あらすじ
遺族が辿った不屈の物語
1985年8月12日。航空史上未曽有の悲劇。遺族の悲しみと苦しみは想像を絶した。なんの予兆もなく突然、愛する者を奪われた家族たちは、うろたえ、動揺し、泣き叫び、茫然となった。
父を失った「息子」たちは、やがて「父親」となった。ノンフィクション作家・門田隆将は思った。「あの、寡黙な男たちこそ、何かを後世に伝える義務があるのではないか」――。
<私は、今は「父親」となった当時の「息子たち」を訪ねる作業を始めた。それは決して愉快なものではなかった。訪ねていっても、胸の内を吐露してくれる男たちはむしろ少なかった。今なお、自らの内面を「語る」ことに納得ができていない男たちの方が多かったのだ>(「はじめに」より)
しかし、何人かが取材に応じてくれた。彼らは四半世紀という長い年月を経て、苦悩と悲しみを克服していった。
哀しみの「時」は、いつまでその針を刻み続けるのだろうか。最愛の人を事件や事故で奪われた家族は、どうやって絶望を克服できるのか。
本書で取り上げる5つの「父と息子の物語」に、そのヒントがある。
『風にそよぐ墓標』、待望の電子化。2012年10月、WOWOWにてドラマ化!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
横山秀夫さんの「クライマーズハイ」を読んだことで、日航機墜落事故に興味を持ち、本書を拝読するに至った。
1985年に起きた同事故は、私が生まれる前の事故であったが、事故の大きさから何度も耳にしたことのあるものである。
当時のニュースや報道は見たことはないが、本書を読むことにより、事故の凄惨さや悲惨さがリアルに感じられ何度も涙した。
愛する家族を突然失ったら、絶望で目の前が真っ暗になるだろう。
だか、家族の遺体を持ち帰る為に、奮闘する遺族たちの姿は、日本人の持つ強さを感じさせてくれるものであった。
Posted by ブクログ
大切な人を突然奪われる不条理。
平時は自分とは遠いことのように感じるけれど、それは本当に突然、ある日足音もなく訪れる。
このような不条理に直面したときに、いつかそこから立ち直り、より良い人生を生きるためには何が大切なのだろうか?
あの事故で家族を失った少年が、大人になり結婚し家族を持つ喜びをひしひしと感じている。「普通の家族団欒を過ごせることが何よりの幸せ」と語る言葉の重みは、あの悲劇で受けた彼の衝撃を分かることなど決して出来ないけれど、家族を持つ一人の父親となった私の中にずっしりと深く残った。
Posted by ブクログ
WOWOWでのドラマを見て買いました。
今でも生存者発見のニュースを思い出せるのに
こういう視点でこの事故を見たのはじめてです
本当にすごい事故でした。
あれから27年経ったんですね。
Posted by ブクログ
今年読んできた数々の本のなかで、最高ランク。
1日、1日の大切さを改めて思う。
涙が止まらなくなるという経験を久々にした。
ぜひ、お手にとってほしい一作だ。
そして、こんな仕事をしたいとも思った。
人により添い、社会問題を提起していくような。
Posted by ブクログ
1985年の日航ジャンボ機墜落事故で父親を亡くした当時子供だった遺族が大人となり、その当時のことについて語ったノンフィクション。
愛する家族が突然この世を去るという事故の不条理さ、その後の遺族の苦悩、事故の悲惨さが伝わってくる文章で、著者の取材力・表現力の確かさを感じられた。
家族について考えさせられた作品。
Posted by ブクログ
『慎太郎、男はなくもんじゃない。でも、今日だけは••••••一緒に泣こう』本文引用
最愛の人を突然に失ったとき、人は泣きじゃくるのか?
それとも、何かに苛立ちをぶつけるのか?
ぼーぜんとし思考が遮られるのだろうか?
そこから立ち上がるのにどれだけの時間がかかるのか?
それともいつまでも引きずりつつ生きるのか?
最愛の人の思い出と共に前向きに生きるのか?
本作は最愛の人を失った人々がいかに乗り越えたのかを読み手に伝える。
Posted by ブクログ
忘れもしない1985年8月12日。
単独機による事故としては、最大の犠牲者を出した
日本航空123便墜落事故の、遺族のその後を描いた本。
この事故の衝撃は大きく、「日航機墜落事故」と言えば、
この事故のことを指すほどになってしまいました。
その中でも特に本書では、数少ない男性遺族(息子)に
焦点をあてたものになっています。
本が書かれたのは、事故から丁度25年を経た2010年。
事故当時の少年は成長し、自分の家族を持ち、
人によっては、事故で失った父親と同い年になっている
人物も居ます。
いやぁ、涙なしには読めないですね。
外出の最中、電車の中や、カフェとかで読んだんですが、
うっかりすると泣きそうになるので、危険でした。
自然災害と事故の違いはあるものの、
どうしても2011年3月11日の事を思わずには居られませんでした。
東日本大震災では、このJAL123便の事故と同様、
一気に家族を失った少年・少女が多数居ます。
彼ら・彼女らの、将来が明るい物であることを
祈念してやみません。
Posted by ブクログ
1985年8月12日。あの日航機事故から四半世紀が経つ。男たちが語るにはそれだけの「時間」が必要だった―。群馬県・藤岡市。変わり果てた家族と対面した体育館で遺族は茫然とし、うろたえ、絶望した。息子たちはそれでも目を背けたくなるような肉塊と向き合った。時は流れ、やがて、彼らも自身も父親になった。愛する者を突然亡くした体験を家族たちはどう乗り越えたのか。ノンフィクション作家・門田隆将が日航機事故で父を失った息子たちを訪ね、描き出した遺族たちの不屈の物語。
Posted by ブクログ
日航墜落は当時17才の私は衝撃だった。
事故を知ったのは、オレゴン州だった。
ホームステイ中だった。
ホストの父親さんから知らされた。
新聞にはJALとかかれた翼があった。
四半世紀もたつのに、関連図書を見つけると
気になるのは、やはり衝撃の強さの
影響だろう。