホーム]公開直前で、プロダクションノートや予告編、ドキュメント番組、そしてユニフォームが舞った胴上げの動画なども繰り返し見ました。
そのたびに胸が一杯になり、涙があふれました。
ゆずの[栄光の架橋]も、サビ前の♪ジャジャジャンと言うところを聞くだけで胸に迫るほどです。
もちろん映画も見に行きます。
慎太郎さんをこれまで深く存じ上げずにいたことを、悔やむばかりです。
そして、プロ野球はあまり興味が無かったものの、慎太郎さんの足跡が残り、復帰を信じ続けてくださった阪神タイガースを、これから応援したいと思っています。
今はことあるごとに、「24」の言葉を選んでしまいます。
映画やドラマで、感情を揺さぶられることが苦手です。
普段は避けている僕が映画を勧めるのですから、周りは驚いたと思います。
予告編を見た後に「お涙頂戴か」と言われたこともありますが、そう誤解してしまうほどにまっすぐ生きた男が横田慎太郎なのだと、今さらですが断言出来ます。
僕も少しでも追い付けるよう、並べるよう、目標を定めながら努力します。
読書しながら初めて涙があふれた1冊、読んだだけにせず、必ず行動に繋げます。
Posted by ブクログ
たった今、読み終えました。
慎太郎さん、お母様の生き様、言葉にできないくらい感動しました。
世界中の人に読んで欲しいです…。
そして、私はジャイアンツファンですが、阪神は選手を大切にする素晴らしい球団だと思いました。
⭐︎5では足りません。
次は『奇跡のバックホーム』を読みたいと思います。
Posted by ブクログ
プロ野球選手になるのは大変なこと。
ましてプロとして活躍するのはもっと大変。
親子二代でプロ野球選手となった横田選手には、それ以上の苦難の日が待ち構えていた。
亡くなった横田選手のご遺族から話しをきき、ノベライズした中井さんありがとう。
光が当たらなかった人の人生が輝いていたことを知りました。
Posted by ブクログ
連日の白熱した高校野球の試合に触発され、野球関連の本を読みたくなり、書店で手に取った作品。
若くして亡くなられた元阪神の選手、ということだけは存じていたが、今回その半生を詳しく知るところとなり、本人とそのご家族の強い絆、結びつきに圧倒された。果たして自分はこれほど家族と向き合ったことがあっただろうか。