あらすじ
大正七年の五月、二十代の和辻は唐招提寺・薬師寺・法隆寺・中宮寺など奈良付近の寺々に遊んださい、飛鳥・奈良の古建築・古美術に相対し、その印象を若さと情熱をこめて書きとめた。鋭く繊細な直観、自由な想像力の飛翔、東西両文化にわたる該博な知識が一体となった、みごとな美の世界がここにはある。(解説 谷川徹三)
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Posted by ブクログ
40年前に買った、茶色に変色したボロボロの文庫本がまだ本棚にあります。
この本をもって奈良の古寺を巡ったことが、なつかしく思い出されます。
山辺の道、当尾の里の浄瑠璃寺、談山神社、橘寺、箸墓、聖林寺、葛城の高天原伝説、當麻寺、法隆寺、薬師寺の聖観音はいいですよね、仏像は博物館館で鑑賞するものではなく寺に詣って祈るものだということをこの本から学びました。
関東には、日本文化の起源を探れるような場所が少ないので、奈良という土地の古代の空気感がとてもすきです。
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これは本当に美しい。日本語として。文章として。
感想は正直、他の方が書かれているのが参考になります。
感想を書かれる方も、美しい文章だなぁと感嘆致しました。
大正期の、いわゆる有名所の古寺巡礼ではあるけれども、
この本を持って、今はどうなってるのか、答え合わせをしに奈良に赴きたくなりました。
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古都・奈良の古寺とそこにある仏像についての紀行文と言うべきものだろうか。
この本の特徴は日本語の使い方がとても上手かつ綺麗で、頭の中にスッと感覚として入ってくる点だと思う。自分の読書遍歴が浅いからかもしれないが、ここまで綺麗な日本語の文を書く人は初めてかもしれない。寺の名前はともかくとして、仏像の知識は殆どないのだが、仏像の素晴らしさや臨場感をひしひしと感じることができる。
100年以上残っているのは伊達ではないと言うことだろうか。
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古寺巡礼
著:和辻 哲郎
紙版
岩波文庫 青144-1
大正7年著者が、友人と奈良付近の寺々をめぐった印象記とある
ギリシャ⇒インド⇒西域⇒中国⇒日本 を貫く、美術、技法の伝達
仏像をみてなまめかしい感触をもつなど、結構官能的、学術的にはちょっとはずしているのでは
天武帝や光明皇后などの逸話、万葉集と恋歌、そして、仏像とその作者への思い、など、和辻が案内する奈良の原風景は、時代を超えて日本という国が明確に成立した時代、白鳳時代へといざなってくれる
仏像、菩薩、まさに日本の至宝
東大寺三月堂本尊不空羂索観音
聖林寺十一面観音
法隆寺百済観音
法華寺十一面観音
薬師寺金堂本尊薬師如来
薬師寺東院堂聖観音
薬師寺吉祥天女(画)
法隆寺金堂壁画右脇侍
法隆寺橘夫人念持仏
法隆寺夢殿観音
中宮寺観音 等
目次
一 アジャンター壁画の模写──ギリシアとの関係──宗教画としての意味──ペルシア使臣の画
二 哀愁のこころ──南禅寺の夜
三 若王子の家──博物館、西域の壁画──西域の仏頭──ガンダーラ仏頭と広隆寺の弥勒
四 東西風呂のこと──京都より奈良へ──ホテルの食堂
五 廃都の道──新薬師寺──鹿野苑の幻想
六 浄瑠璃寺への道──浄瑠璃寺──戒壇院──戒壇院四天王──三月堂本尊──三月堂諸像
七 疲労──奈良博物館──聖林寺十一面観音
八 数多き観音像、観音崇拝──写実──百済観音
九 天平の彫刻家──良弁──問答師──大安寺の作家──唐招提寺の作家、法隆寺の作家──日本霊異記──法隆寺天蓋の鳳凰と天人──維摩像、銅板押出仏
十 伎楽面──仮面の効果──伎楽の演奏──大仏開眼供養の伎楽──舞台──大仏殿前の観衆──舞台上の所作──伎楽の扮装──林邑楽の所作──伎楽の新作、日本化──林邑楽の変遷──秘伝相承の弊──伎楽面とバラモン神話──呉楽、西域楽、仮面の伝統──猿楽、田楽──能狂言と伎楽──伎楽とギリシア劇、ペルシア、インドのギリシア劇──バラモン文化とギリシア風文化──インド劇とギリシア劇──シナ、日本との交渉
十一 カラ風呂──光明后施浴の伝説──蒸し風呂の伝統
十二 法華寺より古京を望む──法華寺十一面観音──光明后と彫刻家問答師──彫刻家の地位──光明后の面影
十三 天平の女──天平の僧尼──尼君
十四 西の京──唐招提寺金堂──金堂内部──千手観音──講堂
十五 唐僧鑑真──鑑真将来品目録──奈良時代と平安時代初期
十六 薬師寺、講堂薬師三尊──金堂薬師如来──金堂脇侍──薬師製作年代、天武帝──天武時代飛鳥の文化──薬師の作者──薬師寺東塔──東院堂聖観音
十七 奈良京の現状、聖観音の作者──玄弉三蔵──グプタ朝の芸術、西域人の共働──聖観音の作者──薬師寺について──神を人の姿に──S氏の話
十八 博物館特別展覧──法華寺弥陀三尊──中尊と左右の相違──光明后枕仏説
十九 西大寺の十二天──薬師寺吉祥天女──インドの吉祥天女──天平の吉祥天女──信貴山縁起
二十 当麻の山──中将姫伝説──当麻曼陀羅──浄土の幻想──久米寺、岡寺──藤原京跡──三輪山、丹波市
二十一 月夜の東大寺南大門──当初の東大寺伽藍──月明の三月堂──N君の話
二十二 法隆寺──中門内の印象──エンタシス──ギリシアの影響──五重塔の運動
二十三 金堂壁画──金堂壁画とアジャンター壁画──インド風の減退──日本人の痕跡──大壁小壁──金堂壇上──橘夫人の廚子──綱封蔵
二十四 夢殿──夢殿秘仏──フェノロサの見方──伝法堂──中宮寺──中宮寺観音──日本的特質──中宮寺以後
解 説…………(谷川徹三)
ISBN:9784003314418
出版社:岩波書店
判型:文庫
ページ数:296ページ
定価:900円(本体)
発売日:1979年03月16日第1刷
発売日:2006年10月05日第52刷
Posted by ブクログ
本当に美しい日本語だと思う。
和辻哲郎の感動のポイントを読んでいると、すぐに奈良に行きたくなる。
うちからだと日帰りで十分いけるけれど、奈良ホテルに10日ほど泊まって奈良巡礼をしたくなってきた。
Posted by ブクログ
小生の手元にあるのは、なんと!61刷!大正時代に著者が訪れた奈良付近の寺院巡礼記。筆致は今もなおみずみずしく読者に迫る。奈良に行きたくなる本。
Posted by ブクログ
和辻哲郎が若い頃に奈良の寺院を訪れた際の印象記。記載内容が現在の研究にそぐわない箇所もあるが、それを補ってあまりあるものになっている。同様の本に亀井勝一郎の大和古寺風物誌があるが、亀井は、仏像を仏として見ているが、和辻は美術品として見ている。同じ仏像を見ているはずなのだが、二人の興味はまるで違う。この2人の印象を頭に入れつつ、実際に自身の目で仏像と向き合った時、どう感じるのか…。
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時を超えた古寺と仏像の美に迫る名著だと思う。この本を手に巡礼の旅をした人は少なくないだろう。
彼の筆致は仏像そのものの静けさと深遠さを言葉に映し出し、読む者を詩的な陶酔へと誘う。だが彼が目指したのは単なる美の賛美ではない。歴史や文化を紡ぎ出し仏像が生まれた背景にまで思いを馳せた。
彼の文章は仏像の「表情」だけでなく「内面」も描き出す。
私たちもまたこの本を携えて旅をすれば仏像とともに自己を見つめ直す巡礼となるだろう。
Posted by ブクログ
大正時代からのロングセラー!
日本人として数十年生きてきて
観光や日本史の授業で見てたり
ちらっとテレビ等で観てたりする
お寺さん 仏像 歴史の知識 など
無意識に刷り込まれてるものを
掘り起こして読んでる感じだった
奈良に行きたくなった!
じっくり1-2週間滞在して
また読み返したい
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【仏像鑑賞におススメしたい本5選 番外編①】1979年に出版され、当時仏像ブームを引き起こしたらしい。私も現代っ子なので、そもそも読むのが難しく、かつ、好き放題語っている(笑)印象だけれど、著者も言っているように、若さも感じられる仏像鑑賞の金字塔。そのため、仏像鑑賞していると必ずどこかで引用されて登場するので一回読んでおきたい。
Posted by ブクログ
若き日の和辻哲郎が、奈良の古寺をめぐった際の印象を書き留めたエッセイ。宗教的関心ではなく、美的関心に基づく感想がつづられている。
本書の出版から28年後に書かれた「改版序」で、和辻は本書に認められる若々しい情熱を「はずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した」と述べている。彼はまた、若き日の「美的生活」からの「転向」をつづった文章で、「私がSollenを地に投げたと思ったのは錯覚に過ぎなかった……かくて私は一年後に、Aesthetのごとくふるまったゆえをもって烈しく自己を苛責する人となった」と言う。そこには、美に引き寄せられつつも、美に耽溺してしまうことを倫理的に拒否してしまう和辻の姿を認めることができる。こうした彼の内面の振幅が、本書のもつ奥行きを可能にしているのではないだろうか。
本書の始まりの方で、和辻は次のように書いている。「昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役に立つのか……。この問いには返事ができなかった。……父がこの問いを発する気持ちに対して、頭を下げないではいられなかった。」厳格な父の前でみずからを恥じつつも、和辻は奈良の仏教美術がもつ美に魅かれてゆく。薬師寺の聖観音と薬師如来について記した文章はむしろ、これらの仏像のもつ艶かしい魅力から眼を背けることのできない和辻の姿を読者に印象づける。
本書で注目すべきもう一つのポイントは、のちの『風土』へと引き継がれてゆくような洞察が示されている点だろう。本書で和辻は、奈良の仏教美術の背後に、遠くギリシア、インドから中国、朝鮮を経て日本に至るまでの文化のつながりを認めると同時に、そうした文化的な影響を取り入れながら日本人が形成していった独自の美的感性に注目する。そこには、後年の和辻が必ずしも自由ではありえなかった偏狭な自国愛は存しない。「外来の様式を襲用することは、それ自身恥ずべきことではない」と和辻は言う。和辻は聖林寺十一面観音像の制作者が中国から来たという可能性を認めながらも、作者は「わが風光明媚な内海にはいって来た時に、何らかの心情の変異するのを感じないであろうか」と述べて、日本の風土によって観音像の与える印象が決定づけられていると主張している。
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洋の美術史の基礎知識が無いと読んでいてつらいものがある。仏像や菩薩を観て美しいと感じることを契機に仏教の成り立ちや教義に興味を抱くことも充分にあり得るでしょう。私もそのような感性と知的好奇心を持ちたいです。
Posted by ブクログ
浦野所有。
文化財マニアにとってバイブルになっている名著。ですが、私は主に建築文化財と民俗文化財に興味があるので、仏像に主眼が置かれている本書は、それほどのめり込むことはなかったです。
建築好きからすれば、唐招提寺と法隆寺のくだりはいいですね。和辻哲郎が境内に入った瞬間に感じ取った空気や、目の前に建つ伽藍から受けた印象を描いているので楽しめました。
Posted by ブクログ
大正7年の書。面白いのは、ただ古い寺のことを書いているだけではなくて、ガンダーラ美術やギリシア美術との関わりについてや、天平・平安の時代の日本の様子についてなど、そこから派生する様々な事柄を関連させて、とりとめもなくどんどん話題が広がっていくところだった。
だから、最初は寺のことを契機として書き始めていながらも、その話しがどうい展開をみせるか、まったく予想がつかない。筆者自身が、奈良をまわっている途中に出会った人のことや、宿や食事のことなど、雑談的なトピックも、他の話しとまったく同列に綴っている。
この本がいいのは、教科書的な解説ではなく、著者本人の純粋な驚きや熱気をそのまま書き残しているところだ。新しいおもちゃを前にして、この楽しさをどう表現していいかわからない子供のような興奮が文章から伝わってくる。特にいいと思った解説は、唐招提寺と、薬師寺の章だった。
この本を読んでいると、著者と自分が知り合いになって、その、やたらに詳しい知識を披露していただきながら、一緒に奈良の古寺をめぐっているような気分になる。
芸術家は本能的に物を写したがる。がまた本能的にその好むところを強調する自由を持っている。この抑揚のつけ方によって、個性的な作品も生まれれば、また類型的な作品も生まれる。時代の趨勢によっていずれか一方の作家が栄えるということはあるが、いずれの道によるも要するに芸術は個によって全を現そうとする努力である。(p.75)「写実」
やや境遇の似たギリシアの神像を取って考えてみると、われわれはその芸術的価値を比較するよりも、まず二つの異なった性質の芸術があることに驚かされるのです。すなわち人の姿から神を造り出した芸術と、神を人の姿の内に現われしめた芸術とです。前者においては芸術家が宗教家を兼ねる。後者においては宗教家が芸術家を兼ねる。前者は人体の美しさの端々に神秘を見る。後者は宇宙人生の間に体得した神秘を、人の体に具体化しようとする。一は写実から出発して理想に達し、他は理想から出発して写実を利用するのです。(p.208)「薬師寺について」
偉大な芸術はいかなる国のいかなる人の心をも捕うべきはずであるが、しかし小児が名画に対して強い感動を持たなかったからと言ってそれを怪しむ人はない。そのごとく仏徒の心情についていまだ小児であるものが、仏徒の心情と離すことのでいないこの画に対して、十分の感動を持ち得ないとしても不思議はない。わたくしはこの画に対する親しみのうちに、漠然とではあるが、なおこれ以上の感動の余地のあることを感ずる。(p.214)「法華寺弥陀三尊」
わたくしはそこにたたずんで当初の東大寺伽藍を空想した。まず南大門は、広漠とした空地を周囲に持たなくてはならぬ。今のように狭隘なところに立っていては、その大きさはほとんど殺されていると同様である。南大門の右方にある運動場からこの門を望んだ人は、ある距離をおいて見たときに初めて現れてくる異様な生気に気づいているだろう。(p.250)「当初の東大寺伽藍」
法隆寺の印象についてはかつて木下杢太郎へあててこう書いたことがある。
わたくす一己の経験としては、あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものを感じます。二度目からは、最初ほど強く感じませんでしたが、しかしやはり同じ感触があって、同じようなショックが全身を走りました。痺れに似た感じです。次の瞬間にわたくしの心は「魂の森のなかにいる」といったような、妙な静けさを感じます。(p.258)「中門内の印象」
インドの壁画が日本に来てこのように気韻を変化させたということは、ギリシアから東の方にあって、ペルシアもインドも西域もシナも、日本ほどギリシアに似ていないという事実と関係するであろう。気候や風土や人情において、あの広漠たる大陸と地中海の半島はまるで異なっているが、日本とギリシアとはかなり近接している。大陸を移遷する間にどこでも理解せられなかった心持ちが、日本に来たって初めて心からな同感を見いだしたというようなことも、ないとは限らない。(p.280)「日本人の痕跡」