あらすじ
ソ連軍「満洲侵攻」80年目の真実。
1945(昭和20)年8月の日本降伏直後、ソ連第一極東方面軍の前線司令部が置かれていた僻村ジャリコーヴォで、「日ソ停戦交渉」が行なわれた。その場で通訳を務めたのは、在満洲国ハルビン日本総領事・宮川舩夫。だが彼は、単なる通訳ではなかった──。
〈当初、秦総参謀長から停戦会談への同行要請を受けた宮川は、こう答えたとされている。
「外務省に入って以来、今日まで、ソ連関係一筋の務めについてきました。今、国家の重大事に軍使に同行することは外交官として当然、かつ最後の御奉公であります」
(瀬島龍三著『幾山河』)
文字どおり、これが外交官・宮川舩夫の「最後の御奉公」となってしまったのだった。〉
ノンキャリアのロシア語通訳官として任官した宮川は、歴代の駐ソ大使に重用され、「日ソ中立条約」の締結交渉を陰で支えるなど、外務省きってのロシア通として知られていた。その一方で、ウラジオストク総領事やハルビン総領事などを歴任し、対ソ情報収集の最前線に立つインテリジェンス・オフィサーとしても八面六臂の活躍をした外交官だった。
しかし、終戦後まもなく、宮川は外交官の不逮捕特権を蹂躙され、ソ連軍に拘束・収監される。そして、隠密裡にモスクワの監獄へと送られ、起訴されることもないまま獄死した。そうした経緯が明かされたのは、ソ連が崩壊した1991年暮れのことだった。
なぜソ連は真実を隠し続けたのか──。
ソ連軍の満洲侵攻から80年、その舞台裏が初めて明かされる。
(底本 2025年6月発売作品)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2025.08.19
まずわわかること。
いま、トランプとプーチンの会談を受けて、ウクライナのゼレンスキーとトランプの会談の結果が報じられている。
残念ながら、ロシア、ソ連、そしてロシアはまったく信用がならないということが、このノンキャリアの優れた外交官の悲劇を通じてよくわかる。このままでは、アメリカとロシアの都合だけで、ウクライナはむしり取られ続け、蹂躙され続ける。
次にわかることは、いわゆるキャリア官僚がどれだけ自分の都合だけでノンキャリアの優秀な人をしゃぶりつくして、最後は見捨てるという人々なのかがよくわかる。宮川氏はキャリアの試験の受験を自分の所属する外務省に邪魔され続け、挙げ句の果てにはシベリア抑留の憂き目にあい、最後はモスクワで無念の死に至る。
歴史の教科書に出てくるような、松岡、広田などという輩は宮川氏のようやノンキャリアの支えがあって仕事ができていた。だから、便利遣いされ続けた。この本の感想を外務省のノンキャリアであった佐藤優氏にもきいてみたいとも思う。日本の組織は本当に人を大事にしないなとつくづく思う。夏の酷暑が続くが、読んでいる間も読み終えても心が冷え冷えとする。
Posted by ブクログ
突然メールが、、、「消された外交官 宮川舩夫」を読んで、400字で引用し、その理由を400字で書けという、、、佐藤優さんが出られるオンライン講座の課題だった。
まさか、課題があるとは、、、ただ、思っている以上に面白かった。
佐藤さんの講座のコメントの中で印象的だったのは、「宮川氏は、民衆は見えていない。という点に関しては知っておくべきだ」ということ。民衆を離れての国家はないことをよく知っておくべきだと思った。
Posted by ブクログ
戦前のノンキャリア外交官、宮川舩夫の生涯を追った1冊。ソ連との外交交渉の実務的な要とも言える人物で、戦後はソ連により拘束・獄中死した。
宮川に関する記述自体は遺族が残した膨大な資料によって充実したものとなっている。特に若い頃に関しては当時の家制度や外務省キャリアルートの実態を知ることができる貴重なものだろう。
ただし、遺族の資料ではなく本人の著述部分になると恐ろしく「浅い」。
まず宮川の生涯を補完するための歴史事象の引用が殆どジャーナリスト出身の「歴史家もどき」ばかりなのがいただけない。半藤一利はまだともかくとして、ソ連の出す資料は批判的論考を全く加えず鵜呑みにする保坂正康をソ連が深く関わる本で引用するのは言語道断であろう。酷いものになるとWikipediaからの引用まである(しかも張鼓峰事件という他に幾らでも参考文献がある事象についてである)。小学館の編集部は止めなかったのだろうか。大学の卒論どころか中学校の調べ学習でも説教されるレベルだが…。
次に著者の勝手な感情移入が多い。全く入れないことは不可能にせよ、ジャーナリストだから人間の感情が推測できるという傲慢さを感じる。
総じて資料部分以外の価値が無に等しい。これなら資料をほぼ丸写し編集して「編集協力」とでもすれば良かったのではないか?
資料の貴重さとしては⭐︎5以上、著者の記述部分の価値は⭐︎1。