あらすじ
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期待を胸に日本で留学生活を始めた韓国人のうーちゃん。サークルで出会った日本人の先輩いっしーと付き合うことになった。
付き合って一ヶ月、いっしーが「きれいな日本語」を喋ってと言ってきたのだけど…積み重なるモヤモヤの先にしたうーちゃんの選択とは?
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
誰かの言葉や態度によって、まるで酸に浸されるように、じわじわと傷ついていくことがある。
その言葉がはっきりとした「悪意」に基づくものではなく、むしろ何らかの「思いやり」だったり「正義感」に基づくものだった場合、そんな相手の思いに寄り添うことによって、自分が何に対して傷ついているのかすらわからなくなり、さらには、「傷ついている」と思うのは自分に非があるのではないか、とすら思いはじめ、自らの声を奪われたまま、自分を浸しているはずの酸から目を背けていく…。
本書は、そんな、じっくり人を傷つけ壊していくような差別が、何気ない日常のなかに突然現れ、「見ないようにしよう」としているうちに、ひとを傷つけていくさまに焦点を当てている。
「差別」に焦点をあてる物語は、はっきりと明確した「悪」や「暴力」に焦点を当てることがほとんどだ。日常のなかにふと現れ、「なかったことにしよう」「見なかったことにしよう」といってやり過ごされてしまうような言葉や行動(「マイクロ・アグレッション」という概念はそのような現象を切り取ったものだろう)を、物語として描き出すことは難しい。
それは決してドラマティックではなく、エピソードとして描くにはあまりにも刹那的で、見えないものなのだ。
本章は「日常系エッセイコミック」のかたちをとることで、そんな日常のなかでとつぜん現れるような、見なかったことにされてしまうような差別や攻撃をそのまま描き出している。
あまりに「そのまま」に描き出すので、もしかしたら本書を選んだ人たちのなかには、いくつかの作品のなかに描き出された差別について気づかないのではないか、とすら思わされる。
読み手である自分自身が試されるエッセイコミックだ。
いかに自分自身のなかの「いっしー」を見出し、それと向き合えるか、が問われている。
Posted by ブクログ
――わたしはあなたの望む「外国人」になろうとした――(本書帯より引用)
韓国人留学生であるウ・ユンスルさん(通称:うーちゃん)が日本で過ごした11年間に体験した様々な出来事を、ゆるふわタッチの可愛いイラストで描くコミックエッセイです。
特に何と言ってもカワイイ! と思ったのは、124ページの髪の毛を持ち上げるうーちゃん。内容が重いので、並んでいるイラストに癒しを貰って相殺している感じがします。
「ダーリンはネトウヨ」という衝撃的なタイトルで、読む前のイメージは「ゴリゴリのヤバイ思想の彼氏がいて、その彼氏に嫌なことを沢山言われる」みたいなものでした。
しかし、実際に読んでみると少し違っていて、恐らく「いっしー」(主人公の彼氏)というキャラクター性を持った人物は日本の少数派などではなく(いっしーが特別ヤバイやつなのではなく)、ごく普通に日本で生活をしている日本人の多くが多かれ少なかれ、いっしーと似たような思想をしていたり、同じような発言をしているのだろうな、と感じました。
「まだ訛りがあるけど、歌うときは完全に日本人だね」
「うーちゃんはもう日本人だね」
「海苔を消化できるのは日本人だけなんだって」
「日本語は世界一難しい言語。それを話せるうーちゃんはすごい」
などなど……悪意があるとは断定できないものから、いっしーの潜在意識のなかにある日本人(である自分)の優越感がみえみえの発言まで、バリエーション豊富な展開()に目を白黒させながら読みました。
いっしーがつき合ったのが日本人女性だったら、いっしーの差別の片鱗は片時も露見することがなかったのだろうか? と考えたりもしました。
(発言した本人からすれば)他愛のない言葉が、言われた人を傷つける(=差別発言)わけですが、残念ながら我々は日常的に、常にそのことに対して万全の注意を払っているわけではありません。
だからふとした瞬間、そうした無意識の差別発言が外へ飛び出し、相手を傷つけてしまう。
まさに「差別をしない人なんていない」のです。
「差別」と聞いて我々が思う、過激で、誰にでもそれとわかるもの(=故意的な差別)とは違って、「悪意のない差別」(=無意識的な差別)というようなものが存在していて、それらがうーちゃんを苦しめる様子が、本書ではリアルに描き出されています。
それから、この本を読んでひとつ思ったのは、この主人公が「うーちゃん」ではなく、エリザベスやカロリーナや、アンナだった場合はどうだろう? ということです。
いっしー(日本人男性)たちは彼女らに「訛りがある(から直した方がいい)」「もう日本人みたいだね」と言うのでしょうか?
そう考えた時に浮上してくるのは、うーちゃんが「日本人にとても似ている風貌の韓国人」だから受けている被害というものの存在です。
これが、個人的には日本では顕著な差別の正体ではないかと思っています。
こういう話をネット上に(特にSNS)書くと、「韓国が好きなのか?」と言われる現象も含めて、これらは「差別」ではないかと思います。
よく、韓国と絡めて政治的軋轢があるから……という人がいますが、両国間に政治的な問題があることと、その国籍の人を冷遇することは全くの別物でなければならないのです。冷静に考えれば、分からない人の方が少ないことです。
また、本書には「フェミ(ニスト)」について「いっしー」が拒否反応を示す場面も出てきます。
「韓国への拒否反応」「フェミへの拒否反応」両者に共通していることは「敵対意識(時にマウント行為)」と「無理解」です。
差別をすぐにゼロにすることは難しいですが、個々が意識することで、延々と繰り返される「〇〇人なんだね! 鼻が高い!(目が青い! 肌が黒い!)」といったような会話は終わらせることができます。
その為に必要なのは「知ること」「コミュニケーション」そして「互いの尊重」。
この本を読んだことで、私もひとつ、差別について認識を深めることができたと感じています。
Posted by ブクログ
韓国人留学生が日本人と付き合った経験を描くコミックエッセイ
差別を無自覚にやってる人が、普段はいい人というか優しい面もあるっていうのが本当にリアル
人間は多面体だから付き合うまで見えない部分もあるし..
心えぐられる内容だけど絵がかわいくてスラスラ読めた
Posted by ブクログ
『ダーリンはネトウヨ』は、異文化と異なる価値観の中で展開される感動的なロマンス物語です。物語の中心には、韓国からの留学生と日本人のカップルが登場し、愛と偏見に立ち向かい、和解の道を模索します。彼らの恋愛は、異なる文化、価値観、そして社会の対立に挑む壮絶な戦いの一部でもあります。
この物語は、読者に異文化交流の魅力と困難さを伝え、愛が差別や偏見を乗り越え、人々を結びつける力を示しています。留学生の視点から見る日本社会やネット右翼の問題にも触れつつ、恋人同士がどのようにお互いを理解し、共に成長していくのかを描いています。
『ダーリンはネトウヨ』は、異文化の壁を越えて広がる愛の物語であり、読者に感動と共感をもたらすでしょう。異なるバックグラウンドを持つ人々の恋愛が、和解と共感のメッセージを届けてくれます。
Posted by ブクログ
本屋さんと喫茶店が融合した文喫へ行ってみた。
一日、本読み放題で一冊も読まずに帰るのもなあ、という思いで、席の近くに「多様性」の棚があり、そこから。
ふんわりとしたイラストのマンガで読みやすかった^^
ダーリンと付き合う前に別の先輩が家まで送ってくれるシーンがあって、「家まで行くのもあれだし、ここでいい?」と配慮してくれてた。でも、ダーリンは何も考えずに、家の前まで。送る・送ってもらうの関係性のなかで、善意で家まで送ってくれてるのに、「ここまでで。」とは言いにくい。そこで配慮してくれる人が素敵だなって思った。
明らかにうーちゃんはダーリンのおかげで、日本になじめた?し、生活は豊かになったから、ないがしろにはできない…もしそういったネトウヨのような側面はその人を良く知っていくからこそ、見えてくる側面でもあるわけだし、難しいね。
うーちゃんにとっては、ネトウヨにふれる機会がダーリンが始めてだったのかもしれないけど、知ってしまった以上、世の中にあふれるそれが気になってしかたない。何もできないけど、何もせずにはいられないのだ。
「日本語、上手ですね」これは日本人レベルの人には使わない。日本語に関わる身として重い言葉だった。
Posted by ブクログ
日本に留学する韓国人女子。部活動とカレシとの付き合いを通じて感じる文化の違い。存外に切ない展開。
悪意のない小さな偏見が相手を傷つける。Twitterなどで持ってしまうステレオタイプに苦しめられる。
ネトウヨという言葉の使い方もダーリンの性格も逆に考えると日本人のステレオタイプなのかもしれない。
異文化、隣国の理解の難しさ、考えさせられる。