あらすじ
「重力」に似たものから、どうして免れればよいのか? ――ただ「恩寵」によって、である。「恩寵は満たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしか入っていけない」「そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで、すべてをはぎとられて神を待つ。苛烈な自己無化の意思に貫かれた独自の思索と、自らに妥協をゆるさぬ実践行為で知られる著者が第二次大戦下に流浪の地で書きとめた断想集。歿後に刊行され、世界に大反響を巻き起こした処女作。
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Posted by ブクログ
なぜ勧められたか覚えてないのだけど、仲の良い友人に「重力と恩寵読んだことある?たぶんすごく共鳴すると思う」的なことを言われたのが今年の初めくらいにあり、たまたま某図書室でも発見して、これは今読むべしということだなと思い、手に取りました。
なんの脚注もないので解釈むっずとなりながらなではあるものの、読み終わりました。
また別の人に、少し前に読んでいた悪徳の栄えとは真逆すぎて面白いですと伝えたら(快楽に対する態度とか)、「両極端すぎるように見えて紙一重なところがありそうじゃない」と言われて、確かに己の中にジュリエットもヴェイユも存在するので、それはあながちそういう側面もあるかもと思っている。基本は私はジュリエット派なのですが笑
重力と恩寵
・たましいの自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。
・ものごとは重力にあい応じて起こってくるものだと、いつも予期していなければならぬ。超自然的なものの介入がないかぎりは。
・ふたつの力が宇宙に君臨している、ー光と重力と。…
・重力には全然かかわりのない動きによって、下降すること…重力は下降させるもので、つばさは上昇させるものだ。つばさの力を二乗してみても、重力がなければ、下降させることができるだろうか。
・創造は、重力の下降運動、恩寵の上昇運動、それに二乗された恩寵の下降運動とからできあがっている。
・恩寵とは、下降運動の法則である。…
最初の数ページ、最初に読んだ時は、?でいっぱいでした笑。
対象なしに望むこと
・だれかを失うとする。その死んだ人、いなくなった人が、架空の実体のない存在になってしまったことがつらく悲しい。だが、その人を慕わしく思う気持ちは、架空のものではない。自分自身の内部へくだって行くこと。そこには、架空のものではない慕わしさの思いが宿っている。…死んだ人が現前するというのは、想像上のことにすぎないが、死んだ人の不在はまさに現実である。その人は、死んでからは、不在というかたちであらわれるのである。
大森荘蔵も『流れとよどみ』で似たようなことを言っていたなあ
脱創造
<脱創造>はヴェイユの独自な造語であるが、創造とは無から有が呼び出されることであるとすれば、いったん存在をゆるされたものが、その存在を否定して、もとの無へと帰って行く動きをこのように名づけているとみてよい。人間の側からみるとき、創造とは、神から存在を奪いとることであったとすれば、創造された性質(被造性)をぬぎ捨てて、完全な無を指向することが<脱創造>ということになる
・死。過去も未来もない。瞬間的な状態。永遠に近づくためには欠かせないもの。
必然と服従
・神との正しい関係とは、観想においては愛であり、行動においては、奴隷の境遇である。このことを混同しないこと。愛をもって観想しながら、奴隷として行動すること…
幻想
・仮象にも、十分すぎるほどの実在性があるが、それはただ仮象としてだけである。仮象以外のものとしては、虚妄にすぎない。
偶像礼拝
・偶像礼拝が生じるのは、絶対的な善を渇望しながらも、超自然的な注意力をもたず、それが育ってくるのをじっと忍耐づよく待てないというところからである。
・人間の思考は、情念や空想や疲労などに引きずられやすく、変化しやすいものである。ところが、実際の活動は、毎日、そして一日のうち何時間も同じようにつづけられて行かねばならない。だから、思考とはかかわりのない、つまり、さまざまな関連をはなれた、活動の動機というものが必要となってくる。これが、偶像である。
愛 神への愛ではなく、肉体的な現世での恋として理解してましたが、好きでした笑
・芸術作品というのは、ただそれらが存在しているという事実だけで、わたしたちを力づけてくれるものだが、そういう芸術作品の与えてくれる慰めとはちがった慰めを、愛する人々に対して要求すること(あるいは、かれらに与えようと望むこと)は、卑劣なわざである。愛し、愛されるということは、互いにこうして存在しているという事実をさらに具体的なものとし、つねに心の目にありありと見えるようにしているということにほかならない。だが、心の目にありありと見えるといっても、それが思考の源泉となるためであって、思考の目標となってはならないのである。理解されたいとねがう気持にむりがないのは、それが自分のためでなく、他人のため、他人のために存在しようとするねがいに発しているからである。
・汚すのは、変化させることであり、触れることである。美しいものとは、変化させようと思うことのできないものである。なにかに対して力をふるうのは、汚すことである。所有するのは、汚すことである。純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重することである。
へだたりへの同意、本当にそうだと思うので。使っていきたいし戒めていきたい。
・…すべて快楽への欲望は、未来に属し、幻想の世界に属している。ひとりの人が存在するようにと望みさえすれば、その人が存在するのだとすれば、このほか、これ以上に何を望むことがあろうか。そのとき愛するその人は、想像の未来におおい包まれていず、裸のままで、現実に存在する。…この意味では、未来を範として考えだされたいつわりの不死性に向けられていなければ、死者にささげられる愛は、完全に純粋である。なぜなら、それは、もはやこれ以上新しいものは何ひとつもたらすことのできない、終了した生をねがい求めることだからである。この死者がかつて存在したことがあればと、わたしたちはねがう。そうすると、その死者は存在したことになる。
偶然 一番共鳴した章
・わたしが愛する存在は、造られたものたちである。かれらは、偶然から生まれた。わたしとかれらとの出会いもまた、偶然である。かれらはいつか死ぬであろう。かれらが考え、感じ、行うことは、限界づけられていて、善と悪とが入りまじっている。このことを、たましいのすべてを尽くして、知った上で、なおかつ、かれらを愛すること。限りあるものを、限りあるものとして、限りなく愛する神にならうこと。
・わたしたちは、どなものでもなにかの価値をもつものが、永遠であればよいのにと思う。
・きらめく星と花ざかりの果樹。どこまでも永久に続いてかわらぬものとこの上なく脆くはかないものとは、ともに永遠の印象をもたらす。
・貴重なものが傷つきやすいのは、ほんとうにいいことなのだ。傷つきやすいということこそ、生存していることのしるしなのだから。
・トロイアの滅亡。花ざかりの果樹から花びらが落ちること。もっとも貴重なものは、生存の中に根を張っていないということを知ること。このことは、ほんとうおにいいことなのだ。どうしてか。たましいを時間の外へと投げだすこと。
注意と意志
・孤独。孤独の価値は、いったいどういうところにあるのか。単なる物質(空、星、月、花の咲いた木などにしても、みんなそうだ)、人間の精神よりは(おそらくは)価値の低いものばかりを前にたたずんでいるにすぎないというのに。その価値は、注意力をはたらかせる可能性が、いっそう多いという点にある。ひとりの人間を前にしても、これと同じ程度に、注意力をはたらかせることができたらよいのだが…
知性と恩寵
・求めるべき対象は、超自然的なものではなく、この世でなくてはなならない。超自然的なものは光である。それを一回の対象にするのは、それを低めることになる。
・世界は、いくつもの意味を含んだひとつの文章である。人は、苦労をしながら、意味をひとつひとつつかまえて行くのだ。…
宇宙の意味
・宇宙全体とわたしのからだとの関係が、盲人の杖とその杖をもつ手との関係とを同じようなさまになってほしい。…自分と世界との関係を変えて行くこと。ちょうど、修業によって職人が自分と道具との関係を変えて行くように。怪我をすること、それは、職業がからだにくいこむということなのだ。苦しみのたびごとに、宇宙がからだの中にくいこんでくるように。
習慣、熟練、意識が今持つからだとちがう対象の中に移って行くこと。その対象が、宇宙であるように。季節、太陽、星などであるように。…
美
・美しいものには、相反するもののさまざまな一致が含まれているのだが、とくに瞬間的なものと永遠なものとの一致が秘められている。
・美しいものは、官能に訴えかけるもので、そこには人を遠くへおしやり、あきらめさせるような力が含まれている。心のもっとも奥深くでのあきらめ、想像力すらも捨てさせてしまうようなものが、その中にはある。これがほかの欲望の対象なら、どんなものでも食べてしまいたいと思う。美しいものは、欲望の対象とはなるが、食べようとは思わない。わたしたちは、それがそのままそうあってほしいと望むのだ。
ヴェイユがここまで神を信じること、特にキリスト、に関してはやはり不思議というか全然納得できないのだけれど、言いたいことはまあわかる、という感じである。
こんなにも自分を無へとストイックに追い込んでいくことは私には到底できないし、その発想もなかった。面白い1冊であった。またいつかで会うだろうか。
そして彼女もギーターを何回か引用しているのが面白かった。
Posted by ブクログ
重力が、愛と感じるか、それとも単なる重みでしかないと感じるかはその人によるだろう。ヴェイユは重力を逃れられない運命であると認識しているようだ。そして恩寵はその重力から開放されるものだという。
重力を違う言葉で読み替えると関係ということになる。私達がいま生きて、重力を感じているのも、星同士の関係にあるだろう。ヴェイユは関係の働きかけが一方に傾くと違う方はおろそかになるという。
そして、関係というのは主に思考のことなのだ。ヴェイユがのべたいのは思考と、それ以外のものの関係につきる。それ以外のものとは光のことだと。
難解だがよみすすめてゆきたい。
Posted by ブクログ
ヴェイユが思索の断片をつづった『カイエ』による箴言集。猛烈に毒があり、長く続けて読むのはつらいが、ときどき手に取りたくなる。強く励まされる言葉があるかと思えば、あまりの厳しい指摘に暗澹となることもある。
「人に哀願するのは、自分だけの価値体系を他人の精神の中に力ずくででもはいりこませようとする絶望的なこころみである」
「同じひとつの行いでも、動機が高いときよりも、動機が低いときの方が、ずっとやりやすい。低い動機には、高い動機よりも多くのエネルギーが含まれている。問題はここだ。低い動機に属しているエネルギーを、どうやって高い動機に移しかえるか」