あらすじ
ひとが旅立つ寂しさ、いま生きているいのち、言葉にできずにただ思っていたこと……日々の生活から浮かんできた言葉たち。 朝日新聞の連載「どこからか言葉が」をまとめた、谷川俊太郎がさいごに遺した「感謝」を含む47篇の詩。
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Posted by ブクログ
“黙るということ
いま黙っているということ
それは多数に耳をかさないこと
口をつぐみながら
つぐむ自分を疑うこと
黙るということ
ひとり黙っているということ
草木を味方にするということ
曇り空の下の小石とともに
世界の饒舌に耐えること”
(p.24『沈黙』)
“午後二時である
ちょっと眠ろうと思う
雨がしとしと降っている
静かだ
静かはいい
うるさいのは御免た”
(p.90『昼寝』)
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ページを捲る度に、段々と死に向かっていく谷川さんの姿が見えた。その事を、ご自身で予感していたのかもしれないとさえ思った。
最後の詩「感謝」が本当に素敵で、きっと私の五本の指に入ったままこの先も消える事はないだろうと思う。私の人生も、最後に「感謝」の念だけを残して幕を閉じられたら、と身が引き締まる。
例えもう姿が見えなくなっても、谷川さんが来る日も来る日も書き留めた詩が私たちの周りにあるから少しだけ寂しくない。
私が詩に出会うきっかけとなった方。心の底から敬愛していました。どうか天国で安らかに、どうか穏やかで良い旅をと、願ってやみません。
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ページの空白の中にも
込められた思いが
ぎゅうぎゅうに
つめこまれたような
それでいて清涼な風が
吹きわたっているような
そんな詩集
ひとつひとつが
わたしの心に
しみわたってきた
朝日新聞に『どこからか言葉が』というタイトルで連載されていた47篇の詩をまとめた詩集。
遺作のタイトルは「感謝」。偶然とはいえ、谷川俊太郎さんの思いがそのまま込められた、素敵な詩でした。
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自分の中で起こっていること、世界を含む自分以外のところで起こっていることを、心の目を通して俯瞰で見ている。そこに諦観が加わってじわじわと言葉たちが心に沁みてくる。その言葉は決して難解なものではなく、普段私たちが遣う平易な言葉で深いところを探っている。「黙る」という詩は「生きる」をフォーマットにしていたのが印象的。歌人の俵万智さんが本作のことについて、谷川さんが亡くなった後に手元に届いて「ああ、まだ近くにいらっしゃるんだ」という思いを強くしたというようなことを語っていたが、身体は無くなっても言葉は残るのだということを本作を読んで改めて実感した。
Posted by ブクログ
朝日新聞に2021年月から2024年11月までに掲載された詩を集めた本です。谷川さんは2024年11月に亡くなったので、晩年の作品集になります。
本のタイトルは、最後の詩「感謝」の中のフレーズ「今日は昨日のつづき だけでいいと思う」から来ています。
詩集最初にある「おめでたいマンネリズム」には「先に逝った親しい友人たちの目からすれば 平々凡々のこの今日もかけがえのない一日のはずだ」と強さが感じられるのに対して、中ほどの詩「いい天気」では「終わらない繰り返しに退屈しない自分が不思議」となり、「感謝」では「今日は昨日のつづき だけでいいと思う 何かをする気はない」、とトーンダウンしていくかのようで、詩人が生の終焉に向かうのが感じられます。
また、意味をめぐっての語りを読むと、語り得ないことは沈黙しなければならない、といった哲学者の言葉を思い出します。哲学者に対して、詩人は、語り得ないことそのものでなく、その周りを語ることによって「それ」を浮かび上がらせようと試みているかのようです。
さようなら、谷川さん。
この本は、夏の連休に読むのにぴったりの詩集だと思いました。ただし、ゆっくり死んでいく詩人が遺してくれた詩ですから、シニア向けかもしれません。
合唱コンサートが2026年3月22日に東京で予定されているらしいです。つやつやとした声でこの詩を歌うのでしょうか。聞きたくはあるけど、ちょっと心配です。
Posted by ブクログ
本書は、詩人の谷川俊太郎さんが朝日新聞に連載していた、「どこからか言葉が」(2021年1月6日~2024年11月17日)が初出となっており、世界について考えさせられるものや、人間、言葉について、そして谷川さん自身のその瞬間、瞬間の率直な思いも垣間見えたような気がした、その中で私が書いたテーマは本書のごく一部に過ぎない。
谷川さんは、私が持っていた詩人に対するイメージを覆してくれた人で、それは詩人の見えている世界に連れて行ってくれるだけではなく、今、私達が生きている世界の謎を何とかして解き明かそうとする、その姿勢に私は切なさと共に心を打たれるものがある。
谷川さんの詩では何回も取り上げられてきた、この世界自体の存在に対する心許ない思いへと駆られるような深遠な謎について、本書では「宇宙のマトリョーシカ」や「何事もなく」が印象深く、『何か』の中から宇宙が出てきてから、やがて人間が出てくることになったとき、生命体としてだけではなく、その心はいつどこから生まれてきたのかという疑問には、良くも悪くも人間だけが持ちうる可能性のようなものを与えられたのか、それとも何かの気まぐれなのか分からないが、その結果として、現在の世界を持て余してしまっているような状態を生み出してしまったことに対する、これは申し訳なさなのだろうか?
「何事もなく」
何事もなく一日一日を過ごすのが
なんでこんなに難しいんだ
手から滑って落ちたワイングラス
高いものでも大事なものでもないが
散らばったかけらが心に刺さる
体は自然から生まれたけれど
心はいつどこから生まれたんだろう
草木と同じ犬猫と同じ私の命は
深く柔らかな生命の流れから逸れて
固くぎごちないものになってしまった
目にするすべて手にするすべてに
いつかコトバがべったり貼りついて
近づいてくるはずだったのに
かえって世界は遠ざかった
世界とか言葉とかは
毎日の地味な暮らしにそぐわない
青空のもっと上は宇宙だが
いつかそこまで行ったとしても
まだまだ先は限りないと
子どもの頃からコトバに教えられた
夕焼けに言葉を失い星空に畏れを抱く
いのちはそれだけで十分なのに
心を持つが故に、却って人間だけが浮いた存在であるかのような孤独感に近いものを抱いてしまう私は、時折、人間同士の柵のみに囚われることに疑問を感じるだけではなく、毎日やりたいことを続けていることにも妙な侘しさを感じ、突然思い立っては自然や動物たちを何も考えずに、ひたすらぼうっと眺めたくなる衝動に駆られ、そこには人間だって自然から生まれてきた存在なんだという思いから、人間では無いものたちに対して抱く敬意を込めた仲間意識のようなものが、心の中ではなく本能的なものとして私の中には無条件に内在しているのだと感じると共に、心が無いからこそ真の平等性があるものたちへの憧れも、きっとあるのだと思う。
「わざわざ書く」
物でも人の生き方でも
美しいなと思うと
一呼吸おいてこれでいいのか
と思うのは何故だろう
どこにも悪が見えないと不安になる
ほんの少しでも醜いものが隠れていないと
本当でないような気がする
自然を目にする時は違う
不安も何故もない
雨が降っても風が吹いても
自分が今そこで生きているだけ
無限の自然が自分を受け入れている
と言うより自分が自然の生まれだと知って
そう思える自分が嬉しい
心は雲とともに星々とともに動く
でもなんでわざわざ書くのかと思う
言葉を自分の中に取って置けずに
「いまさら気には病むまい
これが詩かしらとか
どこが詩かしらとか──」
「どうして信頼する女友達に」で谷川さんは、『記憶することができない言葉』や『あっという間にいなくなる言葉』が詩ではないかと思うのは錯覚だろうか、と書いており、私個人の考えとしては、せっかく谷川さんから素敵なことを教えられても、人間としての日常の生活に忙殺されている間に、そのことを忘れてしまっているが、その中にこそ大切なものがあったのではないかということを思い出させてくれて、それこそがまさに谷川さんの書く詩なのではないかと痛感したのである。
「更地をみつめる」
昨日まで家が建っていた
今日は呆気なく更地になっている
狭い庭にあった数本の立木も伐られた
同年輩の何人かと焚き火をした
思い出というほどの記憶はないが
その時代を惜しむ気持ちは消えない
今日という結果をもたらした「時」
それを歴史という名で呼びたくない
もう決して帰って来ないことで
かけがえがないと思わせる平凡な時間
動き止まないその今に経験した生を
いつか忘れ去って私は生きている
昔と言ってしまうと昔になってしまう
物語からこぼれ落ちる今日を
素気ない叙事もほのかに甘い叙情も
引き留めることができないから
更地をみつめて佇む自分は
もう想像力の嬰児でしかない
ただ、「更地をみつめる」で吐露された谷川さんのセンチメンタルな思いのように、心があるからこそ他から与えられた『コトバ』だけではなく、その人自身が感じたものから紡ぎ出された、その人だけの『言葉』もあることの素晴らしさも実感できて、それは谷川さんが逝去される前に書いた「感謝」に於いて、誰に対してかは分からないものの、それでも感謝の念が生まれるのだという、そこにこそ人間に心が生まれた理由があるのかもしれないと思わせる視点は、つい忘れがちでありながらとても大切なことで、まさに詩の幽霊なのだと感じられた。
「どうして信頼する女友達に」
どうして信頼する女友達に話しかけるように詩が書けないんだ
言いたいことがあるわけではなくて でも話し始めると
その友達が一瞬でも私を真顔で見てくれるような
そんな何気ない言葉が始まりでそれがいつの間にか
詩になってゆくのにも気づかないまま書き続け
六行目くらいで本当は詩を書くつもりだとわかって
その途端に言葉がどこかへ行ってしまう
昨日読んだシンボルスカの詩に胸が詰まった
この人間世界の全体が何行かの言葉に変わる奇跡を
何度か経験してその度にその事実を忘れ果てているが
記憶することができない言葉 あっという間にいなくなる言葉
それが詩ではないかと思うのは錯覚だろうか
分厚い詩集のページの上の活字に存在するはずの詩は
本当は詩の幽霊かもしれない
立ち上がっていつものようにコーヒーを淹れる
頼りない手足を使うのは不安を伴う快楽だ
詩を気にするのをとっくにやめているせいか
新聞紙面を占めている散文が意味を失って瑞々しい
短い線が寄り添って作り上げた形が集まって
人を支配するのが滑稽に思えてきたら
鳥獣戯画の兎と蛙に会いに行こう