あらすじ
江戸川乱歩賞受賞作『北緯43度のコールドケース』シリーズ!
爆弾魔の真のターゲットは?
博士号を持つ異色の警察官が札幌で発生した爆破事件に挑む。
「伏尾美紀は日本の警察小説を変える作家になるのかもしれない」杉江松恋(解説より)
圧倒的ストーリーテリング。骨太の警察ミステリー。
札幌の新設大学で発生した爆破事件。
博士号を持つ警察官・沢村依理子が捜査に加わる。
公安との駆け引きの中で進む捜査は行き詰まり、沢村に特命捜査の命が下される。
爆弾魔の真の目的は?
かつて研究者として大事な人を失った過去を持つ沢村は、事件の真相に迫る。
乱歩賞受賞作家による骨太警察ミステリー。
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
文庫化を待ちに待っていた作品。期待を裏切らず、とても面白かった。
沢村にも犯人にもその他の登場人物にも感情移入というか…悲しさとか悔しさとかが身に迫ってきて没入感満載でした。
Posted by ブクログ
デビュー作『北緯43度のコールドケース』の続編であり、爆発事件の謎を追う社会派ミステリである。前作同様、単なる犯人探しに収まる作品ではない。
舞台は、新設された大学院大学。知性と理性の象徴のような場所で爆発事件が起こる。事件はテロなのか。物語には、爆弾魔を追うサスペンスとしての軸と、警察内部の対立を描く組織ドラマとしての軸がある。爆弾魔を追いながら、五係内部に潜む公安のスパイも追うことになる。
読んでいると、かなり早い段階で「犯人はこの人だな」と分かる。ジェンダーバイアスという補助線も見えてくる。けれど、この作品はそこに安直には着地しない。むしろ、実際にはジェンダーバイアスが存在しなかったことが、かえって犯人を苦しめたように私には思えた。
犯人である涼子は、外側の偏見に苦しめられただけではない。自分自身の中にある解釈、自分を苦しめる物語にも囚われていたのではないか。これは、公安のスパイだった花城にも重なる。二人に共通しているのは、誤った自己認識に閉じこもってしまったことの不幸だ。
けれど、彼らは最初から誰にも手を差し伸べられなかったわけではない。もし「人の話を聞く」という素直さがあれば、道を踏み外すことはなかったのではないか。涼子の頑なさは、作中でもはっきり描かれている。
> 「涼子はこだわりが強すぎるところがありました。例えばある証明を行う際、一つのやり方に固執しました。そうなると他人のアドバイスは決して聞かなくなるんです。五味教授はその点を批判しました。問題の解決に行き詰まった時は、広く他の人の意見も聞いた方がいいと。しかし涼子は凡人の意見など聞いても役に立たない、と五味教授の助言を拒絶しました。そしてとうとう、一人で未解決問題に手を出すようになりました」(p.338)
一方で、花城の方は少し違う。表面上はコミュニケーション能力が高く、人当たりもよい。だからこそ、内側にある頑固さや思い込みは見えにくい。
会話ができることと、他者の言葉を本当に受け取れることは違う。この作品は、その違いを静かに突きつけてくる。
> 花城は自ら耳を塞いでしまった。その結果最悪な選択をしてしまったのだ。(p.355)
ここで少し居心地が悪くなった。
天才ゆえに凡人の言葉を拒絶した涼子と、人当たりの良さの裏で自ら耳を塞いだ花城。アプローチは違っても、二人の行き着いた先は同じ「対話の拒絶」だった。
涼子や花城の考え方は、物語の中では極端なものとして描かれている。だから最初は、自分とは違う世界の人間として距離を置いて読んでいた。けれど読み進めるうちに、二人の頑なさの一部は、私を含め多くの人の中にもあるのではないかと思えてきた。
自分の考えに固執し、人の言葉を受け取れなくなること。その結果、自分の可能性を自分で狭めてしまうこと。涼子の、あるいは花城の姿は、決してそのまま自分と重なるわけではない。それでも、他人事として切り離すには少し近すぎる。
人の話を聞くということは、単に相手に譲ることではない。それは、自分の考えを一度外に開き、自分がまだ知らない可能性を残しておくことなのだと思う。
涼子がいたたまれないのは、彼女が感じていた理不尽さが、まったく根拠のないものではなかったからだ。社会の中には確かに不公平さがあり、彼女はそれに傷つけられていた。
ただ、この作品には、同じような理不尽さの中にいながら、それをどうにか乗りこなし、自分の求めるものを掴んでいく女性も描かれている。その配置によって、涼子の悲劇はより複雑になる。
彼女は、ただ理不尽な社会の被害者だったのではない。理不尽さを前にしたとき、それをどう受け取り、どう行動に変えるか。その分岐の一方に、彼女は自ら進んでしまったのだと思う。
涼子は家族(というか息子)を愛していたし、幸福も確かに手にしていた。けれどその幸福は、彼女自身が数学者として生きることの代わりにはならなかった。数学への未練が、彼女の核に深く食い込んでいて、どうしても消えなかったのだ。
人生には、両方を手に入れられる人もいれば、片方しか手に入れられない人もいる。その差は、本人の努力だけでは説明できない。だからこそ、この作品が苦く突きつけてくるのは、理不尽さそのもの以上に、その欠落とどう折り合いをつけるかという問題だった。
未練を抱えながらも、どうにか人生を続けていくのか。それとも、欠落を怒りに変えてしまうのか。その選び方によって、人は少しずつ違う場所へ運ばれていく。
だから、自分が今信じている物語を疑う必要がある。
自分は本当に社会から拒まれているのか。自分の可能性は本当に閉じているのか。今見えている世界は、現実そのものなのか。それとも、自分の痛みを通して組み立てた解釈なのか。
私たちは往々にして、悲劇の主人公という役どころをノーギャラで演じたがる。しかも厄介なことに、その演技に入り込んでいる間は、自分ではなかなか気づけない。
だからこそ、他者の言葉を受け取る余白が必要になる。人の話を聞くとは、自分を曲げることではない。自分の物語を、少しだけ開いておくことなのだと思う。
それにしても、伏尾美紀、好きだなぁ。『百年の時効』から入ったから、デビュー作の『北緯43度のコールドケース』はそれほどってなっちゃうのかな、って恐る恐る手に取ったけど、杞憂も杞憂。今のところハズレなし。