あらすじ
神さまは兎のすべてでした。とにかく神さまが好きだったから。兎は、どんなに苦しくても孤独でも美と純粋を求めつづけたのでした。兎を主人公とし、神と呼ばれる、見えない存在との精神性の高いやりとりと、絶対的な愛を描く。「不滅の少女」と呼ばれた矢川澄子の代表作であり、真骨頂!
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Posted by ブクログ
不滅の少女と呼ばれたのが良くわかる。
純粋無垢な主人公の兎と形も姿も無い存在だけが其処にいる神との切ない純愛ものがたり。
ため息でるほどに兎がまっすぐで、息をのむほどに神が絶対的で
ほんと素敵なお話。
きっとそれはあたしが話の背面に矢川さんと澁澤さんの姿を写してるから、際立ってしまってるんだろうけど。
表紙の絵が西岡千晶というのが、また本の世界観の完成度あげてます。
Posted by ブクログ
幻想的で殆ど体裁としては寓話なんだけど、全体に漂う生々しさはなんなんだろう。今読んでもなお実験用だと思う。
西岡兄弟の扉絵も内容にぴったり。
つまりはあらゆる意味で痛いってことなんだろうけど。
Posted by ブクログ
まるでそのことでないかのようにそのことが書けるものだなあと思ったり。
矢川澄子さんのことを良く知らないうちに読むべし。
ユリイカの臨時増刊とか読むまえに。
Posted by ブクログ
不滅の少女と呼ばれるのもわかる…けど、情念も感じさせる世界観でした。
痛々しくて危うく、繊細で端から壊れていきそうだけれど、この感じから変化せずにいられるの凄いな。
男が誰なのかはわかるけど、神様は別人なのか。そうなの!?
翻訳しか読んだことがなかったけれど、自伝的小説になるのかなこちらは。その他の作品も翻訳も、もっと読んでみたくなりました。
装画が西岡千晶さんなのも好きです。西岡兄妹好きだったのでこの方の絵に弱い。
Posted by ブクログ
往来堂書店でふと雰囲気に惹かれたものの、恐らく半年以上積んでいたもの(もしかすると一年くらいかもしれない)
一つの小説なのに、色んなスタイルがあるところが楽しい。
現代小説のような、神話のような、古典のような、戯曲のような、童話のような小説。
うさぎのひたむきさ、神様への信仰は、恋愛小説としての極地のような気がした。
Posted by ブクログ
痛い。痛々しい。
小説なのにこんなに作者の実生活を想像せずにはいられないとは…
てか澁澤龍彦の元妻!!
永遠の少女は多分死ぬまでずっとうさぎのまま、神さまを信じ続けたんだろう。
読み終わってかなりたつけど、
かなり自分の心になにか残していった作品…
きれいで、やわらかい文章を読んでいる間ずっと、心臓にきつく爪を立てられているみたい。でも、私がこれを読んで泣いてはいけないような気がした。
Posted by ブクログ
あーほんとにやきもちだけで☆4つ
すごいんだものー 女子として、この才能と、この才能がゆるされていた環境にやきもちやきまくる。散文的で、どこもみていないような、その先にあるものはしっかりととらえているような、散漫な文章の中で行き来する女子の楽しみ/女子らしさ そして血で汚れるものとしての女子のあざとさをしっかりとらえて見据えている そしてそこにくいを打ち込むようにしながら、女子の甘えに逃げ込みながら、そのどれもがただただ女子としてあって そこここの女子の日記をのぞきこんだとして、ここに見出せる女子らしさのいくつもが垣間見えるだろうけど、自覚的であっても自覚がなくてもそこここに女子としての読者としてのわたしへの嫌悪感や、女子としての読者としてのわたしへの甘えなどが記されている。うさぎのなかにも、かぐや姫の中にも。とにかくこのひとにこれが環境として女子としてゆるされていた、というのが憎らしくてたまらない!
おなじところにいたとして、フンとか無視してしまったりもしているのだろうけどそういう肉の俗っぽさをふーんわりと届かないところにいそうなところも憎らしいし、そんなわたしに「ごめんね、ありがとう」とか言いそうなところもにくい、とにかくにくい、嫉妬する
Posted by ブクログ
背表紙で著者のことを「不滅の少女」とかいてあってなんですかそれはとか思ってたら本当に澄子不滅の少女でした。
どんなに頽廃的になってみようとしてもいつまでも少女趣味から逃れられないのは女の業なのでしょうか
サンプリングが同年代しかないのに何いってんだですが
「『それではいま一度、あらためてきかせていただきたいのよ。いったいわたしは人間なの、それとも人間ではないの?このわたしという女は?』
『つまらぬことを、いつまでもくどくどと、くりかえさないでくれよ。だいたいきみはすこし幼稚すぎるんだな』男はいらいらして、そっけなく答えた。
『でも、そのつまらないことに、わたしは生涯こだわらずにはいられないのですもの』」
「『醒めてはなりませんでした。あそび呆けること、あくまでも酔い痴れることがだいじでした。醒めたらさいご、われに返ったらさいご、迷いが生じ、足もとに狂いが生じて、この楽園から追放の身となることはわかっていました。ですからわたしは、一瞬だって、ぼんやりとなんぞしてはいられませんでした。理性的に、あくまで理性的に。綿密な計算と周到な配慮がなければ、どうしてこの命がけのおあそびを、あそこまで持ちこたえることができたでしょう。この十年、わたしは全力をあげて、ただひたすら、このお遊戯を生涯つづけおおせるために、わき目もふらずにうちこんでいたのです。』」
醒めたくないよね怖いもの
「『好きだったの!そうです、よくわかってくださいました。おお、好き、好き、好き!好きって、いったい、どういうことなのでしょう。わたしはあのひとが好きだったのです。じぶんよりもよっぽど、あのひとのほうが好きだったのです。好きで、好きで、好きで、好きで、大好きで、大々好きで、気も狂うほど好き、どうしていいかわからなくなるほど好きで、ただもう……』女の声にふたたび熱いものがまじりかけた。
『そうして、おそらくはいまも……』男は、絶句した女の手をそっとひきよせながら、ささやいた。
『いま?さあ、それはわかりませんわ』女は、やわらかい手を男にまかせたまま、おだやかな表情にかえりながら、つぶやいた。
『好きならばいまごろ、こんなところをひとりで歩いたりはしてないはずですもの。好きならばしないはずのことを、わたしはしてしまったのですもの。』」
「『そう、やさしいはずですものね、わたしという女は。もしかすると、やさしさだけが、わたしのとりえだったかもしれないのよ。わたしが迷いはじめてしまったのも、じつはほかでもない、そのやさしさをどこまで全うできるかということだったの』」
女子ですね澄子。こんな、不思議で、愛らしくて、少女のようなひとが澁澤みたいな人に愛されるのだと納得
「神さまはまさしく兎のすべてでした。途方もなく大きくゆたかにひろがって、兎の全身をあたたかくすっぽり包みこんでくれることもあれば、また無限にこまやかに小さく小さくなって、兎の心の微細なひだの隅々にまでわけ入ってきてくれることもありました。」
Posted by ブクログ
再読。
そういえばこれにもプラトンの『饗宴』的な話が出てきたなぁ、と。
謎が謎を呼ぶメタ構造。改めて読んでみるとまた新たな発見があって面白かった。
恥を承知で書くなら、これはわたしの物語。
もっとも、わたしは矢川澄子ではないし、ましてや兎でも翼を持った女でもないが、それでもこれは確かにわたしの物語なのだ。
度々使われる「赤裸」という言葉に、皮を剥がれた因幡の白兎の姿を象徴的に感じ取った。
女性としての哀しみ。
届かない想い。
あまりにも著者が登場人物に自己を投影しすぎていて、いたたまれない。
「神さまはまさしく兎のすべてでした。」
すでに失った世界を手にするように、あるいは欠けている何かを求めるように、愛す。
ほんの少しの既視感。
最後の最後に兎は救われたような心地になる。
これはあくまで物語だから。
矢川女史、貴女は一体どんな思いで自死を選んだのですか。