あらすじ
「人間が見たり聞いたりしたものは生命の糸である」(イエイツ) 自然界に満ち満ちた目に見えない生き物、この世ならぬものたちと丁寧につきあってきたアイルランドの人たち。詩人であり、劇作家・思想家であるイエイツは、自ら見たり聞いたりしてケルト民族に伝わる妖精や超自然的な生き物たちのフォークロアを採集した。そこには、無限なものへの憧れ、ケルトの哀しみにあふれ、不思議な輝きを放ち続ける。カットにケルト美術を用い、イギリス・アイルランドフォークロア研究者による的確な翻訳で、ケルト民族の情感を生き生きと伝える。
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Posted by ブクログ
詩人イエイツの聞きまとめた、ケルトのおはなしたち。神話/民話と呼ぶほうが適当なのかもしれないが、(ケルトといえばこの方、という井村君江氏の翻訳もあってか)語り手として登場する老人たち――妖精たちなどを"見た"ものたち――の様子もなんとはなしに窺えて、こんな風に家々を訪ねて口碑を聞きまわりたいと思わされる力を感じるからやはりおはなし、と言いたい。一緒に炉端に座り、子どもみたいに「おばあちゃん(おじいちゃん)おはなしして」とねだりたいものである。イエイツもきっとそうだったろう、などと勝手に思ってしまうなどする。それほどに、語り手たちも魅力的なのだ。妖精たちはかれらの生活と分かちがたく結びついているのだろう。基督教の神と妖精たちが、ひとびとの中で同居を成しえているのも、私には面白い。
松村みね子訳「悲しき女王(青空文庫にある)と、また一緒に読みたい」
Posted by ブクログ
ケルトであるとか妖精であるとか、そういうものをしてファンタジーと認識したのは、遠い異国の幻想的な事物であるとか語感の耳触りであるとかから来ていたのかもしれない。
圧倒的な経験不足がそうさせていたのかもしれない。
アイルランドに伝わる民話・説話を拾い集めた本書に、日本の妖怪話が透けて見える。いわゆる昔話というものを比較したときに、ヨーロッパと日本ではおそらくキリスト教の影響の有無が最も大きいのではないかと思われるが、それを除去したならきっと、未知なるものを目の当たりにした時に説明を求める情動というものに人種などによる大きな違いはないのだと思えてくる。
読み味は『夢の宇宙誌』を思わせる。まとまっているようでまとまっていない。章ごとの表題に対して自由に心をさまよわせているカンジ。
だが、詩人の心が強すぎるためか、詩心のない読み手にはまったくピンと来ない箇所もあり、素養のなさが身に染みる。
Posted by ブクログ
イェイツが各地で収集したケルト民話。
神話ではなくあくまで地元の妖精目撃談の類なので地味なこと極まりない。
ケルト版「遠野物語」といったところだろうか?
違うのは、イェイツの行動や主観が多く記されている(相対的に語り手が語った部分は少ない)ことと、イェイツが柳田に比べてかなり体を張ってフィールドワークに挑んでいることだろうか。
何せ悪魔の儀式に参加するくらいである。大分がんばっている。
ただ、多少悪魔召喚じみたものもありつつも、本来ケルトの妖精とは善悪とは結びつかないものであり、「正しく扱えば無害(もしくは利益を与えてくれる)だが、正しく扱わなければ害をなす」なものなのだと言う。